社会課題を解決するクリエイティブディレクターとして活動している、arca CEO辻愛沙子さん。辻さんにとって、読書は「思考を止めない」ために行う大切な作業だ。本を読むことでクリエイティビティが刺激され、前進する原動力をもらえているという。経営者として人として、「思考」を重ねる大切さを教えてくれた本を紹介してもらった。
私の人生にはモットーが2つあります。1つは「人はいつからでも気づけるし学べるし変われる」、そしてもう1つが「クラッシー&パンクス(上品さとパンク)」です。
CEOを務めるarcaのウェブサイトでも、「愛とパンクが未来をつくる」とうたっているほど、私にとっては大事なものです。
そんな私のモットーとシンクロした1冊の本があります。それが、 『ビジネス・フォー・パンクス』 (ジェームズ・ワット著、日経BP)です。
ブリュードッグというイギリスのクラフトビールを製造する会社が、どのような思想と起業プロセスで生まれ、どのようなマーケティングを経て、今に至るかをつづった起業家の自叙伝のような作品です。
野性的なメッセージに共感
もともとクラフトビールが好きで手に取ったのですが、事あるごとに何度も繰り返し読んでいます。特に起業してからは、この本から得られる学びやメッセージが読むたびに変化していますね。それは、私がビジネスをしていくうえで大切にしたい美学や美意識の部分に、深く響くからかもしれません。
この本は、ビジネスのノウハウやハウツーを指南するというよりも、「人間としてどう振る舞うのか」「企業やサービスのファンへの向き合い方とはどうあるべきか」といった思想や企業哲学について語っています。決して、ビジネスのやり方を解説しているビジネス書ではありません。何せ冒頭から「始めるのはビジネスじゃない。革命戦争だ」と言っているくらいですから。
私自身、教科書に沿って細かいプロセスを堅実になぞるような作業が苦手なのですが、この本の、なんていうか、野性的な部分に心が動かされるのです。崖の危険性と登り方のプロセスを教科書的に教えてくれるのではなく、何のためにこの崖を登りたいのかについて考えさせてくれたり、自分で登りきる気力や英気を養う方法を教えてくれたりするような感覚です。
企業の思想や哲学という観点では、最近読んだ 『MUJIが生まれる「思考」と「言葉」』 (良品計画著、KADOKAWA)にも感銘を受けました。
MUJIを展開する良品計画は、企業としてのスタンスはパンクスなブリュードッグとは企業のスタンスが真逆なのですが、ビジネスをしていく姿勢にはどこか共通するものを感じます。
誠実さは、選択の積み重ね
読み進めると、私自身も誠実な人間でありたいと思わせてくれる1冊です。
誠実さって、先天的な性格のように思われがちですが、実際は、一瞬一瞬を誠実であろうと意志を持った選択の積み重ねで、能動的な行為であるということを改めて感じられる一冊です。
ブリュードッグのダイナミックな企業思想と良品計画の誠実さ、どちらも大切にしていきたいですね。これからも何度も読み返すことになると思います。
いつだって時代は過渡期
最後に紹介したいのは、 『新装版「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日』 (馬場康夫著、講談社+α文庫)。小谷正一氏、堀貞一郎氏という2人のプロデューサーを軸に、日本に東京ディズニーランドが上陸した時代を追ったノンフィクションです。
本の中に出てくる「いつだって時代は過渡期だし、キャンバスは真っ白なんだよ」というフレーズには、いつも勇気をもらっています。
今は、コロナ禍。ジェンダーを含め、あらゆる多様性に関して、まさに過渡期だと感じる日々。でも、この先何が起こるか分からない、先行きが分からないという今の状況が特別なのではなく、いつの時代も同じように先が見えないなかで進んできたんだということ。自分で変化をつくっていけば、時代は過渡期になるんだ、と改めて教わりました。
前回の記事 「辻愛沙子 「自分は差別をしているつもりはなかったのに」 で紹介した 『差別はたいてい悪意のない人がする』 (キム・ジヘ著、大月書店)と同様、学びが得られるだけでなく、この本たちは「自分はその変化にどう向き合うのか、何を作っていくのか」と問いかけてくれる存在かもしれません。
私は、どちらかというと、思考やパフォーマンスにムラがあるタイプです。アイデアが次々浮かび、過集中と言えるほど“爆烈に”事を進めることができる時もあれば、もやもやと考え続け足が止まってしまうような時もあります。
泥臭さのなかに希望がある
ただ、この本を読むと、「ディズニーランドですらこれだけ行き詰まったんだから、私がもやもやするのも至極当然なことだ」と、客観的に自分の状況を見ることができ、鼓舞されるんです。
日本には、漫画やアニメのように世界的に高く評価されるものはもちろん、俳句の五七五しかり、独特の情緒、『MUJIが生まれる「思考」と「言葉」』の中でも言及されている余白やわびさび、四季折々の移ろい…と美しさを見いだせる部分がたくさんありますよね。
一方で、クリエイティブやエンタメ、人の可能性のような無形のものに対して価値が置かれにくく、お金や人が集まりづらい風土があることを、仕事を通じて感じることが度々あります。本来、日本の文化は、ハード面にもソフト面にも可能性を秘めたものがあるはずなのに、なぜ現状はこうなのかと無力感に陥ってしまうことすらある。
そんなときにこの本を読むと、希望を感じるんですよね。どんな素晴らしいものにも背景があって、人の関わりや努力がある。その泥臭さを思い知ることができます。つい、完成されたアウトプットやパフォーマンスに注目が集まりがちですが、もう少し因数分解してみると、それを作ってきた人がいて、作ってきた時間がある。そうして積み重ねた結果なんだな、と。
私自身も、考えること、思考を重ねること、もがくこと…人生を放棄しないで、できることをやっていきたい。いちクリエイターとしても、いち経営者としても、一人の人間としても、初心に立ち返り、奮い立たせてくれる思い入れの強い作品です。
取材・文/真貝友香 構成/長野洋子(日経BOOKプラス編集部)
本写真/スタジオキャスパー