日本企業が海外企業をM&A(合併・買収)する事例が増えているが、急速に進む円安と高まる地政学リスクはどのような影響を与えるのか。『マッキンゼー 価値を創るM&A』(日本経済新聞出版)の著者でマッキンゼーのコンサルタント、加藤千尋氏、呉文翔氏、福富尚氏、山﨑敦氏に話を聞いた。後編の今回は呉氏、福富氏が答える。

前編 「マッキンゼーに聞くM&A『成功・失敗の経験値がカギ』」

資本コストに対する考え方

日本企業はキャッシュを持っている一方で、株主や東京証券取引所からの資本効率改善のプレッシャーでリスクを取ることが求められています。2020年代後半に向けて、どのような準備やリスク管理が求められるのでしょうか?

呉文翔氏(以下、呉) 資本コストに対する考え方への準拠は不可避であると考えます。ここ数年で、日本企業は、これまでの多面的なステークホルダーを向いた経営から、株主価値の最大化を図る経営へと大きく変化しました。低金利で資金の借り入れコストが低いにもかかわらず、レバレッジが過小(借り入れが少ない状態)だったり多額のキャッシュを保有したりしている場合、その説明が求められますし、営むビジネスのリスクに応じた資本コスト(投資家が期待するリターン)を設計することが求められます。すなわち、資本効率改善のプレッシャーによってリスクを取るのではなく、事業特性のリスクに見合った資金調達を行うことが求められているのです。

 また、2023年に経済産業省が「企業買収における行動指針」を発表して以降、同意なき買収であったとしても、株主価値を最大化する提案であれば、買収が成立することが増えてきています。特に上場企業は、このような外的圧力に今後もさらされていくことが想定されます。つまり、自社の財務面での観点からも、全社戦略の一環でM&Aを企図することは不可欠になっている企業が増えていると考えます。

 M&Aの目的をIR(投資家向け広報)などで表明するだけで実際に価値創造が実現できないターゲットを狙うのではなく、実際に自社が価値創造できる投資・提携対象を真剣に探すことがまず必要な準備だと考えます。さらには、自社の一部事業を売却候補として、ベストオーナーに最大の価値で譲ることも株主価値の最大化の一環で、併せて考慮すべきであるという点も付け加えておきます。

「自社の財務面での観点からも、全社戦略の一環でM&Aを企図することは不可欠になっている企業が増えています」と話す呉さん
「自社の財務面での観点からも、全社戦略の一環でM&Aを企図することは不可欠になっている企業が増えています」と話す呉さん
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最近の円安の影響

2022年春以降、円安が急激に進みましたが、為替リスクが日本企業のM&Aに与える影響はどのようなものですか?

福富尚氏(以下、福富) 為替リスクはクロスボーダーM&Aに大きな影響を与えます。歴史的に「買い」が多い日本企業にとっては円高による海外企業買収時のメリットが大きく、足元のような円安レベルになると、イン・アウトと呼ばれる海外企業の買収は円ベースで多額のキャッシュアウトが必要となります。

 一方、買収ターゲットの通貨に合わせた形で外貨調達を行ってM&Aを実施するスキームであれば為替リスクを抑制できますし、売り手側の立場では、海外の買い手がプレミアムを出しやすい土壌が醸成されているとも考えられます。これまでの凝り固まった「円調達・外貨払い」や「買い一辺倒」ではなく、視野を広げたM&Aへの取り組みが現在の環境では求められると考えます。

「為替リスクはクロスボーダーM&Aに大きな影響を与えます」と話す福富さん
「為替リスクはクロスボーダーM&Aに大きな影響を与えます」と話す福富さん
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シナジーと地政学的リスク

M&Aによるシナジーの見積もりにおいて、昨今の地政学的リスクの高まりをどう捉えるべきなのでしょうか?

 地政学的な要素は、シナジーだけでなく、M&Aのバリュエーション(企業価値評価)や交渉、許認可やPMI(買収後の組織統合)後のガバナンスなど、多方面で多く影響を与えます。特に世界中に事業を展開する、あるいはサプライチェーンで海外に依存する企業の買収においては、地政学的リスクの高まりは重要な論点だと考えます。

 例えば、バリュエーションの観点では、高リスク地域から創出されるキャッシュフローに対する資本コストに当該リスクを織り込む必要がありますし、独占禁止法をクリアする観点からは当該地域での承認取得可否や必要に応じた売却資産の検討、サプライチェーンマネジメントの観点からはBCP(事業継続計画)プランの検討などを買収前に十分に議論する必要があると考えます。

 当然、地政学的リスクの高低はあるものの、グローバリゼーションが浸透した今、こういった影響を受けない買収対象候補はほとんどないと思われますので、想定シナジーを算出する際には、ケースごとに作成する、割り引く資本コストのリスクを調整するといった対処が重要になります。

2025年以降のM&Aのトレンド、展望

日本企業が海外企業の買収を成功させるためには、どのようなリーダーシップやマネジメントスキルが求められるのでしょうか?

福富 引き続き、日本企業関連のM&Aは2025年以降も堅調に推移すると考えます。日本企業の事業ポートフォリオの構成やキャッシュバランス、資本コストを考えると、より成長分野や成長地域に事業を移していくために勇気を持ってM&Aを実行していくことが不可欠であることは、これまでにも増していえると考えます。

 より不足しているのは資金でも案件でもなく、体系的にM&Aを価値創造に導く組織能力なので、それが整備されていくにつれて、M&Aを成功させる日本企業はきっと増えると信じています。

 さらに、まず、国内のリスクマネーの拡大に伴い、プライベートエクイティ・ファンド(未公開株式を取得して株式公開や第三者に売却をすることで、キャピタルゲインを獲得することを目的としたファンド)やベンチャーキャピタル関連の案件は増えると想定されます。特にプライベートエクイティ・ファンドは国内企業の非上場化案件に加え、いわゆるインフラファンドのような少しリスクプロファイル(狙うリスク・リターンの水準)の異なるタイプの買収も増加すると考えます。

 こうした拡大するリスクマネーは、引き続き、国内の事業承継問題を解決するためのM&Aやコングロマリット企業の資本コストの外圧に伴うカーブアウト(事業切り離し)の受け皿になるとみられます。

 また、生成AI(人工知能)といったテクノロジーが浸透する中で、人材を買うためのM&A(アクハイヤリング)のような案件も増加すると考えます。これは大企業がスタートアップを買収するようなケースも含みます。

 また、日本企業のマネジメント層に株主価値最大化の考え方が浸透したことや、経済産業省のガイドラインの順守を踏まえると、海外企業による日本企業の買収についても、今後も案件の発生および成功例は続くと考えます。このような動きが全体として、日本におけるM&Aの経験値を上げ、経験豊富な人材を育成し、ひいては日本企業のM&Aの組織能力の向上に還元されることを期待しています。

左から『マッキンゼー 価値を創るM&A』を執筆した福富氏、山﨑氏、呉氏、加藤氏
左から『マッキンゼー 価値を創るM&A』を執筆した福富氏、山﨑氏、呉氏、加藤氏
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写真/小野さやか

M&Aを数多く支援してきたマッキンゼーの知見を集約

さらなる成長を目指す日本企業が、いかにしてM&Aを組織能力として構築し、価値創造の成功確率を向上させるべきか。この経営課題に関する問いを解き明かすのが、本書のミッションである。

加藤千尋、呉文翔、福富尚、山﨑敦著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)