皆さんは、「休暇」をどのように過ごしていますか? 旅行する、買い物に行く、家族と過ごす、読書する、とにかくよく眠る、などさまざまな過ごし方があります。さて、この「休暇」ですが、実は「ある要素」を加えることで、心身をよりリフレッシュし疲労を回復できるだけでなく、人生全体の豊かさや「クリエイティビティ」を高めることができると、法政大学キャリアデザイン学部の梅崎修教授は指摘します。休暇に加えたい要素とは? さっそく見ていきます。

戦略的に休むための「切断的休暇」の3つの機能

  前回 、「あえて一人になる」という積極的切断によって生み出された「本当の休暇(=切断的休暇)」を紹介した。今後ますます、切断によって生み出される休暇の価値は高まるだろう。

 ところで、切断的休暇と一口に言っても、我々の内面に起こっていることは多様だ。そして多様だからこそ、切断的休暇には回復からクリエイティビティまで様々な効果が生まれる。我々は、目的に応じて戦略的に休まなければならないのだ。

 戦略的に休み方を選ぶためにも私は、切断的休暇の機能を分類してみた。私の提案は、以下の3分類である。

・マインドフルネス(mindfulness)
・マインドワンダリング(mind-wandering)
・コンテンプラチオ(contemplatio)

 続けて、一つひとつの機能について説明しよう。

1 マインドフルネス:「今、ここ」に向かう意識

 まず、マインドフルネス。「今、ここ」に向かう意識を表す言葉だ。この言葉を聞いたことがある人は多いと思うし、仏教(特に禅宗)の座禅が身近にある日本人には感覚的に理解しやすいだろう。

 同じように座る修行を重視する上座部(じょうざぶ)仏教と、大乗(だいじょう)仏教の一宗派である禅宗でその考え方も違うのだが、ここではまず、マインドフルネスが仏教の信仰の要素を外して瞑想(めいそう)という実践・技法を抽出したことを確認しておく。
 マインドフルネスは、今この瞬間の自身の精神状態に深く意識を向けること、またそのために行われる瞑想であり、2010年代半ば頃からストレス軽減や集中力の向上に役立つ心的技法と見なされ、特に欧米の企業を中心に社員研修などに採り入れられる動きがあった※1

 この「今、ここ」に意識を向けるという実践は、チャネル過剰の悩みから逃れる技でもあった。この連載の 第1回 でも紹介した映画『PERFECT DAYS』の主人公、平山さんが思い出される。彼が悩める姪(めい)っ子に言ったセリフである「今度は今度、今は今」は、今ここに意識を向けなさいというマインドフルネスのアドバイスであったのだ。

 我々一人ひとりの存在は有限であり、いつも選択肢が過剰であれば、未来の選択困難に悩み続けるし、最終的に締め切りが来て何かを選んでしまったとしても、「別の選択のほうがよかったのではないか」という後悔が残る。
 だからこそ、心の平安を取り戻し、集中力を高めるためにも、今ここに意識を向けるべきなのだ。

※1 『デジタル大辞泉』参照。

2 マインドワンダリング:発想の源泉となる「心ここにあらず」状態

 2つ目のマインドワンダリングは、マインドフルネスとは全く方向性が違う。マインドワンダリングは、現在の目の前の対象から注意が離れて、意識が千鳥足であれこれと彷徨(さまよ)うという心理状態だ。

 現在取り組んでいる課題があったとしても、心ここにあらず、別のことを考えてしまうマインドワンダリングは、職場においては問題行動だ。しかし、この自由な、揺れる意識はアイデアを生み出す源泉にもなる。

 ワラスの4段階説(Wallas’ 4 stages theory)という仮説は、人の創造的活動を「準備」「あたため」「ひらめき」「検証」の順番で説明する。
 中でもアイデアがひらめく前の「あたため期」が重要だ。生真面目な準備を一生懸命続けても、その作業から離れて、あれこれ彷徨える「一人の時間」がなければ「ひらめき」は生まれない。この「あたため期」こそがマインドワンダリングなのだ。

 脳神経科学者の大黒達也氏は、クリエイティビティについて先進的な成果を挙げている研究者だ。著書『芸術的創造は脳のどこから産まれるか?』(光文社新書、2020年)の中で、人間のクリエイティビティを次のように説明している※2

 「ヒトの創造性には既存の知識の枠の中に表現を納めようとする表現意欲(収束的思考)と、既存の知識から逸脱しようとする表現意欲(拡散的思考)の相反する二つの力が互いに引き合うような形で存在しているのです。(p.135)」

※2 以下の対談も参照した。「脳神経科学における創造性やクリエイティビティとは何か 『つむぐ、キャリア』で必要となるキャリア開発の視点から創造性の重要性を考える」(梅崎修対談:東京大学大学院情報理工学系研究科 大黒達也氏)( https://career-research.mynavi.jp/column/20240220_70254/#i-3 )。

「分かりやすい説明ができる人=優秀」という誤解

 また大黒氏は、この相反する2つの力を「不確実性を下げたい願望(一般化)」と「不確実な情報への興味(特殊化)」という別の専門用語でも説明する。
 この不確実性は、ビジネスパーソンに分かりやすく言い換えれば、VUCA(Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性))の程度のことだ。そして、マインドワンダリングとは、「準備」の期間に収束し過ぎた頭を拡散させる思考なのである。

 ところが、職場では仕事ができる人は要約がうまいと言われることが多い。我々には「ビジネスパーソンの頭の良さは、的確に分かりやすく整理できるという収束的思考だ」という前提が刷り込まれている。もちろん、それは一つの能力であるのだが、収束的思考ばかりに偏る職場は問題なのである。

