日本にセブンイレブンが上陸してから50年あまり。その実質的な創業者である鈴木敏文氏の足跡を、『コンビニ全史 日本のライフスタイルを変えた50年の物語』に掲載した日経・中村直文編集委員によるインタビューで振り返る。常に妥協せず、何度でも商品にダメだしするようすはセブン社内で「鈴木の壁」と恐れられてきた。連載第2回は、「おいしさとは何か」にこだわり、最高を追求し続けてきた商品開発の秘密に迫る。(インタビューは2024年8月に実施。敬称略)

母国の米社を立て直す
さて銀行設立前、鈴木は大きな宿題を突きつけられていた。日本のセブンイレブンが順調に成長を遂げる一方、1980年代後半からライセンス元の米サウスランド社の経営が傾き、再建を頼まれたのだ。どんな心境だったのか。
「うまくいかないのならば何とかしようという挑戦する気持ちだった」。鈴木は米社買収の指揮をとり、まさに「単品管理」を柱とする日本流コンビニモデルを米国に移植していく。
鈴木は時に怒りをあらわにしながら、経営改革を断行。メーカーや卸主導の品ぞろえを改め、店舗発注が主導のモデルに切り替えていった。サンドイッチなどでも日本のようにメーカーと共同で商品を開発するチームMD(マーチャンダイジング)方式で、専用工場を作り、共同配送センターも配備。このため「ハリケーン鈴木」とも呼ばれた。これについて聞くと「何を言っているんだ(という感じだった)」と苦笑いする。
実は資生堂会長の魚谷雅彦は米国のセブンイレブンの立て直しに関わっている。米食品大手のクラフト・フーズ(当時)の日本法人副社長時代に、日本のセブンイレブンサイドから「米国の店舗にサンドイッチを供給してもらえないか」との打診を受けていたのだ。
そうなると工場も必要で、大きな投資を伴う。そこでセブンイレブン、米サウスランドなどとともに、クラフトのトップと交渉することになった。複数のメーカーがチームを組み、1つの商品を開発・生産する仕組みを説明しても相手はちんぷんかんぷんな様子。「我々はチーズメーカーで、なぜケータリングの会社にならないといけないのか」という反応だった。
そこでクラフトの中堅社員を日本に派遣してもらい、セブンの取引先工場や店舗をつれ回ると、きめ細かいサプライチェーンに感動。トップにそう報告すると、事態は動く。クラフト側はセブンとの取引拡大を視野に入れ、工場の設立に動いた。クラフトが動けば、他のメーカーも動く。セブンはそんな読みがあったのだろう。
魚谷は「日本の小売業が米国で活躍する仕事に関われたのは名誉なこと」と振り返る。資生堂の会長退任を決めた魚谷は2024年秋に鈴木を表敬訪問し、米国でのコンビニ革命の意義を熱く語ったという。
カナダからの買収提案
米社を立て直し、その後もM&A(合併・買収)で北米でのトップ企業に駆け上がったセブンイレブン。しかし2024年8月に逆に買収提案を受ける。このことを聞くと「だいたいね、そういう風に手を伸ばしてくるということはくみしやすいとみられている。僕は逆にくみしやすいと思っていたけどね」と答えた。
さらに世界的なコンビニ争奪戦が将来、勃発する予感はあったかと尋ねると「そんなことは考えていなかった。あくまで自分で理想とするものに近づこうという気持ちだけ。するといつの間にか日本がセブンイレブンの中心になっていた。米国に対して発言力が強かったよ」と自負する。
それでもカナダ社の買収提案について心配ではないかと聞くと「心配してもしょうがない。気にはなるけど、(会長退任後は)これまでも現経営陣に『おかしい』とか『こうしろ』とか言ったことは一度もない」と淡々と話す。
生みの親にして、カリスマとも言われた指導者だった鈴木の時代は、今とは違う緊張感があった。例えば役員の試食会で口に合わないと販売中止となる。
「味覚に自信があったのか」と聞いてみると「自分で納得できないものは食品も雑誌も駄目出しをした。自分の感覚を信じてやっていた。塩ラーメンの試食で60食を捨てたこともあった。これじゃ駄目だといって、60食を全部破棄した」
