古代の宮(みや)や都、中世や近世の城はどのような地形条件によって築かれたのか。現地を訪れると、地形条件がよく分かる都跡や城はどこ? 「歴史地理学」で見えること、金田章裕(きんだあきひろ)・京都大学名著教授へのインタビュー2回目は、『地形で読む日本 都・城・町は、なぜそこにできたのか』(日経プレミアシリーズ)の内容から紹介する。
人は地形や土地をどう利用してきたか
私は歴史地理学の入門書として、『 地形と日本人 私たちはどこに暮らしてきたか 』『 地形で読む日本 都・城・町は、なぜそこにできたのか 』『 なぜ、日本には碁盤目の土地が多いのか 』(いずれも日経プレミアシリーズ)の3冊を執筆しました。
まず『地形と日本人』では、「私たち日本人がどこに住んできたか」を考えました。大半の日本人が暮らしてきたのは平野です。平野は川が氾濫し、その土砂が堆積することによってできます。大規模な河川氾濫が起きるのは1000年に一度、100年に一度かもしれません。しかしそこに、昔なら60年ほどでしかない人の一生がぶつかると「大災害」となります。そうした地形と人との暮らしの関わりを、防災面の関心に寄せて書いておこうと思いました。
第1回 「金田章裕 なぜ『土地は四角形』になったのか?」 で紹介した『なぜ、日本には碁盤目の土地が多いのか』は、人が土地を利用する際に欠かせない「土地区画」をテーマにしています。
今回は2冊目の『地形で読む日本』のテーマを紹介します。この本は古代から近代にかけ、宮(みや)や都、城や町という政治や暮らしの拠点が「どこにあるのか」に着目しました。「人は地形条件や土地をどう利用してきたのか」という「立地」について踏み込んだ内容になっています。
私はずいぶん長い間、地べたのことばかり研究してきましたが、この3冊は「地形」「立地」「土地区画」という、1セットのテーマなのです。
大阪・上町台地の難波宮は外交拠点だった
日本の都というと、誰もが平城京や平安京を思い浮かべると思います。
しかし、実は都が造られる前に、「宮(みや)」という政治と儀式をつかさどる宮殿が存在していました。このような宮は5世紀中ごろから7世紀中ごろに存在しました。応神天皇や仁徳天皇は大阪・難波(なにわ)の上町台地付近に宮を構えていました。当時、上町台地の周辺は入り江が多く、瀬戸内海とつながっていたため、中国と外交を行うには格好の立地にありました。
一方、天皇や豪族たちが居住している宮は、奈良の飛鳥に数多くありました。つまり立地から見ると、外敵から攻められにくい奈良に内政の拠点を置き、船の使える大阪に外交の拠点を置いた。政治の機能を2つに分けていたと考えられます。
では、どうやって奈良と大阪をつないでいたのかという謎は残っています。当時は徒歩や馬が主な往来手段でした。たくさんの人や物資を運ぼうとすると、水運が必要です。上町台地や藤井寺、羽曳野近辺の古墳付近からは運河が発掘されていますが、まだ奈良と大阪を結ぶ長距離の運河は見つかっていません。
663年には、日本・百済(くだら)連合軍と唐・新羅(しらぎ)連合軍が戦い、日本・百済連合軍が敗れる「白村江の戦い」が起きました。日本書紀には、「斉明天皇が海戦に必要な船を駿河国に作らせた」という記述があります。では、果たして当時、駿河から紀伊水道を越え、瀬戸内海まで入るような航路があったのでしょうか。古代の水運にはまだ解明されていない謎が残ります。
宮はその後、儀式や儀礼と政治の中枢機能が1つになり、多くの人々が住む「都城」が計画・建設されるようになって、平城京や平安京が誕生しました。
古代の城は人が住む施設ではなかった
政治の中心が宮から都城へと変遷したように、城もその形や機能を変えていきました。古代の城は山頂付近に築かれた「山城」でした。7世紀に大宰府の防衛のために築かれた大野城は、居住のための城ではなく、非常時に軍隊や大宰府の人々が逃げ込む「逃げ城」の位置付けでした(現在、人々が「城」と聞いてイメージする天守閣があるような城は、16世紀ごろ以後のもの)。
中世の山城でとりわけ有名なのは、楠木正成が鎌倉幕府と戦った赤坂城や上赤坂城、千早城です。『太平記』では「寄手三十万騎」に対し、楠木正成軍は赤坂城から「二百余騎」が打ち出たと書かれています。多勢に無勢で敗れた楠木正成軍はその後、千早城へと逃れ、立て籠もりました。千早城にはさらに「百万騎」が押し寄せたものの、楠木正成軍は千人足らずで城を守ったとされています。
その後、戦国時代には、上越市の春日山城、近江八幡市の安土城といった有名な山城が築かれました。もっとも安土城が築かれた安土山は標高199メートルで、天守閣がありましたから、戦国時代の城というよりは近世城郭の先駆けともいえるかもしれません。
見ておくべき都と城
こうした地形や立地の話は、まさに「百聞は一見にしかず」ですので、ぜひ現地を訪れてみることをお勧めします。
都城なら、やはり奈良の藤原京跡や平城京跡、京都の平安京跡です。藤原京跡は近鉄・大和八木駅で降りると自転車が借りられますから、周遊に便利です。
そこからまた近鉄に乗って京都まで行き、平安京跡を見ることもできます。東寺駅で降りて西へ行けば、平安京の羅城門の東側に作られた東寺を見ることができます。
中世の城下でしたら、福井県の朝倉氏一乗谷が必見です。一乗谷は一乗谷川に沿った小さな谷ですが、越前の中心に位置しており、攻めにくく防御しやすい立地。現地に行ってみるとそのことがよく分かります。谷の中にある下城戸(しもきど)には巨石に囲まれた城門、上城戸(かみきど)には土塁、その間には朝倉氏の居館である朝倉館や大小の屋敷や寺院、さまざまな商家など、当時そのままの遺構を見ることができます。
実際に現地を歩きながら、歴史と地理に思いを馳(は)せてみてください。
取材・文/三浦香代子 構成/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 写真/木村輝
『 地形で読む日本 都・城・町は、なぜそこにできたのか 』
都が北へ、内陸へと移動したのはなぜか。城郭が時には山の上に、時には平地に築かれた理由。どのようにして城下町が成立し、都市が水陸交通と結びついていったのか。地形図や古地図、今も残る地形を読みながら、歴史の底流を追う。大好評の歴史地理学入門第2弾。
金田章裕著/日本経済新聞出版/1045円(税込み)