M&A(合併・買収)を実施する上で理解しておくべき3つの原則がある。それは「企業価値最大化の原則」「ディール実現のフレームワーク」「ベストオーナーの原則」だ。『マッキンゼー 価値を創るM&A』(加藤千尋、呉文翔、福富尚、山﨑敦著/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

企業価値最大化の原則

 企業価値創出を目的としてM&Aを行う場合には、具体的には何を実現すればよいのだろうか。企業価値算出の観点より、ここでは2つの概念を示す。

 まず1つ目はいわゆるDCF法に基づいた考え方であり、企業が将来生み出すキャッシュフローを資本コストと呼ばれる割引率で割り引いて企業価値を算出する。この考え方に基づくと、企業価値の最大化は将来のキャッシュフローの最大化、および割引率の最小化によって実現できる。

 もう1つの考え方は、いわゆる収益マルチプルに基づいた考え方であり、例えば企業のEBITDA(利払い・税引き・償却前利益、例:実績もしくは1~3年先予測)と企業価値/EBITDAマルチプルを掛け合わせて企業価値を算出する。この考え方に基づくと、足元のEBITDAを最大化することと企業価値/EBITDAマルチプルを最大化することによって企業価値を最大化できる。マルチプルはROIC(投下資本利益率)、キャッシュフローの成長率、資本コストの3つの要素から構成され、マルチプルの最大化はROICの最大化、成長率の最大化、資本コストの最小化(ただし、WACC[加重平均資本コスト]よりもROICが高い前提)により実現される。

 企業価値最大化の原則は数字上は単純である。上記の2つの考え方のどちらにおいても、ROICや成長率を高めることにより将来のキャッシュフローを最大化するか、最適資本構成の実現等で資本コストを最小化することが企業価値の最大化につながる。

 経営陣は企業価値の最大化に向けて、企業の「ヒト・モノ・カネといった限られた資源」を配分する意思決定を行っていく。既存事業の設備投資、研究開発、オペレーション改善、セールス&マーケティング、M&A、新規事業、株主還元、といった様々な配分先が存在する中で、どのような資源配分がROICや成長率の最大化に寄与し、それを実施した場合のWACCはどの程度になるのかといった思考を常に持つことが肝要である。

 そして様々なトレードオフ、不透明な将来、資源の有限性、組織面での制約などを踏まえて企業価値の最大化につながる投資機会を取捨選択することが、経営陣に期待される役割である。M&Aを実行する意思決定においても、このような考え方は重要である。

M&Aディール実現のフレームワーク

 企業価値最大化の原則と併せて、M&Aを実施する上で理解しておきたい原則をもう一つ紹介する。ディール実現のフレームワークである。図にあるように、M&Aディールが成立する場合、理論上では、譲渡価格は必ず対象企業のスタンドアローン価値と、それに創出シナジー額を加えた金額の間に着地するはずである。

(出所)『マッキンゼー 価値を創るM&A』
(出所)『マッキンゼー 価値を創るM&A』
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 対象企業の株主は、現時点のスタンドアローン価値よりも低い価格帯においては売却せずに継続保有する方が望ましい。一方、買い手は自社とのシナジー創出分を超えるプレミアムを支払った場合、自社で享受できるエコノミクスがなくなってしまう。したがって、この価格よりも低い価格にならないと買収する合理性がない。結果として買収価格はこの両者の間で落ち着くはずである。この落としどころが、買い手がこのM&Aにより将来実現するシナジーの価値のうち、買い手が獲得できる価値と対象会社の株主へ支払うプレミアムの配分を決定する。

 一方、日本企業が買い手となる実際のM&A案件を見ると、かなり高いプレミアムで買収を行っている案件も散見され、時としてディール実現のフレームワークに沿っているかの妥当性に疑問が生じる。もしプレミアムを正当化するシナジーが想定されないまま買収価格が提示されていたとしたら、買い手の株主価値が毀損(きそん)される恐れがあるため、そもそもその案件をするべきかの意思決定にかかわる。

 日本企業の平均的な支払プレミアムは30%超と言われており、欧米企業の25%程度のプレミアムよりも高い。単純には、売り手は将来創出されるであろうシナジーをディール実施時に即時に享受できる。逆に買い手はプレミアムを超えるシナジーをまず実現する必要がある。もし30%のプレミアムを支払った場合、買収企業の価値を30%増大化させてはじめてブレイクイーブンとなる。

