これからの広告はどのようにあるべきか――。世界最大の広告祭「カンヌライオンズ」で審査員を務め、長年にわたって世界最先端の広告動向を肌で感じてきた杉山恒太郎さんは、一つの結論に達しつつあります。その答えは、「広告の中の広告」とも言える公共広告の中にあるようです。「Think Public」は、今杉山さんが最も広告業界に伝えたいメッセージでもあります。[日経クロストレンド 2025年7月24日付の記事を転載]
広告コミュニケーションも多様化の時代
「カンヌライオンズ」はダボス会議のクリエイティブ版へ変貌していると感じている今日このごろ。僕は30年以上にわたってカンヌライオンズを体験してきた。
カンヌライオンズの通称で知られる「カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバル(Cannes Lions International Festival of Creativity)」は、毎年6月にフランスのカンヌで開催される世界最大規模の広告・コミュニケーションフェスティバルだ。1954年に創設され、長らく「カンヌ国際広告祭(Cannes Lions International Advertising Festival)」の名を冠していたが、2011年に「広告」(Advertising)から「創造性」(Creativity)へと発展的な改称がなされた。広告祭なのに、自ら「広告」という言葉を外すなんて大胆に思えるけれど、しっかり先を見据えての変革だった(カンヌのマーケティングはしたたかである)。
僕がカンヌライオンズの日本からの国際審査員に抜てきされたのは1991年のこと。日本人の現役クリエイターとして審査員を務めたのは、おそらく僕が初めてだったと思うけど、一堂に会した審査員たちは世界のテレビCM界のスタークリエイターばかり。当時は、本当にピュアな広告クリエイターが集う祭典だった。
ところが、今はゲームやソーシャルメディアといったサイバー系の部門が増え、マーケティングリサーチやコンサルティングファーム、データサイエンスといった分野の人たちが多く来場する。スペシャルゲストは2023年がOpenAI(オープンAI)の CEO(最高経営責任者)のサム・アルトマンで、24年はなんとイーロン・マスク! 彼が登場した時は黒山の人だかりで歓声が上がり、広告コミュニケーションの多様化を実感する一面だった。
僕はこれまで3回審査員を務め、今は小さな講演を任されている。25年のカンヌで個人的に最も印象的だったのはこの言葉だ。
L'Information n'est pas L'Opinion
情報は世論(輿論・よろん)ではない
デジタルサイネージに突然映し出されたもので、確かフランスのメディアの発信だったと思う。これを見て僕は、かつてIBMが発した「我々はバズワード(buzzword)は使わない」という言葉を思い出した。
バズワードとは流行をつくるための広告的なキャッチフレーズ(惹起・じゃっき)のこと。これまで様々なコピーライターが優れたバズワードを生み出してきた中で、IBMがこの言葉を発信したのはコンサルティングファームがカンヌを席巻し始めた頃。つまり従来の広告代理店に対する最大の皮肉であり、ずいぶん挑戦的だなと感じて、思わず笑った。
社会学者の佐藤卓己さんによれば、大正期まで「世論=情緒的・私的なもの」と、「輿論=理性的・公的関心なもの」は明確に使い分けられていたという。Opinionを世論とするか、輿論とするかの解釈は分かれるところだが、「情報は世論(輿論)ではない」というキーワードは、情報化社会に対する疑問符を投げかけた興味深いものだった。
国際舞台に立つためには人間力も重要
話を少し前に戻そう。正直に打ち明けると、僕は1991年にカンヌの審査員になった時、それなりに自信を持って挑んだ。当時の日本はバブル絶頂期で広告界も勢いがあり、「日本の広告が世界で一番面白い」なんてもてはやされていたから、「日本のクリエイティブはトップクラスなのかな」と思っていた。
しかし、そんな自信はすぐに打ち砕かれた。日本の広告界と海外の広告界では多くのことが異なり、僕たちの常識やルールは枝葉としては一流だったけど、根本の幹そのものではなかった。
