『日経アーキテクチュア』元編集長で、「東京建築祭」実行委員の宮沢洋さんが選ぶ、「建築のことはよく分からないけれど、建築を楽しみたい人のための本」連載1回目は、『建築探偵の冒険・東京篇』(藤森照信著)と『超合法建築図鑑』(吉村靖孝編著)。どちらも、「建築の面白がり方」が見えてくる本である。
描写は専門的、でも誰にでも楽しめる
それまで「建築」のケの字も考えたことのなかった文系学生が、バブル絶頂期の1990年に建築専門誌『日経アーキテクチュア』に配属され、戸惑いとあきらめの中で出合ったのがこの本だった。『 建築探偵の冒険・東京篇 』(藤森照信著/ちくま文庫)。この本は私に、「建築には『学ぶ』という方法以外に『楽しむ』というスタンスがある」ということを教えてくれた。
今とは違って、建築の素人が読める建築の本はまったくと言っていいほどなかった。どちらかというと本を読むのが好きだった自分でも、数行読んだだけで「仕事のための修練」あるいは「苦行」に分類する本がほとんどだった。ところが、この本は書き出しからして、圧倒的に違っていた。
「コンタクトレンズのことから始めようと思う」――。こんな書き出しから始まる。未知の建築を見て回る藤森照信氏らの「建築探偵団」は、いつも上ばかり見ている。だから、コンタクトレンズだと目にほこりが入る。探偵するときはメガネのほうがいい。そこから始まって、建築探偵団の服装や持ち物へと話が展開し、アポなしで訪ねた建物でのドタバタ・エピソードへと進んでいく。
東京篇で訪ねているのは、若き建築史研究者であった藤森氏が発見した「スリランカ大使公邸」(旧渡辺甚吉邸。現在は取手市に移築)、3階建てに復原される前の「東京駅」、東京篇と言いながら横浜の「ホテルニューグランド」や「横浜税関」など。今では一般用語として定着している「看板建築」という概念を、藤森氏らが日本建築学会で発表して大騒ぎになった話も載っている。
なんといっても文章のリズムがいい。映画「インディ・ジョーンズ」を見ているみたいにどんどん話に引き込まれていく。おそらく建築に何の関心がなくてもこの本は読める。1986年に、建築の本でありながらサントリー学芸賞の社会・風俗部門を受賞しているのも納得だ。
本稿を書くためにこの本を改めて読んで気づいたのだが、建築探偵団が訪ねる建築の描写はかなり専門的だ。写真や図版が時折あるものの、形や概念の説明が一般の人にとっつきやすいかというとそんなことはない。よく言えば、専門家の評価に耐え得る建築描写。素人には意味の分からない呪文にも見え、たぶん多くの人は読み飛ばす。そこのレベルを落とさないのは、やはり建築史家としての矜持(きょうじ)なのだろうか。
ただ、それが理解できなかったとしても、それ以外の9割を占めるエピソードはきっと誰が読んでも面白い。そして、建築を見ること、見て想像を膨らませること、仲間とそれを共有することの楽しさを脳内に刷り込む。
現在は建築史家のかたわら、「建築家」としても活躍している藤森氏。氏が設計した建築はどれもぱっと見でなんだか楽しそうに見える。それが、若き日の観察スタイルとつながっていることは間違いない。
なぜこの建物はこんな形をしているのか
「建築のことはよく分からないけれど、建築を楽しみたい人」にお薦めしたいもう1冊は、『 超合法建築図鑑 』(吉村靖孝編著/彰国社)だ。出合ったのは30代後半の頃。建築の面白がり方もかなり分かるようになり、建築の伝え方にもそれなりに自信を持ち始めていた頃だ。
正直、タイトルを見たときにはバカにしていた。だが、ページを開くなり雷に打たれたような衝撃を受けた。
著者は1972年生まれの建築家・吉村靖孝氏。複雑な建築法規を守った結果、周囲から突出してしまった建築を「超合法建築」と名づけ、その形を生み出す要因となった「法規」を読み解いた本である。…と書くと、なんだか難しそうだが、実際は小学生にも理解できそうなほど分かりやすい。
1つの建築が見開き2ページで紹介される。左ページが写真で、右はそれをイラスト化し、法規の補助線を引いたもの。下段には、著者が勝手につけた建物名(タイトル)と、必要最低限の解説文という構成だ。言いたいことがビジュアルとタイトルだけでほぼ分かる。
街を歩いていて、「これは何かの法規のためにこういう形になったのでは?」と思うことがないだろうか。あのモヤモヤ感が、図解によって次々に解消されていくのである。
吉村氏は、早稲田大学で建築を学んだあと、オランダでMVRDVという有名な建築設計事務所に勤めた。帰国後は、日本で話題作を立て続けに実現し、今は早稲田大学教授となっている。この本は彼がまだ日本でさほど活躍していない頃に書かれた。
本書の前書きを読むと、吉村氏はオランダから帰国して間もない頃に、東京の街を知人の外国人たちに案内することに辟易(へきえき)としていたという。彼らが「カオスだから見苦しい」とか、「カオスだから美しい」とか言うのを聞くうちに、良しあしを語る前に、東京らしさがどう形成されたのかを掘り下げてみる必要があると考えたという。
そこが面白いのだ。本書は建築の「良しあし」ではなく、街の景観のつくられ方を直感的に伝えることに注力している。中には有名建築も含まれるが、建物名は書かない。例えば、上野にあったホテルCOSIMAは「発射台ビル」、元麻布ヒルズの超高層棟は「ボディ・ビル」として掲載されている。
建築それ自体の評価には触れないし、設計者名なども解説しない。優劣をつけず、どれも同じ目線で分析する。「こんな法規と向き合って生まれたすべての建築を褒めたい」とエールを送っているように見える。
都市の本質にこれほど踏み込んだ本は、専門書を含めても少ないのではないかと思う。興味を持った方は手にとってみてほしい。
写真/スタジオキャスパー


