新刊『 マーケティングの真実 P&G・グリコで学んだ失敗と成長の法則 』から、注目トピックを抜粋。著者は「10→100」へとブランドを拡大するフェーズでは、メンタルアベイラビリティの構築が必要だと説く。分かっていても陥った江崎グリコ中国支社での「プリッツ」のパッケージリニューアル失敗の経験から、実戦的な構築法を解説する。[日経クロストレンド 2026年6月29日付の記事を転載・改題]

著者の加藤巧氏が、グリコ中国支社で経験したプリッツのパッケージリニューアルを基に、メンタルアベイラビリティ構築法を解説する(画像/Atsushi Tada/stock.adobe.com)
著者の加藤巧氏が、グリコ中国支社で経験したプリッツのパッケージリニューアルを基に、メンタルアベイラビリティ構築法を解説する(画像/Atsushi Tada/stock.adobe.com)
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 メンタルアベイラビリティとは、消費者の脳内にあるブランドに関わるすべての記憶の集積を指します。それはブランドロゴやパッケージの形状、あるいはブランドカラーといった「独自のブランド資産(ディスティンクティブ・ブランド・アセット)」と呼ばれる識別記号から、なぜ、いつ、誰と、あるいは何と一緒にそのカテゴリーを購入・使用するのかという生活の文脈までを幅広く含んでいます。

 CEP(カテゴリー・エントリー・ポイント)は、まさにこの記憶のネットワークを呼び起こすための入り口として機能します。重要なのは、これらブランドを構成する記号的な要素と、具体的な購買のきっかけとなる各CEPが、消費者の記憶の中でどれほど多層的かつ強固に連結されているかという点です。こうしたブランドにまつわる記憶の結びつきが豊富であればあるほど、またその記憶が新しく鮮明であるほど、実際の購買シーンにおいてそのブランドが競合よりも優先的に想起される確率は高まります。

 つまり、メンタルアベイラビリティを構築するプロセスとは、消費者の日常に無数に存在する入り口に対して、自社ブランドという出口を記憶のネットワークとして張り巡らせ、想起の確率を最大化していく作業にほかなりません。消費者が特定のニーズを感じた瞬間に、自社ブランドが自然な選択肢として浮かび上がる状態をつくることが、マーケティングにおける重要な役割となります。

 メンタルアベイラビリティを構築するための基本的なプロセスは、消費者の記憶の中に「ブランドの目印」を確立し、それを「生活の文脈(CEP)」と結びつけ、さらにその記憶を「維持・拡大」し続けるという3つのステップに集約されます。

消費者の脳内でブランドの識別を確立する

 1つ目のステップは「独自のブランド資産の確立」です。まず、消費者が当該ブランドを瞬時に、かつ正確に識別できるための「目印」を定義し、それを徹底的に守り抜くことが不可欠です。

 これにはロゴのデザイン、特定のブランドカラー、パッケージの形状、象徴的なキャラクター、あるいは特定のフォントやサウンドロゴなどが該当します。重要なのは、これらが単体で示されたときでも、消費者が迷わず「あのブランドだ」と判断できるレベルまで浸透させることです。デザイン変更を頻繁に行ったり、複数のトーンを混在させたりすることは、脳内での識別を困難にし、メンタルアベイラビリティの構築を自ら阻害することにつながります。

 露出の量もさることながら、一貫性を保つために長年構築していく覚悟が必要です。例えば、米インテルはサウンドロゴと「インテル、入ってる」というフレーズやロゴマークで、数十年にわたり極めて高い一貫性を保っています。細部では時代に合わせて微調整されているかもしれませんが、少なくとも消費者の主観においては「ずっと変わらないアイデンティティー」として定着しており、これが強力なメンタルアベイラビリティを生んでいます。

 一方で、何を守り、何を強化すべきかの判断を誤り、メンタルアベイラビリティを自ら破壊してしまった有名な事例もあります。2009年に米飲料大手ペプシコ傘下のブランド「トロピカーナ」が実施したパッケージのリニューアルです。

