暗号資産取引所FTXの創設者サム・バンクマン・フリードは、大学を卒業すると投資会社のジェーン・ストリートに入社する。彼は2016年の大統領選挙が市場に及ぼす影響のパターンを分析し、莫大な利益が見込まれるプロジェクトを率いることとなった。完全な勝利を確信した3時間後、事態は急変し――。巨額のカネを集めた後、破綻したFTXの真相に迫る『1兆円を盗んだ男 仮想通貨帝国FTXの崩壊』(マイケル・ルイス著/小林啓倫訳)から抜粋・再構成。

大統領選の結果と金融市場の関係

 市場での統計パターンを分析し続けたことで、多くの面白い洞察が得られた。例えば、ワールドカップでブラジルが試合に勝つたびに、同国の株式市場は急落した。その勝利により、汚職を疑われていたブラジルの大統領、ジルマ・ルセフ(当時)の再選の可能性が高まると考えられたためだ。ブラジルのサッカーチームが次の試合で勝つ確率を、より速く、より正確に予測すれば、ブラジルの株式市場で表の出やすいコインが手に入るようなものだった。

 他の例を挙げよう。2016年10月下旬の世界の株式市場は、ドナルド・トランプが大統領になる可能性を左右するニュースにはっきり反応して動いていた。当時、次の選挙は現代のグローバル金融市場にとって最も重要な選挙になると思われていた。ジェーン・ストリートの国際ETF(上場投資信託)デスクのトレーダーたちは、選挙を受けた取引の仕方についてアイデアを出し合った。誰かが、高頻度取引の基準からすると、選挙結果が金融市場に反映されるのがとにかく遅い、と指摘した。

 この指摘に基づく研究をサムが主導した。米大統領選挙では、全米で統一された投票結果報告システムが存在していない。50の州がそれぞれ、選挙データの公開方法とタイミングを決定していたのだ。一部の州は他の州よりも動きが遅い。集計用のまともなウェブサイトを開設している州もあれば、それがない州もある。

 「たいていの州には17種類くらいのウェブサイトがあった」。たとえ各州のデータ集約方法が最大限に効率的なものだったとしても、結果が金融市場に反映されるまでにタイムラグがあると思われた。「ジェーン・ストリートでは、ほぼ全員が同じ直感を抱いたよ。これを利用できないわけがない」

 金融市場の誰よりも、いや世界中の誰よりも早く大統領選の結果を知ることができるのは、ジェーン・ストリートをおいてないはずだ。結局のところ、結果がどうであれ、金融市場がそのニュースを知る方法は一般大衆と同じ――CNNのニュースキャスター、ジョン・キングの番組を通してだった。

 ジョン・キングは、HFT(超高速取引業者)トレーダーのリターンを最大化するようにはできていない。「彼らにはコマーシャルの時間があるので、ジョン・キングは2分の遅れなど気にしない。さらに、彼が部屋を横切って地図のところまで歩くのに15秒かかる」。ジェーン・ストリートのトレーダーは、金融市場の他社よりも早く情報を取得することに慣れていたため、政治市場でも同様にできるものと考えた。

 彼らは短期間でモデルを構築した。それはニュースサイトや、政治予測を行うサイト「ファイブサーティエイト」で使われているものと似ていて、自分たちがどこよりも早く収集するはずの情報の意味を理解するモデルだった。サムは若いトレーダーたちを全米の各州に割り当て-―あるトレーダーはミシガン州を、別のトレーダーはフロリダ州を担当する――それぞれに、最も早く選挙データを得られる情報源を見つけさせた。

 難しいのは投票データを他の誰よりも早く入手することだと、サムや同僚トレーダーたちは考えていた。賢明な取引戦略はあまりに明白だったので、考えるまでもない。選挙前の数週間でパターンがはっきりしていた。どの株式市場も、トランプに有利なニュースが流れると急落し、ヒラリー・クリントンに有利なニュースで上昇したのだ。トランプにとっていいニュースは、特にメキシコのような新興市場にとっては悪いニュースだった。

 ジェーン・ストリートの取引計画はそれほど複雑ではなかった。誰よりも早く投票結果を入手して、そのデータで双方の勝利確率を修正し、それに応じて米国と新興市場の株を売買するのだ。

3億ドルの利益が3億ドルの損失に

 2016年11月8日、大統領選の夜、サムが設計して監督したマシンは見事に機能した。ジェーン・ストリートのトレーダーたちはCNNに先んじて情報を得ることができ、その差は数秒のこともあったが、多くは数分単位で、ときに数時間に及ぶこともあった。「トランプ優勢!」と1人のトレーダーが叫ぶと、他のトレーダーが株を売る。その5分後、ジョン・キングがその事実を確認し、市場が動く。

