米国の巨大IT企業が提供するサービス、日本で事業展開する外資系コンサルティング企業、海外に拠点を構える国内外企業の研究開発拠点など、これまで為替の世界ではあまり注目されてこなかった費目について外貨の支払いが増えている。これらは統計上、サービス収支赤字として計上されるもので、円安相場の一因となっている。『弱い円の正体 仮面の黒字国・日本』(唐鎌大輔著/日経プレミアシリーズ)から抜粋・再構成してお届けする。
「新時代の赤字」としてのサービス収支赤字
経常収支黒字という事実の陰に隠れ、注目されにくくなっている事実に焦点を当てていく。今回は「新時代の赤字」の存在を示すべく、サービス収支赤字の存在を中心的に掘り下げる。
2023年の日本の貿易サービス収支は▲9兆4167億円と史上4番目に大きな赤字を記録した。これを主導したのは間違いなく貿易収支赤字(▲6兆5009億円)だが、サービス収支赤字(▲2兆9158億円)も決して無視できる規模ではなかった。このサービス収支赤字の規模は歴史的に大きなものではないが、中身を子細に見ると、現在の日本が直面する課題が浮かび上がる。
周知の通り、現在の世界経済は高度に国際化しており、財の取引だけではなく、サービスの取引も積極的に国境を超える。それに伴い円を取り巻く需給環境も変容しつつある。こうした状況下、サービス収支にどのような変化が起きており、それが円安とどういった関係を持っているのかについて議論していきたい。
2013年以降、日本の経常収支を議論するにあたっての注目点は(1)貿易収支の赤字、(2)第一次所得収支の黒字、(3)旅行収支の黒字という3点に集約されてきた。とりわけ(3)は言わずと知れた訪日外国人観光客(インバウンド)需要の結果であり、世間的にも耳目を引きやすい論点なので、読者にもなじみがあるだろう。しかし、2020年以降、第4の論点として(4)その他サービス収支の赤字という伏兵が登場し、勢いを増している現実も知っておきたい。「その他サービス収支赤字」と呼んでしまうと重要性に乏しい印象を与えるため、筆者はその性質に鑑みて「新時代の赤字」と呼ぶことにしてきた。
「新時代の赤字」の中身を詳しく議論する前に、まず、サービス収支に関し、基本的な事実をおさらいしておこう。サービス収支は旅行収支・輸送収支・その他サービス収支の3項目から構成される。多くの人が知る通り、2015年頃から日本では旅行収支の黒字拡大が話題を集めている。2020年から2022年にかけては鎖国政策とも揶揄(やゆ)されたパンデミックにまつわる水際対策もあってそのポテンシャルを発揮できなかったものの、2023年には+3兆6313億円と2019年に記録した過去最大の黒字(+2兆7023億円)を優に更新している(図表)。現在の日本経済が能動的に稼ぐことができる外貨の経路としては最大の項目である。
だが一方、その他サービス収支は2023年には▲5兆9040億円と過去最大の赤字を更新している。図表に示した通りだが、その他サービス収支赤字の拡大ペースは非常に早く、実は2019年から2023年に至るまで、5年連続で過去最大の赤字を更新している。その結果、旅行収支で記録した「過去最大の黒字」はその他サービス収支で記録した「過去最大の赤字」に飲み込まれて消えてしまう構図にある。
改めてサービス収支全体について2023年の数字を整理しておくと、まずサービス収支全体では▲2兆9158億円の赤字だった。この赤字は大きいが、歴史的な水準というほどではない。しかし、その中身は輸送収支で▲6432億円、旅行収支で+3兆6313億円、その他サービス収支で▲5兆9040億円と濃淡が極めてはっきりしている。いくら旅行収支でたくさんの外貨を稼いでも、その他サービス収支からの外貨漏出があまりにも大きいため、日本のサービス収支赤字はいっこうに解消しない。この構図こそ、日本の経常収支を議論する上での新しい論点として注目したいものだ。
かき消される旅行収支黒字
図表はサービス収支の変遷をより分かりやすくしたものだ。現時点で最新となる2023年とその前年の2022年、そして10年前となる2014年を比較している。
