新刊『 マーケティングの真実 P&G・グリコで学んだ失敗と成長の法則 』から、注目トピックを抜粋。江崎グリコの中国支社に赴任した筆者は、旗艦ブランドをすべて「ポッキー」と認識している消費者の声を聞き、衝撃を受ける。このエピソードを基に、STP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)の重要性を語る。[日経クロストレンド 2026年6月26日付の記事を転載・改題]
中国グリコで直面した「ブランド混在」の課題
2017年にグリコの中国支社へ赴任した際、最初に行った定性調査での出来事です。消費者の生の声を聴きに行った私は、あるコメントに強いショックを受けたことを今でも鮮明に覚えています。
「グリコには3つの製品がありますよね。棒状ビスケットの外側にチョコがかかっている『ポッキー』、中にチョコが入っている『ポッキー』、そしてチョコがついていない『ポッキー』ですよね?」
日本で育った私からすれば、当然別ブランドであるはずの製品群が、現地ユーザーの目にはすべて「ポッキーのバリエーション」として映っていたのです。当時の状況を整理すると以下の表の通りです。
グリコは長期間、中国で「ポッキー」「プジョイ」「プリッツ」の3ブランドを展開してきました。確かに「棒状ビスケット」というカテゴリー全体では圧倒的な地位を占めていましたが、消費者の意識の中ではすべてが「ポッキー」という巨大な傘の中に埋没し、各ブランドの個性が消失していたのです。
効率性を重視するなら、全ブランドを「ポッキー」の名の下に統合し、メガブランド化する戦略も一案だったかもしれません。しかし、各ブランドのユーザーと対話を重ねるほど、「誰が、いつ、どんな気分で、なぜその製品を選ぶのか」という、ターゲットや利用シーン(オケージョン)の明確な違いが浮き彫りになりました。
この「顧客の個性の違い」を無視して一つにまとめるべきではないーー。当時の私に課せられた急務は、これら3ブランドのSTP(セグメンテーション・ターゲティング・ポジショニング)を改めて定義し直し、市場におけるそれぞれの役割を明確にすることでした。
ここでお伝えしたいのは、消費者は企業側が思うほどブランドを理解していないということです。用途の異なる自社商品をそれぞれ理解してほしいと願うのであれば、独自の強固なコンセプトをつくり上げ、その戦略を基にマーケティング施策を打っていくことが必要不可欠になります。
コンセプトづくりにSTPは必要か
コンセプトをつくる際、アイディエーション(発想)と、STP(戦略)のどちらを先にすべきかが選択肢に挙がります。これはプロジェクトの性質によって使い分けるのが実務的です。
- NTW(ニュー・トゥー・ザ・ワールド、新規事業・新カテゴリー)の場合:
全く新しい価値を模索する場合、最初からSTPを固定しすぎると自由な発想が阻害され、ありきたりな枠に収まってしまいます。この場合は、まずアイデアを自由に拡散させ、それがある程度絞り込めた段階、あるいは最終的なコンセプト案として結実させる直前で、STPを整えれば十分に間に合います。 - 既存ブランドの場合:
一方で、既存ブランドのリニューアルや商品ライン拡張においては、アイディエーションの前に必ずSTPを定義する必要があります。既存ブランドには守るべき資産(ブランドアイデンティティー)と、市場で果たすべき明確な役割があります。STPという指針を定めないまま議論を行うと、アイデアが拡散しすぎて、ブランドフィットに致命的な問題が起こります。 - 既存カテゴリー内の新ブランドの場合:
既にいくつかのブランドを有していて、そのカテゴリーに新ブランドを導入することが目的の場合は、セグメンテーションをしっかり行う必要があります。自社のブランド同士の顧客の食い合いを避けつつ、戦略的に競合他社もまだ未参入のセグメントを発見して、自社のより良いブランドポートフォリオの形成を目指します。
自由なアイデアの拡散が求められる、新カテゴリー創出を除いたすべてのケースで、アイディエーションに参加するメンバー全員が、「我々はどのセグメントの、誰の、どんな課題を解決しようとしているのか」という共通認識を持つことが必要です。その大元になるSTPの構築は、極めて重要になります。
近年では、STPの在り方に批判的な言論も存在します。私が日本語版の監訳を担当したマーケティング科学者のバイロン・シャープ氏の著書『 ブランディングの科学 誰も知らないマーケティングの法則11 』(朝日新聞出版)はその代表例です。シャープ氏が同著などで展開している批判を、セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニングの順に整理すると、次のようになります。
まずセグメンテーションについては、市場を細分化して特定の価値観や属性を持つ集団を見つけ出す努力を、「実体のない虚像を追う行為である」と切り捨てています。同一カテゴリー内であれば、競合ブランド同士の顧客プロファイル(年齢、年収、ライフスタイルなど)に統計的な差はほとんど見られません。そのため、市場を分断して独自の〝小宇宙〞を見つけようとすることに、実務上の意味はないという主張です。
次にターゲティングに対しては、「特定のセグメントへの集中はブランド成長を阻害する」と反論しています。「売り上げの大部分は年に1回程度しか買わないライトユーザーの膨大な集合体に支えられており、ターゲットを絞り込むことは、これら潜在顧客を自ら切り捨てる行為に等しい」という理屈です。特定層への固執は、成長の鍵である市場全体へのリーチを妨げる結果を招くと指摘しています。
そしてポジショニングにおける競合との差別化も、「実務上の実態を伴わないもの」と批判しています。消費者はブランド間の細かなコンセプトの差など覚えておらず、単に思い出しやすかったからという理由で購入に至るためという考えです。重要なのは意味の差別化ではなく、ロゴ、色、広告に起用するタレントなどによる識別のしやすさです。競合と見間違われない独自性こそが、購買行動に直結すると説いています。
これらの主張は、既存カテゴリーの既存ブランド、特に長い間市場に存在する巨大なブランドに関しては当てはまる面も多いでしょう。しかしながら、これから既存市場に新しいブランドを投入する場合や、すでに投入済みのブランドで成長戦略を描き切れていない場合などにおいて、これが常に最良のガイダンスになるとは思えません。
たしかに、単純なデモグラフィック(人口統計学的属性)によるセグメンテーションは、シャープ氏の指摘通り、うまくいかないことが多いものです。どのブランドを見ても、似たような属性の顧客は存在します。しかし、ニーズやサイコグラフィック(心理的属性)、あるいは複数の軸を組み合わせたセグメンテーションを行えば、各ブランドが捉えるべき統計的に有意な差を持つ顧客像を浮き彫りにすることは可能です。
ターゲットが欲するものは、機能的な便益から、ブランドのトーン&マナーに至るまで、セグメントごとに明確に異なります。それに伴い、打ち出すべきポジショニングも当然変わります。ブランド構築には社内外の多くの人々が関わるため、一貫性を保つためのガイドラインとしてSTPは不可欠です。それ以上に、異なる価値を求めている多様な生活者が存在し、その個別のニーズに応えていくことこそが、マーケティングの本質であると私は考えます。
そのため、新商品を投入する「0→1」フェーズにおいては、今なおSTPは効果的なフレームワークです。次は、コトラー理論を補完しつつ、現代の実務で機能する具体的なセグメンテーションの切り口について詳しく解説していきます。

加藤巧(著)/日経BP/2200円(税込み)


