日本にセブンイレブンが上陸してから50年あまり。その実質的な創業者である鈴木敏文氏の足跡を、『コンビニ全史 日本のライフスタイルを変えた50年の物語』に掲載した日経・中村直文編集委員によるインタビューで振り返る。連載第1回は、異業種の銀行業参入として驚かれた2001年のセブン銀行開業を中心に、常に逆風に負けず「世の中の不便さ」と向き合ってきた鈴木の経営哲学について見ていきたい。(インタビューは2024年8月に実施。敬称略)

セブン&アイ・ホールディングスHDの中核企業、セブン-イレブン・ジャパンの1号店が開業してから50年あまり。カナダの同業のアリマンタシォン・クシュタールがセブン&アイへの買収提案をするなど、コンビニエンスストアはグローバル流通戦争の最前線となった。
米国発のコンビニだが、多様化する消費志向に合わせて作り直したコンビニの「中興の祖」はセブン-イレブン・ジャパンの生みの親であるセブン&アイ名誉顧問の鈴木敏文だろう。どんな経営哲学で、何を目指してきたのか? 同氏へのインタビューを交えながら足跡をたどる。
常に周囲から反対されてきた
鈴木は2016年にセブン&アイHD会長を退任して以来、東京都千代田区紀尾井町の「ニューオータニ」のオフィス棟に身を置く。2024年8月29日に「セブンイレブン50年」をテーマにインタビューし、まずは過去50年で印象深いことは何かと聞いた。
「周囲が反対したスタート時だね。日本には商店街があるし、それがない米国とは違う。だからこんな小さい店なんかダメだと。それで(当時の業務開発担当だった)清水秀雄君と、日本でコンビニをどう成功させるかを散々議論してつくり上げた」と振り返る。
常に周囲に反対されてきた――。鈴木の口癖と言っていい。セブンイレブンの導入、運営方法、その後の銀行への参入、品質重視のプライベートブランド(PB)の開発などがそうで、むしろ反対を肥やしに壁を壊してきた。世間は足元の現実から物事を判断するのに対して、鈴木はその現実から「どう変わるのか」という近未来からの視点で考える。
「単品管理」の思想
鈴木の思考法はどう育まれてきたのか? それはイトーヨーカ堂に入社する前に在籍していた大手出版取次のトーハンで学んだと話す。
「自分で構想し、これでいけるかこれでいけるかの積み重ねだよね。仮説と検証。統計と心理はトーハンにいた当時から、統計学と心理学を勉強し、それが生きた」
言うならばデジタル的なデータとアナログ的な人の心理から世の中の変化を探るという姿勢だ。営業や仕入れなど実務的な経験はないがために、逆に顧客の立場から最適な満足度をどう提供できるかを俯瞰(ふかん)しながらセブンイレブンを育ててきた。
その代表的なモデルが「単品管理」の思想だ。鈴木が日本経済新聞に連載した「私の履歴書」によると、店舗数が300を超え、商品点数が3000品目を数える開業4年目。チェーン店では世界初の発注のシステム化を構想し、大手電機メーカーを1社1社訪ねるがどこも難色を示す。
前向きに対応してくれたのがNECで、将来の成長性を見越して低コスト・超短期納品という難題も受け入れてくれた。1978年に発注端末機ターミナルセブンを全店に入れ、POS(販売時点情報管理)システムも構築していく。
もっとも単品管理とはここから先だ。あくまでデータは過去の実績に過ぎない。あすの天候、気温、地域の行事予定など多様な先行情報から顧客の心理を読み、何が売れそうか仮説を立て、発注し、結果をPOSで検証する。仮説と検証を繰り返し、欠品による機会ロスと売れ残りによる廃棄ロスを最小にすることこそが、単品管理だ。セブンイレブンは本部から店舗までこの思想を深く注入したことで強力な成長基盤を築くことができた。
世の中の不便に挑戦した銀行参入
世間の常識ではなく、「顧客の立場」で考える。これを徹底してきたのが鈴木だ。セブンの歴史を考える上で欠かせないのが銀行の設立だ。2021年に銀行設立の経緯を鈴木から聞いている。これを紹介しよう。
セブン&アイ・ホールディングス傘下のセブン銀行が開業したのが2001年。今ではATMの運営台数は大手行合計を上回り、ユニークなビジネスモデルは身近で便利な銀行として世の中にすっかり定着した。
鈴木がセブンイレブン店舗にATM設置を指示したのは1997年。野村総合研究所の1万人アンケートで「コンビニにATMがあったらいいな」との要望があったことが鈴木を動かした。
