ハッキングの本質は何か、社会にどう影響するのか、AI時代のハッキングにどう対処すべきか。情報セキュリティーの第一人者ブルース・シュナイアーが、ハッキングをあらゆるシステム(コンピューター/金融/法律/政治/人の認知)の進化過程と捉え、その重要性とあり方を説いた『 ハッキング思考 強者はいかにしてルールを歪めるのか、それを正すにはどうしたらいいのか 』。本書を東京大学 FoundX ディレクターの馬田隆明氏が読み解きます。
『ハッキング思考』というタイトルを見ると、ちょっと気の利いた思考法を教えてくれる本だと思うかもしれません。著者のブルース・シュナイアーが高名なセキュリティー技術者だと知っている人は、コンピューターのハッキングについて書いている本だと思うでしょう(私も最初はそう思いました)。
しかし、本書はそうした期待を良い意味で裏切る、社会システム全体に関する書です。
本書で扱われるハックとは、「想定を超えた巧妙なやり方でシステムを利用して、システムの規則や規範の裏をかき、そのシステムの影響を受ける他者に犠牲を強いること」であり、「システムで許容されているが、その設計者は意図も予期もしていなかったこと」と定義されます。
ここでのシステムとは、コンピューターシステムにとどまりません。法制度や税制といった社会システムや人の認知システムも本書では取り上げられています。そして、それらがどのように「ハッキング」されてきたのかを様々な例を用いながら説明していきます。
例えば、本書の冒頭ではペイパルの創業者にして富豪であるピーター・ティールが投資への税制を「ハッキング」して、7000億円を超える利益にかかる税金を合法的に避けた事例が紹介されています。そういえば、日本の京都の町家の入り口が狭いのも、「家の間口の広さで税金が変わる」という税制を何とかしようとした合法的なハックでした。分かりづらい携帯電話料金は人の認知に対するハックであり、ソーシャルメディアで耳目を集めるために極端なことを言うのも同じです。広告もSNSも、人の認知システムをハッキングすることで成り立っているのです。
スタートアップでハックといえば賢さの象徴として称賛される向きがあります。資本主義というシステムの中で、許されているルールの範囲内で自己利益の最大化ができれば、ある種の「スマート」な人と見なされる向きもあるからでしょう。しかし許されていることや合法的なことが倫理的であるとは限りません。今あるルールが完璧なわけでもないからです。
それに倫理的であるか否かだけではなく、こうしたハックは社会的な負担を招くことも問題点として挙げられます。例えば、税制や広告のシステムでハックがはびこると、ハックへの対策を講じることになり、その過程でそれらの制度はより複雑になっていくでしょう。そうすると、多くの人にとって分かりづらくなったり、本来恩恵を受けるはずの人たちにとっても使いづらいものになったりします。社会システムのハックによる負担は、薄く広く、多くの人にかかってくるのです。
その複雑さを乗り越えられるのは、専門家やロビイストを雇うだけのお金と力を持っている人たちです。例えば、国家間の税制の違いを利用した国際的な「節税」というハックを行えるのもお金持ちが主でしょう。自らが有利になるようルールに働きかけられるのも、そうした権力者たちです。ここには悪循環が生まれます。サブタイトルにある「強者はいかにしてルールを歪めるのか(How the Powerful Bend Society's Rules)」というのは、そうした状況への警告です。
このように、本書はハックの悪い面を考える書でありますが、同時に様々な希望も提示してくれます。ハックは決して悪い面だけではないからです。例えばスタートアップは、既存の業界構造などのシステムの脆弱性を斬新に突き、その隙を縫って急速に成長することを企図します。あるいは、まだ制度がないところである種のハックを仕掛け、新たな試みを行います。そうして新しいイノベーションを生んでいくことができます。ハッキングはシステムを不安定にさせる行為であると同時に、進化の原動力にもなるのです。本書で解説されるハッキング思考やセキュリティーのマインドセットは、新しい何かを生み出そうとしているスタートアップや新規事業の観点でも役に立つでしょう。
それに「新しい何か」を作っていこうとするときにはなおさら、ハッキングによる不正を働く人たちの考え方を身に付けておかなければ、「新しい何か」を実現するより良いシステムを作り上げていくことができません。本書は今後、AI(人工知能)による社会システムのハッキングが重大な問題を引き起こすであろうことにも警鐘を鳴らしています。そうした意味で、本書はコンピューター技術者にとどまらず、法律や新しいビジネスなど、「システム」に関わる多くの人に読んでほしい本です。
本書が広く読まれることで、セキュリティーのマインドセットを持つ人が増え、社会の良いハックと悪いハックを区別したうえで、良いハッキングにより、社会をより良くしていく「社会のホワイトハッカー」や「社会のセキュリティー技術者」が増えることを願っています。