 30%の企業価値増大化は必ずしも容易ではなく、10〜20%程度の価値向上しか実現できない場合はこのM&Aで買い手企業の企業価値は毀損されることになる。言い換えると、支払プレミアムを上回るシナジー創出を実現することがM&Aの大原則となる。逆に、支払プレミアムを上回るシナジー創出の見込みが低い場合、そのM&Aは理論的には実施するべきではないと言える。

ベストオーナーの原則

 もちろん、多くの経営陣は前述のプレミアムとシナジーの関係は教科書的なフレームワークとして十分理解していると認識している。むしろ、実際には自社が最終的に支払うプレミアムや買収前の時点でのシナジー創出の見通しが不透明な中、そのディールの実施是非を現実的にどう整理して意思決定するべきかに悩んでいることと思う。

 その出発点として、ベストオーナーの原則は有効な考え方である。ディールにおけるシナジーの創出額は買い手企業によって異なる。つまり、ある買い手候補A社は100億円の企業価値創出が実現でき、別の買い手候補B社は200億円の企業価値創出が実現できる、といった具合である。その場合、理論上B社の方がA社よりも高いプレミアムをディール実施時に支払っても自社の企業価値を創造することが可能となる。

 仮に世界中の全ての企業がある企業C社の買収を検討しているとする。その場合、他のどの企業よりも高いシナジー創出が可能となる企業が、最も高いプレミアムを含む買収価格を提示でき、買収を実行できることになるだろう。この最も高いシナジー創出が可能な企業こそが「ベストオーナー」と呼ばれる。

 しかしながら、現実的に世界中の企業からベストオーナーが名乗り出るわけでも見つけられるわけでもない。実際のM&Aでは限られた買収候補の中で上記の原則が適用される。したがって、買い手としては、「今の売り手や他の買い手候補よりも自社がベストオーナーであるか?」という問いかけが必要となる。

 また、ベストオーナーはビジネスのステージによっても異なると考えられる。例えば、スタートアップ企業の初期には情熱を持っている起業家が最も望ましい場合が多い。そこから事業がスケールしていく際には、様々な助言を与え、人材や取引先などのネットワークを提供してくれるベンチャーキャピタル等が望ましくなる場合もある。さらにある程度の規模に達すると、ベストオーナーは対象事業の将来の成長性や隣接領域とのシナジーの有無等で決定される。

最も高いシナジー創出が可能な企業はベストオーナーと呼ばれる(写真:Parradee/stock.adobe.com)
最も高いシナジー創出が可能な企業はベストオーナーと呼ばれる(写真:Parradee/stock.adobe.com)
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 このように、ベストオーナーには様々なパターンがありうる。例えば、規模の経済や隣接事業とのシナジーが創出可能となる場合は、類似事業をポートフォリオに持つ大企業がベストオーナーと考えられるかもしれない。また、事業によっては、難易度の高いコスト削減やリストラクチャリングを実現できるようなバイアウトファンドがベストオーナーとなるケースも存在する。

 このベストオーナーの原則には唯一絶対の解は存在しない。客観的な測定が難しいため、ガイドラインとして認識し、自社の事業や買収対象について常に問いかけを続けることが肝要である。加えて、ベストオーナーに関しては時間軸を意識する必要もある。例えば、足元(買収前)で必ずしもベストオーナーではなかったとしても、数年以内に想定シナジーを発現させるための投資やケイパビリティ強化を強い意志を持って断行し、ベストオーナーになってプレミアムを回収することも考えられる。

 残念ながら、日本企業においてこのベストオーナーの原則は十分に浸透しているとは言い難い。買収の交渉において、競合入札者に対して自社がベストオーナーである根拠を明確にして交渉に臨む例もまだ十分に多くないと考える。さらに自社の事業ポートフォリオ管理においても、保有事業の売却判断にもこの考えを適用すべきであるが、ベストオーナーへの売却による価値最大化に踏み切ることができない企業はまだまだ多いと感じる。

M&Aを数多く支援してきたマッキンゼーの知見を集約

さらなる成長を目指す日本企業が、いかにしてM&Aを組織能力として構築し、価値創造の成功確率を向上させるべきか。この経営課題に関する問いを解き明かすのが、本書のミッションである。

加藤千尋、呉文翔、福富尚、山﨑敦著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)