例えば2014年と2023年を比較すると、サービス収支全体で見れば▲3兆335億円から▲2兆9158億円とほぼ横ばいで、特筆するほどの変化ではない。しかし、既に論じたように、サービス収支の中身では大きな変化が打ち消し合っている。2014年から2023年の10年間について項目別の変化を見ると、まずポジティブな変化としては旅行収支が▲444億円の赤字から+3兆6313億円の大幅黒字へ転換していることが目に付く。その一方、同じ期間にその他サービス収支の赤字は▲2兆3239億円から▲5兆9040億円へ約2.5倍に膨らんでいる。
注目度の高い旅行収支の黒字拡大ペースは確かに早いものの、それに匹敵するほどの変化がその他サービス収支で起きている。おそらく、前者を知っていても後者は知らなかったという読者は多いのではないか。近年の日本では経常収支におけるサービス収支、特にこれを構成するその他サービス収支の赤字が膨張しているという事実が見逃せない。
経常収支全体の仕上がりを議論しようとすると、どうしても動きが激しくヘッドラインにもなりやすい貿易収支や、経常収支黒字の主柱である第一次所得収支、そしてインバウンドと共に世間をにぎわせやすい旅行収支に注目が集まる。
だが、その他サービス収支の赤字は明らかに無視できない変化と規模を備えている。その他サービス収支は非常に多くの項目から構成されており、その中身を調べるほど、デジタル、コンサルティング、研究開発といった「新時代の赤字」と呼ぶにふさわしい性質を含んでいることに気づかされる。同時に、日本経済がこれから付き合っていかねばならない新しい課題を含んでいるとも言える。
デジタル赤字は10年で2倍に
では、その他サービス収支とは何か。その構成項目は多岐にわたる。図表に示すように、まず「知的財産権等使用料」の黒字を除けば全て赤字項目である。
そして、各赤字項目の性質も多種多様だ。近年、新聞紙面で頻繁に報じられるようになっているのが「通信・コンピューター・情報サービス」で、2022年は▲1兆4993億円、2023年は▲1兆6149億円の赤字だった。2014年が▲8879億円だったので、10年で赤字額が約2倍に膨れ上がったことになる。ちなみに遡及可能な1999年では▲2668億円だったので、そこから約四半世紀で約6倍に赤字が膨らんだことになる。
「通信・コンピューター・情報サービス」はいわゆるGAFAMに象徴される米国の巨大IT企業が提供するプラットフォームサービスなどへの支払いを反映することで知られており、別名「デジタル赤字」というキャッチーな呼び名が2023年以降、メディアでは盛んに使われるようになっている。
具体的にこれはどういった取引を含むのか。例えば、日本では政府の共通クラウド基盤「ガバメントクラウド」においてもアマゾンのAWS(Amazon Web Services)、グーグルのGCP(Google Cloud Platform)、マイクロソフトのAzure、オラクルのOCI(Oracle Cloud Infrastructure)の4事業者が採用されており、2023年11月にさくらインターネットの「さくらのクラウド」が初めて国産クラウドとして採用されたことが話題になった。
海外企業のサービスを利用すれば当然、外貨の支払いが必要になり、それは円売り圧力に直結する。こうした動きは企業や個人でも体感しているはずであり、例えばiPhoneのクラウドストレージに月額課金すれば、やはりドル買い・円売りに加担していることになる。本記事執筆時点であれば、50GBで130円、200GBで400円といった料金体系がiCloud+として用意されている。ほかにも、OpenAIの人工知能(AI)チャットボットであるChatGPTなどへの課金も「通信・コンピューター・情報サービス」に入ると見られる。
例を挙げれば枚挙に暇がなく、その数は今後、年々増えていくと予想される。こうした項目に関するサービス取引について赤字が膨らんでいると聞いて、日常生活の実体験から強く共感する読者は多いのではないかと思う。
唐鎌大輔著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)