 トロピカーナは当時、ブランド資産であった「オレンジに直接ストローが刺さった写真」を廃止し、グラスに注がれたジュースを配した、現代的でミニマルなデザインへと刷新しました。ところが、このリニューアル直後から売り上げはわずか2カ月で20%も激減し、最終的に3000万ドル規模の損失を出したといわれる、マーケティング史上まれに見る失敗を喫しました。

 この失敗の本質は、デザインの良しあしではなく、脳内の記憶ネットワークを遮断してしまった点にあります。「オレンジにストロー」というビジュアルは、店頭の膨大な商品群の中からブランドを瞬時に識別するための最も強力な目印でした。それを安易に取り除いたことで、消費者は買い物の現場でブランドを見つけ出せなくなったのです。さらに、新しいデザインが汎用的な印象を与えたことで、「新鮮な果実をそのまま搾ったジュース」というCEPとの結びつきまでもが失われてしまいました。

中国で陥ったプリッツの失敗

 実は私自身も、中国での赴任時代にプリッツのリニューアルで同様の過ちを犯してしまいました。

 当時の中国プリッツは、安価なコピー商品の台頭により、売り上げの先細りが続いていました。典型的な停滞のパターンとして、既存のヘビーユーザーだけが残り、新規の若年層が入ってこないために配荷率も落ちていくという負のスパイラルに陥っていたのです。

 そこで私は、古臭いイメージを払拭して若者のトライアルを喚起しようと、パッケージの一新を断行しました。ロゴ自体は維持したものの、若者にアピールしようとロゴのサイズを小さくし、サイケデリックでスタイリッシュなデザインを採用したのです。特に、当時は「野暮ったい」と思われていた中国語表記(百力滋)をあえて目立たなくしました。

 しかし、結果は惨愶(さんたん)たるものでした。売り上げの減少は止まるどころか、既存ユーザーの離反が加速したのです。ロゴを小さくし、ブランドのアイデンティティーを弱めたことで、店頭でのブランドの視認性が著しく低下してしまいました。新規ユーザーを獲得するどころか、既存ユーザーの記憶のフックまでも外してしまったのです。

 結局、急きょロゴのサイズを元に戻すことで、なんとか落ち込みを食い止めることができました。トロピカーナの事例を知識として深く理解していたはずの私ですら、当事者として現場に立つと同じような間違いを犯してしまったのです。ブランドを成長させようとする熱意が、時として「変えてはならない資産」への配慮を曇らせてしまう。細部への徹底したこだわりと、資産を見極める眼力がいかに重要であるか、身を持って学んだ教訓でした。

 皆さんも、特に歴史のあるブランドを担当されている方は、まずは自社ブランドにおける「独自のブランド資産」とは何かを棚卸しすることから始めてください。そして、それらをパッケージデザインだけにとどまらず、広告、販促、SNS、店頭など、あらゆるマーケティング活動の接点に一貫して反映させていくことが重要です。

 一方で、これから新しいブランドを立ち上げる方は、将来的に「資産」となり得る独自要素を慎重に設計してください。それは、今後数十年にわたって使い続ける覚悟を持って定義されるべきものです。そして、次世代にバトンを渡す際には、その核となる資産を「くれぐれも変えないように」と言い伝えることこそが、ブランドマネジャーとしての極めて重要な任務となります。

 私たちは新しい任務に就くとき、つい前任者の功績を否定したり、自分らしさを出そうと刷新を試みたりしがちです。しかし、その安易な変更こそが、長年築き上げてきたメンタルアベイラビリティを破壊し、ブランドを衰退させる原因になりかねません。変えるべきは「時代に合わせた伝え方」であり、守るべきは「ブランドの識別記号」です。この境界線を見誤らないよう、常に細心の注意を払うことが求められます。

マーケティング業界に賛否両論を巻き起こした『ブランディングの科学』シリーズ監訳者が、P&G、江崎グリコでの経験を基に"本当の"マーケティング理論実践法を解説。「STPは本当に使えない?」「CEPは万能か」「コトラーvsシャープどちらが正しい?」――。好き勝手な曲解があふれるマーケティング理論の"真実"を指南する。

加藤巧(著)/日経BP/2200円(税込み)