もったいないので、それを社内で食べましょうと部下が伝えると「社内の人においしくないものを食べさせて良いのかと言って捨てさせた。自分で納得できないものは全部ノー。人に勧めるわけにはいけない。納得できるまで追求させた。感覚の問題。そこは譲れなかった」
そこで「米国コンビニの食はおいしくなかったですか」と聞くと「米国から真似したものはない。看板とシステムくらい。真似することは嫌いだった。国内でも真似したことはない。自分が納得するかどうか」。一貫している。
実は人気氷菓の赤城乳業「ガリガリ君」でも2014年に「廃棄騒動」が起きた。衝撃の味シリーズとして赤城乳業が「シチュー味」「コーンポタージュ味」などを発売すると、ガリガリ君旋風が巻き起こる。ところが第3弾として「ナポリタン味」を投入すると、想定外の事態に見舞われた。
どこからか「おいしくない」とのクレームが入り、ナポリタン味がセブンイレブンから撤去されたのだ。今では「あそびましょ。」を企業スローガンとする赤城乳業らしいエピソードとして伝わるが、当時のマーケティング担当者は最大手コンビニの行動に肝を冷やしたという。
最高の技術で、最高の商品を
鈴木の壁。単品管理とともにセブンイレブンに染み込んでいるのは簡単に妥協しないものづくりだった。実はセブン&アイHD社長の井阪隆一も鈴木の壁に何度もぶつかり、辛酸をなめた経験がある。1990年代末、井阪氏がその年の冷やし中華を提案したが、鈴木から何度もダメ出しを食らう。数えると11連敗だ。
3月には売り始めたいと店舗からクレームが来る。窮した井阪は鈴木に「一番おいしいと思う中華料理はどこですか」と尋ねた。すると鈴木は東京・神保町の中華料理店の名前を告げる。井阪は原料メーカーなどチームを引き連れ、その店の冷やし中華を食べた。
確かにおいしい。しかしこの食感をどう出せばいいのか? それには定性的な感覚の定量化が欠かせない。弾力と硬さのバランスが大事で、程よい麺作りを何度も試作し、神保町の店のような商品が完成した。鈴木からOKが出て、ようやく冷やし中華がセブンイレブンの店頭に並んだ
井阪はこう振り返る。「ベンチマークを決め、そこに向けて開発するスタイルを鈴木名誉顧問から学んだ」。今のセブンの冷やし中華は当時の製法がベースになっているという。
鈴木は常々、日清食品HD社長の安藤宏基やサントリーHD会長の佐治信忠らにこんな言葉を投げかけていた。「最高の技術で最高の商品を作ってほしい。値段は問わないから」。おいしいものの追求。これはイトーヨーカ堂の創業者の故・伊藤雅俊も同じ姿勢だった。
ところでセブン流の「おいしさ」とは何だろうか? 決して高級料亭のような独特の味ではない。万人がおいしいと感じ、食べ続けられる味を意味する。
少し本論から外れるが、『好き嫌い』(早川書房)の中でこんな表現がある。「食べた記憶がうすければうすいほど、それだけ飽きがこない」。有名店の味は逆で記憶に残る。人気の日常食とは絶妙な味覚体験の提供が欠かせないわけだ。
ちなみに日清食品HD社長の安藤は著書『カップヌードルをぶっつぶせ!』に似たような文章をつづっている。「創業者の安藤百福は、常々こう言っていた。『食品はおいしすぎてはいけない。少し余韻を残すことによって、再購入につながる』」
まさにPBのセブンプレミアムやセブンプレミアムゴールドにおいしさ哲学は塗り込まれている。個人的には2013年に発売した「金の食パン」に驚きを覚えた。通常はメーカーが既存品のプレミアム化を始めるが、金の食パンは小売り主導で高付加価値市場を切り開いた異例のケースだった。
セブンイレブンは当時、再成長を始め、金のシリーズやセブンカフェなどヒット商品も目立つ。セブンをベースに百貨店、スーパー、専門店と総合生活産業を目指し、鈴木は絶頂期だった。無敵感が漂い、こんな強気の言葉を残している。「(ダイエーの)中内功さんは大量生産時代の価格破壊者。質が高いセブンこそ、現代の価格破壊者だ」。
中村直文 著、日本経済新聞出版、1980円(税込み)