 なぜ、収束的思考ばかりに偏るのか。それはVUCAな状態は不安だからだろう。だから、整理してもらうこと、一般化することばかりを求める。しかし、そのような収束的思考だけを続けて(=片側から引っ張る力)、不安を減らそうとすればするほど、我々はクリエイティビティのゆらぎから遠ざかっていく。

 大黒氏は「人間がふわふわしすぎているものを嫌うのは普通のこと」であると言うが、同時に「ふわふわしすぎたまま情報を許容できる人」の価値に注目する。

 なお、収束的思考と拡散的思考を組み合わせるとは、同時に両思考を行うことはではない。図1の右端のように、収束と拡散のタイミングをずらして交互に引っ張ることで、より大きなゆらぎを自分の中につくり出すべきなのだ。

図1 ゆらぎの有無
(図制作:キャップス)
(図制作:キャップス)
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「ひらめき」状態のつくり方

 では、どうすればマインドワンダリングという拡散的思考のゾーンに入れるのか。

 まず、私たちは、収束ゾーンには入りやすいが、拡散ゾーンには入り難いことに気付かねばならない。そのうえで私は、散歩のような「一人で動く切断」や慣れた反復作業のほうがそのゾーンに入りやすいと考えている。

 散歩の本質とは何か? 散歩とクリエイティビティは、これまでも指摘されることが多かった。例えば、日本独自の哲学を立ち上げ、京都学派を創始した西田幾多郎という哲学者は、後に「哲学の道」と呼ばれる銀閣寺と若王子神社の間を結ぶ、約2kmに渡る道をその思索の場として選び、よく散歩した。今では観光客だらけなのでうまく切断できないが、慣れた道を歩く(つくる)ということがポイントだ。

 何度も同じ道を歩くと徐々に「慣れ」が生まれる。初めて歩く道ならば、注意が目前の対象に向かうことになるが、慣れれば、徐々に刺激が減り、同時に風景に馴染(なじ)み、身体のほうが無意識で作動する状態になる。すると、今度は意識のほうが、好奇心に導かれて未知へとマインドワンダリングを始めるのだ。

3 コンテンプラチオ:精神的活動の労働からの解放

 最後に、コンテンプラチオを説明しよう。この言葉はラテン語で、キリスト教では精神生活の理想とされている。キリスト教哲学者であるヨゼフ・ピーパー(Josef Pieper)は、『余暇と祝祭』(講談社学術文庫、1988年)の中で、コンテンプラチオを「日常生活のあらゆる心づかいや関心をはなれ、小さな自我をぬけでることによって、世界をあるがままにながめ、その創り主にふれること(p.25)」と定義している。

 ピーパーによれば、同じ西洋であっても、近現代人と古代や中世の人の間では、労働と余暇に対する評価が全く違う。労働が絶対化されるようになったのは、近現代のことなのだ。

 絶対化された労働は、単に苦痛を甘受する勤勉さでもなく効率性重視だけでもなく、それに加えて、精神的労働という言葉によって、創造的で、公共的な精神的活動も「労働」という立場から捉えられるようになった。そして、その結果、すべての活動が労働に基礎付けられ、余暇は怠惰に位置付けられるようになった。しかし、「余暇=怠惰」という考えこそ間違いだとピーパーは言う。休み知らずに働くことこそが、仮に効率的で知的であったとしても「怠惰」なのだと。

 そして彼は、精神的活動の基本である、物事の真実に耳を傾けられるようになるためには、労働からの切断が生む「沈黙」に注目すべきだと言う。その沈黙は、自らを開き、受け入れ、耳を傾ける受動態のことだ。我々が精神的生活と労働を切り離したときから、コンテンプラチオの時間が流れ始めるのだ。

巧みに休むための座標軸

 以上の積極的切断の休暇の三分類は、我々に休みの機能を強く意識させる。そして、自分が今、どのような効果を休暇に求めているのかの座標軸になる。

 もっと大事な前提がある。それは、休みとは非生産的な怠惰であるという思い込みから組織人が解放されることである。
 職場でふとぼんやりしているとき(切断的休みのとき)に、上司から「ボーッとするな」と叱責されるかもしれない※3。だがしかし、マインドワンダリングの「ボーッ」と単なるサボりの「ボーッ」とは違うことは、ここまで読んでくれた読者には理解いただけると思う。このマインドワンダリングの直後にひらめきが生まれたかもしれないのに、上司によって突然中断されてしまったのだ。

 もちろん私も、怒りたいと思う上司の気持ちも分かる。なぜなら、この2つの「ボーッ」の違いが分かってもその違いを客観的に証明することは大変難しいからだ。だから「ボーッ」という顔にイライラするし、切断的休暇そのものを否定したくなるのだ。

 私は思う。戦略的休暇が、個人、さらには組織のパフォーマンスに重要だという意見に賛成してくれる人を増やすしかないのではないかと。
 難しいからこそ、休みとマネジメントを適切につなぐことができた企業が、未来には勝ち残るのだ。この「ボーッ」とした切断的休暇の時間をマネジメントに接続させる試行錯誤は始まったばかりである。

※3 マインドフルネスやコンテンプラチオならば、職場の上司もギリギリ「何か仕事のことを静かに考えているのだろう」と思ってくれるかもしれない。だが、マインドワンダリングは特に難しい。

◆今日のひと言◆
ボーッとしているからといって、サボりと決めつけない。

(イラスト:PureSolution/stock.adobe.com)
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