過去の日本企業によるM&A(合併・買収)や価値創造の原則をたどり、日本企業の経営陣が意識すべきM&A成功の要諦を考える。決して必要十分条件ではないが、いずれも重要な心構えとして認識するに値すると考える5つに絞り、経営陣の視点からM&Aを成功させる上での必要な心構えを提起したい。『マッキンゼー 価値を創るM&A』(加藤千尋、呉文翔、福富尚、山﨑敦著/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。
M&Aは目的ではなく、あくまで手段
M&Aで成功するために重要な心構えの1つ目は、「すべてのM&Aにおいて全社戦略や事業戦略とM&Aテーマの一貫性を保持すること」である。最も重要で外すべきでない心構えと言えよう。M&Aはあくまで全社および事業戦略を実現するための手段であり、場当たり的にも独立的にも実施されるものではない。投資銀行、銀行、M&A仲介会社等からの持ち込み案件を頼り、いわば受動的にM&Aに取り組むのは望ましくない。自社の買収候補リストを明確な基準に沿って常に手元に持ち、それを能動的に推進し、更新するエンジンを構築して運営することが重要である。
2つ目の心構えは、「M&Aで対象会社から獲得するケイパビリティを明確化し、明確なシナジー説明ができるようにすること」である。一見、当然のように聞こえるが、必要な具体性を伴って実践するのは難しい。これが十分にできていない日本企業では、M&Aのテーマの抽象度が高すぎることが多い。およその業界や領域を設定するだけでは不十分で、具体的にどのようなケイパビリティを取得するのかを設定する必要がある。
さらに、自社が対象企業に提供する価値(シナジー)も同様に明確化することも、その後のアプローチやディール交渉を見越して重要である。これらを明確にすることにより、どのような企業を買収すべきかの評価と選択の基準がはじめて明確になる。対象とする業界や業種にある様々な企業のロングリストから、本当に詳細検討やアプローチすべきショートリストの企業を絞り込めるくらいに選択基準が明確にできているかが、この心構えが実践できているかどうかの基準線になると考えるのがいいだろう。
3つ目は「M&Aは負けから始まるゲームであると認識すること」である。M&Aのほとんどでは構造上、「未実現のシナジー価値」の一部をプレミアムとして売り手側の株主に先払いしている。一定程度のシナジーを醸成してはじめてブレイクイーブンに立つという性質のゲームである。M&AにおけるPMI(買収後の組織統合)やガバナンスの徹底が重要な理由もこの点が大きくかかわる。アップフロントで対象会社の本源的な価値以上の価格を支払っているということは、シナジーの創出は絶対なのである。このシナジー創出の計画、蓋然性、進捗を随時示し続けることが、株主に対する最低限の責務であると考えられる。
また、買収した会社自体の業績のマネジメントやガバナンスも同様に重要である。M&Aがクロージングしたら関心を失ってしまったり、対象会社を「尊重」の名の下にほぼ放置してガバナンスやシナジーに十分に力を注がなかったりすることは、貴重な資本のアロケーションや価値創造という経営陣の役割を十分に果たしているとは言い難い。「負けから始まるゲームである」であるM&Aにおいて成功を収めるには、経営陣としてPMIやガバナンスに十分な労力や注意を注ぐことは必須である。まずは心構えとして、必ずシナジー創出やガバナンスまで経営陣の責任をまっとうすることを念頭にM&Aに臨むべきである。
経営陣の意思決定に求められること
4つ目は、「M&Aにおける経営陣の役割を『鍵となる重要な数々の意思決定を行うこと』と認識すること」である。M&Aは各段階で無数の意思決定が求められる長丁場である。経営陣としては、数ある意思決定において詳細に入りすぎても、現場に任せきりにしてもいけない。戦略策定からの各段階における鍵となるいくつかの意思決定を、価値創造の原則やM&Aの目的に則って一貫して行うことが経営陣の責務ということである。
