「ある時、“政治”が“科学”を凌駕(りょうが)してしまいました」。「温暖化の人間活動主因説」に異議を唱える書籍『 気候変動の真実 科学は何を語り、何を語っていないか? 』(日経BP)。「『気候変動の真実』私はこう読む」3回目は、大気大循環を専門とする気象学者で、筑波大学教授の田中博さん。田中さんはノーベル賞を受賞した真鍋淑郎さんと親交があり、アラスカ大学で温暖化研究を始めました。ところが、当初、自由闊達(かったつ)な議論が交わされていた温暖化研究が、次第に政治色を強め、一つの見解に集約されていったそうです。
自然要因が大きい地球温暖化
本書の内容は私が考えていることとほとんど同じです。過激で安っぽい表現もなく、噓のない本です。けれども、世の中の気候変動の議論は、とんでもない方向に行ってしまっているので、本書への批判は多いかと思います。
私のことを温暖化懐疑論者だとか、研究の外部者にすぎないと言う人がいます。しかし、私は大気大循環が専門で、温暖化研究の真ん中で仕事をしてきました。大気力学、すなわち地球の大気がどのように流れているかという基礎研究を行っています。
私は、2021年にノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎さんが1960年代に構築した気候モデルに基づいた研究をしてきました。88年に米国ミズーリ大学で博士号を取得した後、アラスカ大学に移り、91年まで助教として在籍しました。88年はNASA(米航空宇宙局)のジェームズ・ハンセンが米上院公聴会で地球温暖化を警告した年です。当時は北極域の温暖化が顕著だったため、北極域を重点的に研究すべきだという機運が盛り上がっていました。
97年、アラスカ大学には日米共同出資で国際北極圏研究センターが設置され、アラスカ大学教授(当時)の赤祖父俊一さんが所長に就任、私も実動部隊で動きました。
そこで温暖化を研究すればするほど、アラスカのような高緯度地域では自然変動が大きいことが分かってきました。
2014年が分岐点に
2012年には「地球温暖化問題における科学者の役割」というシンポジウムが日本気象学会主催で開かれました。そこには江守正多さん(現・国立環境研究所)や田家康さん(日本気象予報士会)、私も参加して議論を交わしました。
風向きが変わったのが2014年です。日本気象学会では、中立的な立場で地球温暖化に対する意見をまとめようと、「地球環境問題委員会」という企画を立ち上げました。その成果が『地球温暖化 そのメカニズムと不確実性』(朝倉書店)です。
本書の校了寸前になって、IPCC(国連の気候変動に関する政府間パネル)の執筆者に査読してもらおうということになりました。すると、IPCCの執筆者の見解と異なる主張は原稿から削除され、私が書いた「温暖化の半分は自然変動で説明できる」という内容の原稿は、ほとんどが削除されました。書名も当初、執筆メンバーで考えていた案から大きく変わりました。
この頃から、日本では「温暖化は人為的なCO₂排出が主因であることは明白。もう決着した」という見方が支配的になり、異論をはさまないことが「大人の対応」といわれるようになりました。
当初、私は勘違いしていました。「もう決着した」と聞いて、「いやいや、まだ温暖化の原因について、科学的に決着はついていない」と、科学者として憤りを感じ、反論をしていました。でも、しばらくして分かったんです。決着したのは「科学的」にではなく、もう世の中の流れがそちらのほうに行ってしまったので、「抵抗しても無駄」という意味での「決着」だったのです。
気候は分からないことだらけ
けれども、気候のメカニズムについてはまだ分からないことだらけです。科学の不確実性をしっかり認識した上で、様々な立場の科学者が自由闊達(かったつ)に議論を戦わせ、切磋琢磨(せっさたくま)することで、分からないことについての解明が進んでいくというのが、科学と科学者のあるべきスタンスだと思うんですよ。
残念ながら、現在の気候科学の世界はそうなっていません。「温暖化は人為的なCO₂排出が主因」という主張に反論すると、「懐疑派」「否定派」のレッテルを貼られ、仲間外れのような状態になるというのが現実です。
ある時から、“政治”が“科学”を凌駕するようになりました。科学者といっても、組織の中ではマネジャーでもあります。研究費を確保し、自分の部署を守り、部下を養っていかなければなりません。
研究費が欲しい科学者は、「危機をあおるのはおかしい」「そこまでのエビデンスはない」と思っていても、口には出しません。民衆を説得するためには、多少の誇張や噓はやむを得ないと考えている人もいます。政治家はその誇張や噓を利用して政策をつくり、マスコミも見出しになりやすいのでそれに飛びつく。その結果、誇張や噓が修正されないまま、一般の人たちに広まっていくという構図です。
科学者には特別な責任がある
私は沢口靖子さん主演のドラマ『科捜研の女』(テレビ朝日系列)のファンなのですが、このドラマに「科学は噓をつかない」というセリフがあります。これをもじって、私は「科学は噓をつかない。でも科学者は噓をつく」と言っています。
もちろん、口をつぐんでいるだけで、噓はついていない科学者がほとんどだと思いますが、「科学者のあり方」としてふさわしくないと私は考えます。『気候変動の真実』の中で著者のスティーブン・E・クーニンは、「科学者には特別な責任が伴う。厳正で常に客観的な批判性をもって事に当たる必要がある」と力説する。まさにその通りだと思います。
私は米国で博士号を取ったので、クーニンのこの主張には100%同意しますが、日本の科学界は「同調圧力」が非常に大きく、クーニンの主張する科学者の倫理観や矜持(きょうじ)がねじ曲げられやすいと感じます。
真鍋淑郎さんも筋金入りのサイエンティストで、科学が政治によってねじ曲げられることをとても嫌っていて、結局は米国に渡られてしまいました。真鍋さんは「CO₂が増えれば気温は上がるだろう」と、あくまでサイエンスを語られていましたが、「気温が上がれば人類は滅亡する」などとは決して言っていないのです。
IPCCに集う科学者の大半も、「このままだと地球に人が住めなくなる」といった大げさな発言をする人はほとんどいません。科学は気候変動についてどこまで解明していて、どこからが未解明で不確実性の高いことなのか。一般市民は、それをよく知った上で、政治家の言うことに対して反応すべきであって、科学が政治の道具になるのは本末転倒です。一般市民が気候変動の知識を得る上で、本書は最適な一冊です。
取材・文/桜井保幸(日経BOOKプラス編集部) 取材・構成/沖本健二(日経BOOKSユニット第1編集部) 撮影/木村輝
気候変動に関する科学の情報は、大元の文献から一般に伝わるまでの間にねじ曲がっていき、誇張や噓がまかり通っている――著者のスティーブン・E・クーニンはこう主張します。科学は本当のところ、何をどこまで言っているのか。米国で10万部超のベストセラーになった話題作です。
スティーブン・E・クーニン著/三木俊哉訳/日経BP/2420円(税込み)