ロシアのプーチン大統領は、10代半ばからKGB(ソ連国家保安委員会)に入ることを熱望していた。念願かなってKGBで働き始めたプーチンは、東ドイツのドレスデンに着任する。その頃のプーチンは何をしていて、どのような人物だったのか。プーチンとその仲間たちがロシアを支配する過程の裏側を追った書籍『 プーチン ロシアを乗っ取ったKGBたち(上) 』(キャサリン・ベルトン著/藤井清美訳/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

KGB入りを熱望

 ウラジーミル・プーチンは対外情報機関で働くことをずいぶん前から夢見ていた。彼の父親は第二次世界大戦中、ソ連の秘密警察NKVD(内務人民委員部)に所属していた。敵陣深く入り込んでドイツの拠点を破壊しようとし、捕虜になるのは辛うじて免れたものの、命に関わるような重傷を負った。父の勇敢な行動に憧れて、プーチンは子どものころからドイツ語の学習に熱心に取り組んでいた。

 10代半ばにはKGBに入ることを熱望していたので、KGBレニングラード支部を訪れて、卒業前からでもここで働きたいと申し出た。だが、まず大学を卒業するか軍役につくかのどちらかが必要だと言われただけだった。

 30代初めに対外情報将校を育成するエリート校、赤旗大学についに入学したとき、プーチンにはこれによって子ども時代のさえない暮らしからの脱出が保証されたように見えた。プーチンは貧しい子ども時代を過ごし、共同アパートの階段でネズミを追いかけたり、他の子どもと取っ組み合いの喧嘩をしたりしていた。その後、喧嘩のエネルギーを柔道――相手の攻撃に順応することによって相手のバランスを崩すという奥深い原理に基づく武道――の規律を習得することに向けるようになっていた。

プーチンは貧しい子ども時代を過ごしていた(写真/shutterstock)
プーチンは貧しい子ども時代を過ごしていた(写真/shutterstock)
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ドレスデンに着任

 KGBに採用されるためにはどのようなコースをとるべきかというKGBレニングラード支部の助言にしっかり従って、レニングラード大学の法学部で学んだ。1975年に卒業すると、KGBレニングラード支部の防諜部門で最初は潜入工作員としてしばらく働いた。しかし、公式には彼の初の外国駐在とされているものがやっと実現したとき、彼が赴任したドレスデン支部は小規模で目立たず、約1000人のKGB工作員が敵の「帝国主義勢力」を弱体化させるために動き回っていた東ベルリン支部の華やかさとは大違いだった。

 プーチンがドレスデンに着任したとき、そこに駐在していたKGB将校は6人しかいなかった。プーチンは年上の同僚ウラジーミル・ウソルツェフ――彼はプーチンをヴォロージャ、すなわち「年下のウラジーミル」と呼んだ――と、同じ執務室で仕事をした。そして、妻のリュドミラや他のKGB将校たちと住んでいた平凡なアパートから、2人の幼い娘を毎日ドイツの幼稚園に送っていった。西側と境界を接していた東ベルリンの陰謀活劇とは大違いの、平凡でのどかな生活のように思われた。

 彼はソ連の駐在将校を「友人」と呼んでいたシュタージ(東ドイツの秘密警察)の仲間たちと、スポーツを楽しんだり冗談を言い合ったりしていたようだ。シュタージ・ドレスデン支部長の特別補佐を務めていた人当たりのよい男、ホルスト・イェームリッヒとは、ドイツ文化やドイツ語についてちょっとした会話を楽しんだ。

 イェームリッヒは中佐の位階を持つ優秀なフィクサーで、町のあらゆる人間を知っており、工作員や情報提供者のために安全な家やアパートを手配したり、ソ連の「友人」たちのために物資を調達したりする仕事を担当していた。「プーチンはドイツのいくつかの慣用句にとても関心を持っていた。その手のことを本当に熱心に学んでいた」と、イェームリッヒは当時を思い出しながら語った。

 プーチンは控えめで思慮深い同志に見えていた。「彼は決して出しゃばらなかった。最前線に立ったことは一度もなかった」と、イェームリッヒは言った。彼はよき夫、よき父親で、「いつもとても親切だった」。

スパイをリクルートしていたプーチン

 プーチンがドレスデンに着任したころには、西ドイツはハイテク製品の供給源としてますます重要になりつつあった。KGBは西側の科学技術機密情報の入手を専門にしていた「T局」の将校ウラジーミル・ヴェトロフが80年代初めに西側に情報を提供したことによる大打撃から、まだ回復しきっていなかった。ヴェトロフは世界各地の大使館で「Xライン」、すなわち技術の密輸に従事していた250人のKGB将校全員の名前と、ソ連の産業スパイ活動の詳細を示す何千通もの文書を西側に渡したのだ。その結果、47人のスパイがフランスから追放され、そのうえ米国がソ連の違法調達ネットワークを妨害する大規模なプログラムを開発しはじめた。