以前触れたクラフトマンシップもその一つ。海外のクリエイターは独自のメソッドや様式美を持ち、説得力のあるビジュアルランゲージ(ノンバーバルに伝わる視覚言語)で作品をつくり上げる。彼らの高度な職人芸と、その根幹にあるアイデアの発想力には舌を巻いた。
学びを得たのはクリエイティブな面ばかりではない。欧米のクリエイターはカンヌで大きな賞を獲るとほぼ独立する。受賞した瞬間から仕事の依頼が入ってくるくらい、カンヌはビジネスとリアルに直結した影響力の大きいイベントなのだ。だから、みんな支持を得ようと必死にアピールしている。
そのためか、選考の重要な局面に入ると、さながら選挙のようにアングロサクソン系とラテン系で対立するような構図が生まれることも珍しくはない。のんびりしているのは僕たち日本人と北欧の人たちくらいだ。当時の日本はロビイング的な活動が忌避される傾向にあったし、僕自身、初めての経験で状況を把握できていなかったから傍観に回っていた。
ところがある日、英国の女性ジャーナリストがこんな現地リポートを発信した。
「日本人やスカンディナビア人は、アングロサクソンとラテンはすぐ組むなんて不平を言うけれど、あなたたちはもうスクールボーイじゃない」
「あなたたちはもうスクールボーイじゃない」という言葉にどれほど頭をガツンとやられたか。厳しい世界で勝ち抜くためには、できることは何でもすべきだ。それをやらずに文句だけ言うのは負け惜しみに過ぎないと。国際舞台での自分の甘さを痛感した瞬間だった。
ありがたいことに翌年も審査員を拝命したので、その時は積極的に交流を図り、本音で語り合った。すると、みんなが仲間として受け入れてくれて、世界が一気に広がった。それから僕は世界のトップクリエイターたちと仕事をするようになっていくんだけど、その話はまた別の機会にしようと思う。
残念ながら日本では、カンヌライオンズで大きな賞を受けても、海外のようにすぐ独り立ちできるほどの影響力はいまだにない。その頃は僕が毎年、テレビ朝日の情報番組『トゥナイト』でカンヌライオンズの報告をしていたんだけど、今は番組などで取り上げられることもあまりないから、一般的な知名度はむしろ低くなっているかもしれない。
ただ、規模は違えどカンヌも国連やダボス会議での外交と同じだと僕は感じている。例えば、第2次大戦後に吉田茂元首相の側近として活躍した実業家の白洲次郎がGHQ(連合国軍総司令部)にひるむことなく主張できたのは、彼が海外で培ってきた人間力があったからだろう。もちろん、クリエイターとしての一定の技術やセンスがあることは大前提だけれども、普段から一流の人たちと本音で付き合える関係性を構築しておくことも、未来への道を拓くために必要だと思う。
「世の中をもっとよりよくするため」の広告を
カンヌライオンズは様々な気付きを与えてくれたが、最も大きかったのはグローバル社会における「公共広告」の存在意義を知ったことだ。以前の僕は、公共広告というと、消費を促す日頃の業務への後ろめたさから、社会正義に目覚めて思いつきで制作する腕試しのような仕事――そんなイメージを持っていた。
しかし、これは全くの誤解だった。人生に明暗があるとすれば、広告はもっぱら明るい側、つまり笑顔を描くものだという不文律がある。しかし、公共広告はドラッグや人種差別、ハンディキャップ、幼児虐待といった、一般的な商品広告では触れることのできない社会課題に公然と切り込むことができる。そして、アイデアと表現で世間の価値観を更新できるのだ。
文化や芸術は明暗があってこそ成り立つもの。人間や社会のダークサイドまで描くことができる公共広告こそ、自分のクリエイティビティやプロフェッショナリズムを存分に発揮できるし、社会的なインパクトも大きい。世界のトップクリエイターたちは、そのことをよく理解していた。実際、英国などではエイズの啓発キャンペーンが偏見を減らし、まん延防止に功を奏したという話も耳にした。
広告が持つ影響力を世の中に分かりやすく示すのが公共広告。つまり、公共広告は「広告のための広告」でもある。そのような結論を導き出した僕は、再びカンヌの審査員を務めることが決まった時、自らも出品して“リベンジ”をしようと考えた。そして、公共広告機構(現ACジャパン)のご理解を得て、家庭排水のCMをつくった。