加えて、その意思決定をタイムリーに実施することが鍵となる。特にディール交渉においては、自社の通常の時間軸でゆっくり時間をかけて情報を現場に集めさせ、何度も検討しながら判断する余裕のあるディールは極めて限られている。オークションではなく相対のディール交渉であっても、対象会社は将来のオーナー候補である買い手の意思決定のやり方を注視しており、信頼関係の構築にもかかわる。言わずもがなだが、意思決定の時間切れで他の買い手にディールを奪取された例も多く存在する。
例えば、あるグローバルの消費財企業ではCEOがM&Aを強く推進していた。社内での調整から海外の売り手との交渉までCEOが積極的に参加していたのは評価されるべきではあるが、最高意思決定者がディールチーム側に強く寄り添うことになり「ディールをしたい」気持ちが前面に出るようになってしまった。このような状況になると、「企業価値の最大化を実現するための正しい意思決定をファクトに基づいて実施する」といった本来の目的よりも、「ターゲットを買収したい」という気持ちが強くなってしまうことが多く、客観的な判断ができなくなってしまう。
また、別の例としては、あるエネルギー企業においてCEOがM&Aに関する意思決定をすべて執行役員に委任しており、取締役会決議等において当該M&Aに関する自身の意見を放棄していた。規模が小さい案件の場合はそれほど大きな問題にはならないが、特にM&Aが中期経営計画等で重要なコーポレートイベントとして位置付けられている場合、CEOがある程度責任を持った意思決定をする必要がある。経営陣によるM&Aの意思決定は、ディール段階に限らず、戦略からPMI、ガバナンスを通して一貫して遂行すべきである。
各段階によって具体的な関与メンバーや会議体は異なることが多いが、価値向上の原則やM&Aの企業戦略における目的は一貫しているはずである。戦略からPMIの完了まで数年単位に及ぶ長丁場のM&Aの旅路において、各段階での鍵となる意思決定をなるべくあらかじめ社内で定義し、必要な情報を適切な粒度かつ適切な量で適切な意思決定機関に提供し、企業価値最大化の観点から意思決定を行えるようにすることが経営陣のM&Aにおける本質的な役割と言える。
ほとんどすべての企業では、経営陣にも現場にも適切な意思決定を狂わす構造的なバイアスや癖、落とし穴が数多く存在する。さらに、日本企業には特有のM&Aにおける「癖」とも呼ぶべき傾向があるというのが我々の実感でもある。この癖や落とし穴に落ちずにM&Aを確度高く遂行していく力が、組織能力としてのM&Aであるとも言える。
M&Aの学びを組織知として蓄積する
5つ目は、「M&Aはワンタイムイベントではなく組織能力であり、M&Aを継続して成功させる組織能力の強化を継続すること」である。M&Aの成功には、「これさえやれば大丈夫」といった特効薬はない。
しかし、継続してM&Aを成功させる組織能力は存在しており、構築や強化が可能なものである。M&Aは組織能力なので、属人的に1人や数名の力に頼るものではない。また、一足飛びに実現できるものでもない。一つ一つのディールにおける各ステージの行動をベストプラクティスに近づける中で身に付くものである。成功・失敗によらず、振り返りと反省を繰り返し、その学びを組織知として蓄積することで、M&Aの実力が向上していくのである。
プログラマティックM&A( 「マッキンゼー M&Aで成功する企業の類型とは?」 参照)を行う多くの企業では、M&Aのテーマや価値創造の「型」も、自社の戦略に沿ってパターン化していることが多い。投資命題や価値創造のやり方が近いほど、自社のプレイブック(手順の詳細が経験に基づきまとめられた定石集)の完成度が上がり、成功確率も上がるはずである。
さらなる成長を目指す日本企業が、いかにしてM&Aを組織能力として構築し、価値創造の成功確率を向上させるべきか。この経営課題に関する問いを解き明かすのが、本書のミッションである。
加藤千尋、呉文翔、福富尚、山﨑敦著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)