 KGBはドイツでの活動を強化するために、シーメンス、バイエル、メッサーシュミット、ティッセンなどの企業でスパイをリクルートした。プーチンは明らかにこの活動に関与しており、西側の技術を東側陣営に密輸する手助けができる科学者やビジネスマンを協力者として取り込んだ。東ドイツ最大の電子機器メーカー、ロボトロンは、西側から訪れるビジネスマンにとって興味をかきたてられ、引き寄せられる磁石のような存在だった。

 「プーチンと彼のチームが西側と協力していたこと、西側に仲介者を持っていたことは知っている。だが、彼らは主としてここドレスデンでスパイをリクルートしていた」と、プーチンのシュタージの仲間、イェームリッヒは言った。「彼らは西側に行く前の学生をつかまえようとしていた。そうした学生を選んで、彼らが自分たちにとってどのように興味深い存在になりうるかを判定しようとしていた」

 KGBの将校たちは、スパイをリクルートするときはたいていシュタージの仲間に内緒で行動していた。当のシュタージでリクルートするときはなおさらそうだった。したがって、イェームリッヒはKGBの「友人たち」の活動をすべて知っていたわけではない。例えば、イェームリッヒはプーチンが秘密作戦のためにコードネームを使っているという話は聞いたことがなかったと主張した。

 しかし、何年も後に、プーチンは学生たちに自分は当時、対外情報作戦のために「いくつかの仮名」を使っていたと語った。当時の仲間の1人は、プーチンは「プラトフ」と名乗っていたと言った。これはプーチンがKGB赤旗大学で最初に与えられたコードネームだった。彼が使っていたと言われているもう1つの名前は「アダモフ」で、これは近隣のライプツィッヒ市でソ独友好会館の館長を務めていたときに使っていた名前である。

ドイツのドレスデン。KGBに入ったプーチンはこの街で働いた(写真/shutterstock)
ドイツのドレスデン。KGBに入ったプーチンはこの街で働いた(写真/shutterstock)
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リクルート作戦の実態

 プーチンが緊密に協力していたシュタージの工作員の1人が背の低い丸顔のドイツ人、マティアス・ヴァルニグで、彼は後にプーチン政権の不可欠な一員になる。プーチンにリクルートされた元シュタージ将校が後に語ったところによると、ヴァルニグはプーチンが「ビジネスコンサルタントを装って」ドレスデンで築いたKGBの下部組織の一員だった。

 当時、ヴァルニグはやり手で、西側の軍事ロケット・航空技術を盗むために80年代に少なくとも20人のスパイをリクルートしたと言われていた。74年にリクルートされたヴァルニグはスピード出世して、89年にはシュタージの情報技術局の副局長になっていた。

 プーチンは、KGBの拠点から電車で数駅丘を下ったドレスデンの歴史的街区、アムトーアの小さな薄暗いバーでたむろするのを好み、そこでよくスパイたちと会っていたと、当時プーチンと協力していたある人物は語った。

 リクルート作戦の主な猟場の1つは、エルベ川のほとりのベルヴュー・ホテルだった。ここは外国人を受け入れるドレスデンで唯一のホテルだったので、訪問中の西側の科学者やビジネスマンが大勢滞在しており、リクルートにはうってつけの場所だった。

 シュタージの観光部門が所有していたこのホテルの豪華なレストランや居心地のよいバー、上品なベッドルームには、隠しカメラと盗聴器が必ずついていた。西側から来たビジネスマンは売春婦にハニートラップにかけられ、部屋の中での姿を撮影され、それから脅迫されて東側のために働かされた。「われわれがこうした目的のために女性スパイを使っていることは、もちろん知っていた。あらゆる情報機関がこれをやっている。女性はときに男性よりはるかに多くのことを達成できる」と、イェームリッヒは笑いながら言った。

NATOに関する情報収集が任務

 プーチンがはるばる西側まで出かけてリクルート活動を行ったかどうかは、永遠に謎かもしれない。彼のKGB時代の仲間たちが語っている公認の話は信頼できない。彼自身は、そのようなことは一度もしたことがないと主張してきた。おまけに、彼の同僚たちは、西側でのリクルート活動ではなく、東ドイツの近隣の町へののんびりした長期の「観光」旅行についてよく語っていた。

 だが、プーチンの主な任務の一つは、「主たる敵」NATO(北大西洋条約機構)に関する情報収集であり、ドレスデンはミュンヘンや500キロ離れたバーデン=ヴュルテンベルク――どちらも米軍やNATOの部隊の駐屯地――でリクルートするための重要な前哨基地だった。

彼らは目的のために手段を選ばない

資本主義を取り込んだKGBの復活、オリガルヒの没落、飽くなきプーチン勢力の富と権力の奪取--。プーチン勢力がいかにロシアを変質させ、食い物にし、世界を混乱させてきたのかを、元FT記者が冷静なタッチで明らかにするかつてないドキュメント。

キャサリン・ベルトン著/藤井清美訳/日本経済新聞出版/上下巻とも2090円(税込み)