海水汚染は工業排水だけでなく、家庭排水も原因である。そのことを伝えるために、台所のシンクにソースを流すと、海に棲(す)む人魚が汚水を頭からかぶってしまうという内容で、カンヌで入賞を果たした。
その後、1999年のカンヌでソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)が欧州で公開したプレイステーションのテレビCM「Double Life」がフィルム部門のグランプリを受賞した。人には昼の顔と夜の顔があるというコンセプトの下、明暗の両サイドを描いた傑作で、商品広告にもかかわらず人の暗部に堂々と触れたことに大きな衝撃を受けた。
世界のクリエイティブはそこまで人間の心の奥底へ大胆に入っていくのか。僕はまた一つ大きなハードルができたと感じた。それからは折に触れて「広告から公告へ」という言葉を通して広告を社会化することの重要性を発信し続けている。
僕は今、広告は「Think Public」の時代にあると感じている。インターネットが普及し、広告コミュニケーションが多様化したカンヌライオンズにおいても、評価基準の根底には「Think Public」の有無があると捉えている。今の広告には「Public」、つまり公共性が求められているのだ。
テレビを中心としたおよそ80年の現代広告の潮流には、幾度かの転換期があった。最初は1960年、何事も大きいことが素晴らしいと考えられていた米国で、広告代理店のDDBが独フォルクスワーゲンの「ビートル」の広告で打ち出した「Think small」だ。燃費の悪い大きな車が本当に良いのだろうか、という疑問を「Think small」キャンペーンを通して訴えかけ、価値の転換を図り新しい市場を創った。
第2の転換期は、米Apple(アップル)が97年に展開した「Think different.」キャンペーンだろう。低迷期にあったアップルは、アインシュタインやエジソンなどのモノクロ写真とともに「違うこと」を強みにすることを掲げ、世の中に大きなインパクトを与えた。ただ消費を促すのではなく、新しい価値を提案して消費者を生み出す。これが本当の意味でのマーケティングだと思う。
おこがましいかもしれないが、「Think Public」は「Think small」、「Think different.」の流れをくむ第3の潮流である。「Public」への転換期となったのは2007年、ドキュメンタリー映画『不都合な真実』で注目を浴びた米元副大統領のアル・ゴアに、カンヌライオンズが緑色に塗ったトロフィー「グリーンライオン」を授与した時だろう。
授賞式の夜、アル・ゴアは「皆さんのコミュニケーションの経験と知見をもっと世の中のために使ってほしい」とスピーチし、世界の広告界は盛大な拍手を送った。その時から「for good」、つまり「世の中をもっと良くするために」という考え方が広がり、公共広告のみならず一般的な商品広告においても、カンヌの評価の基準に「Think Public」が感じられるようになった。
そんなことを考えながら、このたび『 THINK PUBLIC 世界のクリエイティブは公共の課題に答えを出す 』(宣伝会議)を上梓した。僕が見てきた世界の広告の潮流を一冊にまとめたものだ。ある後輩が、広告の役割が大きく変わったとして、SNSでこう発信している。
「広告の役割は広告主が商品を売るための宣伝にとどまらない。メディアやプラットフォームを支え、生活者にとって情報やコンテンツを(無料で・安価に)届ける社会的機能を果たしている。さらに、今日では、情報流通・文化創造・メディア財源・データ経済の四層を束ねる『社会のOS』ともいえる」
全くの同感である。拙著は、こうした広告の機能と影響力、それによる世の中の変化を、人々の心を動かした広告作品を通してたどる新しい“広告史”にしようと試みたもの。世の中の価値を変えてきた広告界の先人たちへの最大のオマージュを込めたこの一冊が、次世代へとつながっていけばうれしく思う。