当初は銀行参入に反対も多かったようですね。
「私はほかでやっていないこと、世の中の不便さにいつも挑戦してきた。メインバンクのさくら銀行の岡田明重頭取(当時)は『銀行なんて簡単にできない。しかも失敗したら、我々の責任だと言われるのでやめてほしい』と言ってきた。
もちろん岡田さんのご心配はありがたい。しかし銀行は土日が休みで、平日も午後3時で閉店。不便なんだよ。失敗するかもしれないけど、やってみる価値はあると考えた」
当初は都銀4行と「ATM共同運用会社」を設立する案で進めていた。だが共同運用会社の場合、設置店舗は銀行が決めるなど、セブンにとって新しいサービス開発の足かせになる。このため1999年、自前の銀行設立にかじを切った。
共同運用会社では納得できなかったのですね。
「銀行は従来の発想の延長でしか考えていない。銀行家は『銀行とはそういうものだ』という専門家の発想になってしまう。別に銀行の旧態を打破したかったわけではなく、利用者に新しさ、便利さを感じてもらいたかっただけ。当時は既に24時間型の生活サイクルが始まっていた。新しい変化に、どう対応するかが経営だろう」
当時の橋本龍太郎首相が1996年に金融ビッグバンを提唱し、規制緩和の道筋はできていた。最終的に金融庁などとの交渉窓口となるバックアップ銀行として三和銀行を選び、2001年4月に「アイワイバンク銀行」(現セブン銀行)が誕生した。
当初は日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)を買収する計画でしたね。
「さすがに一から作るのは大変だと思い、日債銀の子会社を買収しようとしたけど、5年先になるという。そんなに待ってられないので、じゃあ自分でやろうということになった」
なぜバックアップ銀行がメインバンクではなく、三和銀だったのですか。
「担当者は東京三菱銀行などいろいろ交渉したけど、自分たちの考えを押しつけてくる。銀行は一般消費者のことなんて考えていない。時代に合った新しいサービスを提供したかっただけ。銀行のことなんて考えなかったし、分からなかった。三和銀だけは我々の考えに関心を示し、話が通じたからね」
初代社長に安斎隆氏(日銀出身)を起用したのも同じ理由ですか。
「彼は柔軟だった。何人か面接したけど、多くの人はやはり『銀行とはこういうもの』という姿勢が多かった。安斎さんが社長になってくれたのは本当に大きかった」
黒字化についてはどう考えましたか。
「当初は7年ぐらいかかると思ったけど、結果的に3年で黒字になった。ATMもNECと交渉して1台200万円(当時は800万円台が相場)に抑えた。銀行というのはあらゆるものを満点にしないと気が済まない。いろいろな機能が付いていてね。うちはお金の出し入れさえできればいい」
開業時、現場にはどんな指示を出しましたか。
「あくまで成功するかどうかは売り場の力だと。小売業にとって現場のサービスが店舗への顧客ロイヤルティーを高める。だから基本を徹底しようと。お金も弁当もおにぎりも同じ。質を高めれば量も増える」
鈴木にとって銀行も小売りも出版も経営者としての姿勢は変わらない。過去や体験にとらわれないこと、変化対応、先手必勝だ。
鈴木さんがやれることを、なぜ他社はできないと思いますか。
「要するにビッグデータにとらわれるからだろう。ビッグデータとは過去の経験を示したものにすぎない。コンビニも同じだった。ダイエーの中内功さん、セゾングループの堤清二さんのような流通の精鋭でも当初は反対していた。みんなビッグデータから考えるからそうなる。大事なことは今、消費者はどうなのか、将来どうなるのかを考えることだ」
「私自身、流通の素人だったので、『流通とはこういうもの』とは考えない。そうではなく、こうしたら喜ぶだろうというふうに考える。今もコンビニの日販(1日当たりの店舗平均売上高)はセブンが66万円(2023年度で69万1千円)と断トツで、2位以下とは縮まらない。不思議なもので、先行するとはそういうことなんだ」
万事、顧客満足から考えていますね。
「商社も系列的に考えると三井物産だけど、いいものがあれば、伊藤忠商事に頼む。こうじゃなきゃいけないって、考えない。腐れ縁を持ってはいけないんだよ」
もし鈴木さんが今、銀行の経営を頼まれたら、どうしますか。
「なんで銀行があんなふうに変わったのだろうというふうになるかな(笑)」
中村直文 著、日本経済新聞出版、1980円(税込み)
