「アメリカで見た大学生協のような店」という発想から生まれた「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」という新しい店のコンセプト。若き柳井正のアイデアがつまった新店舗から、世界に向けての快進撃が始まった。ノンフィクション『ユニクロ』(杉本貴司著)より、その伝説の幕開けを紹介しよう。(文中敬称略)

朝6時オープンの奇策

 まるで倉庫のようなしつらえのユニーク・クロージング・ウェアハウス。店があったのは広島の繁華街である袋町だ。ただし、地元では「うらぶくろ」と呼ばれる通りで、アーケードのある大きな商店街からは少し離れた場所にある。今でも多くの人が行き交うアーケードの本通りに出店するだけの力は、当時の小郡商事(おごおりしょうじ、ファーストリテイリングの前身)にはなかった。

 それでも柳井にとっては乾坤一擲(けんこんいってき)の大勝負である。オープンの数週間前から多くの社員を本社がある山口・宇部から広島に派遣して近くの学校などでビラを配らせた。人海戦術で新しいコンセプトの店を告知したのだ。

 柳井はチラシを「お客様へのラブレター」と呼んでいるが、この時のチラシにも新しいコンセプトへの思いを綴(つづ)っている。
 「本屋みたいな、レコードショップみたいな、在庫ドッサリ、服屋さん。どうしてなかったんだろうね」

 3万もの在庫をうたい、そのほとんどが1000円か1900円。高いものでも2900円までという激安の価格帯だ。豊富な品ぞろえもさることながら、やはり安さがこの新店舗の「売り」だった。

 地元限定ながら「笑っていいとも」の時間帯でテレビCMも流した。この時に起用したのが広島県の出身で、当時テレビ番組の「ベストヒットUSA」で人気を博していたDJの小林克也だった。

 王道の広告戦略に加えて奇策といえるのが、柳井が考案した早朝6時の開店だった。アパレルショップが朝6時にオープンするなど、前代未聞だろう。そんな早朝に誰が服を買い求めにくるのか。これには古参幹部も耳を疑ったという。

1984年6月2日、早朝

 「ユニークな店でそれはそれで面白い案だなと思いましたけど、本当にお客さんが来るのか、半信半疑でした。正直、まず無理だろうなと思いましたね」

 こう振り返るのが、ユニクロ1号店の店長に指名された森田生夫だ。1970年代に小郡商事に入社し、紳士服の売り場で番頭格となっていた浦利治たち古参社員の背中を見て接客のイロハを学んできた。すでに多くの固定客を抱えていた浦が、なぜそんなにスッとお客たちの懐に入れるのかが不思議になり、どんなタイミングでどんなことを話しかけているのか、その接客術を横目で見ながら盗もうとしたものだった。それだけに接客不要の倉庫のような服売り場には内心で疑いの目を向けていたという。

 いくら安いからといって、そんなに簡単に服が売れるものだろうか――。街中でビラを配っても、通りを行く人たちには、いまいち響いていないように思えた。

 内心では疑問に思いながらも、小郡商事にとっては社運を懸けた大勝負である。現場を束ねる店長としてのプレッシャーが、いやが上にものしかかる。

 1984年6月2日土曜日――。梅雨入り前のよく晴れた日の朝だった。やはり、というべきかオープンまで30分ほどになっても店の前にはまったく人影はない。早朝ということで行列ができればお客に牛乳とあんパンを配ろうと準備していたが、どうやら不要だったようだ。

 「やっぱりダメか……」

 前夜から開店作業に追われていた森田が落胆とも予感的中ともいえる複雑な心境で早朝の通りを眺めていると、古株のひとりでこの日は山口から応援に駆けつけていた岩村清美がため息交じりで話しかけてきた。

 「さすがに6時には来んよなぁ」

 すがすがしい早朝の空が、この日ばかりは妙にうらめしい。
 だが、オープンが近づいた頃に異変が起きた。どこからともなくみるみると、裏通りに人があふれてきたのだ。急いで用意した牛乳とあんパンを配ることになって、2人はようやく気づいた。

 「これは大変なことになるかもしれない」

 そして、朝6時――。
 大きなガラス扉を開けてお客を迎え入れると、そこからは一方通行の人の流れが絶え間なく続いた。売り場に客が殺到して陳列棚から奪い合うようにして服を手に取っていく。あっという間に商品がなくなり、店員たちが補充に走る。「正直なところ、そこから先のことはよく覚えていないんです」。森田はこう振り返る。
 怒濤(どとう)の一日はこうして幕を開けた。

「もうお店に来ないでください!」

 しばらくするとレジに行列ができた。買い物を済ませた客は、ついさっき入ってきたガラス扉から帰ろうにも人の波が押し寄せてくるため出ることができない。森田は急きょ、お客の列を2階に誘導して倉庫代わりに使っていた部屋の裏口から出てもらうことにした。

 「おい、誰かロープを買ってきてくれ!」

 誰かがスタッフに指示を飛ばしている。入り口前の道路では店員がロープを使っての交通整理に追われたが、もはや収拾がつかない。オープンしたばかりの店は、小郡商事の誰もが経験したことのない制御不能の事態に陥っていた。

 その様子を見ていた柳井は苦渋の選択を迫られた。せっかくのオープン日にもかかわらず、入場制限しないと店がパンクすると判断したのだ。ちょうど地元のラジオ局が来ていた。1階から2階へと続く階段の踊り場で取材を受けると、リスナーにこう訴えかけた。

 「今から来て並んでいただいても店に入れないかもしれません。だから……、大変申し訳ありませんが、もうお店に来ないでください!」

 それがむしろリスナーの関心を引いて火に油を注ぐ形になったのかどうかは分からないが、柳井の必死の訴えもまったく効果はなく、人の波は途切れるどころかますます膨らんでいった。

ユニクロ1号店。オープン日には長い行列ができた(ファーストリテイリング提供)
ユニクロ1号店。オープン日には長い行列ができた(ファーストリテイリング提供)
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「金の鉱脈をつかんだ!」

 「広島の新しい店が大変なことになっていて人が足りないらしい。誰かすぐにヘルプに行ってくれ」

 山口のメンズショップOS小野田店にこんな連絡が入ったのは昼前のことだった。「じゃ、僕が行きますよ」。そう言って広島行きの電車に飛び乗ったのが下之園秀志だった。

 何事が起きたのだといぶかりながら広島・うらぶくろに着くと、想像した以上の光景が目の前に広がっていた。入場を制限しているにもかかわらず、開きっぱなしになっていた正面のガラス扉からは、もはや人が入れない。仕方なくトイレの裏口にあるドアからもお客を入れていた。2階の倉庫代わりの部屋からお客を出すために、2階にも急ごしらえのレジを作っていた。森田らオープニングスタッフは対応に忙殺され、下之園が話しかける余裕すらない。

 うらぶくろの熱狂の中で小さな一歩を踏み出したユニクロの物語。普段は社員の前でもつとめて淡々とした口調で話す柳井も、この時ばかりは興奮を隠しきれなかった。少したったある日の朝令で、社員たちにこう語りかけた。

 「金鉱をつかんだんだ。みんな、僕たちは金の鉱脈をつかんだんだぞ!」

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これぞ決定版。迫真のノンフィクション! 「ユニクロ」という金の鉱脈をつかむまでの暗黒時代。製造小売業(SPA)への挑戦。東京進出とフリースブームの到来。苦戦する海外展開。ブラック企業批判――柳井正と同志たちの長き戦いをリアルに描く。

杉本貴司著/日本経済新聞出版/2090円(税込み)