 夜がふけるにつれ、他のHFT業者も同じように取引をしているのではないかという心配はなくなった。「市場はデータではなくCNNのスピードで動いていた。僕たちは市場より優れた情報を持っていると確信したよ。他の誰かが同じことをしてたとしても、非常に小規模だと感じた」。その日の夜、投票結果が予測を5%も変動させることが7回あり、ジェーン・ストリートはそのたびに市場の動きを先取りした。

米大統領選挙は株式市場に大きな影響を与えた(写真はイメージ)(写真:Gorodenkoff/stock.adobe.com)
米大統領選挙は株式市場に大きな影響を与えた(写真はイメージ)(写真:Gorodenkoff/stock.adobe.com)
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 フロリダ州北西部の結果が最も劇的だった。開票の初期、フロリダ州でヒラリーが勝利して選挙全体もヒラリーに軍配が上がると思われた。フロリダ州は非常に重要だからだ。しかしフロリダ州北西部がトランプ支持に大きく動き、ジェーン・ストリートのモデルでは、トランプ勝利の可能性が5%から60%に急上昇した。「僕たちはジョン・キングが知る前からフロリダ州北西部の結果を知っていた。何かの間違いじゃないかとビビったけど、間違いじゃないと分かって、『クソ、売りだ!』となったよ」

 取引を終えるまでに、ジェーン・ストリートはS&P500に対して数十億ドル規模の空売りをし、さらにメキシコなど、トランプ大統領の誕生によって最も経済にダメージを受ける可能性のある国々の株式市場に対して数億ドルの空売りをした。午前1時ごろ、24時間のスリリングな取引を休むことなく続けたサムは、デスクを離れて仮眠を取った。市場はトランプ勝利のニュースを完全に消化したようだった。ジェーン・ストリートは、おそらくこれまでで最も利益のある取引をした。「ジェーン・ストリートで過ごしたなかでいちばん刺激的な日だった」

 3時間後に戻ってきたサムは、ドナルド・トランプが世界の株式市場に与えるであろう影響について、市場の見方が変化していることに気づいた。「それはハルマゲドンになると考えられていた。実際、ハルマゲドンだったかもしれない。しかし米国市場にとってはそうではなかった」。実際、米国市場は反発し、そしてジェーン・ストリートが空売りしたほとんどの株は米国の株式市場のものだった。

 「ジェーン・ストリートにとって3億ドルの利益だったものが、今や3億ドルの損失になっていた。ジェーン・ストリート史上最も利益のあった取引が、最悪の取引へと変わったんだ」。さらに今や合衆国の大統領はドナルド・トランプであり、それはサムや、彼がジェーン・ストリートで知る他の誰も喜ばない事実だった。「まるで残酷なジョークだった」

なぜ大きな損失を被ったのか

 この状況に対してジェーン・ストリートがとった行動に、サムは衝撃を受けた。ほとんど何もしなかったのだ。会社全体として、正式な事後分析が大規模に行われることはなかった。誰も罰せられたり、詰問されたりしなかった。

 一方でサムは、この会社がプロセスと結果を区別していることに感心した。いい結果が出たのは誰かが正しいことをしたからではない。同様に、悪い結果が出たのは誰かが悪いことをしたからではない。「ジェーン・ストリートは本当に人を責めるのが好きではなかった。彼らは、『誰か指示に反する行動をとったか?』と質問する。答えが『いいえ』なら、CEOでも同じことをしたかもしれない、という話になるんだ」

 一方でこの不透明で秘密主義の会社は、現代で最も重要な大統領選の結果を、世界中の誰よりも早く手に入れていたにもかかわらず、大きな損失を被った。振り返ってみると、彼らは情報の取得に時間をかけすぎ、その使い方を考えるのに十分な時間をかけていなかった。彼らは単に、トランプの勝利が世界的な金融災害になると想定した。

 今にして思えば(いつだってそんなものだが)、行うべき取引は明白だ。米国市場へのダメージよりも、小規模な外国市場へのダメージが大きいことに賭けるべきだった。S&P500を買い、例えばメキシコの株式市場をより大量に売るべきだった。「すごくいい取引ができたはずなのに、台無しにしてしまった。事後分析としては、もう少しでうまくいくところだった、だね。さんざん考えたことはすべて、とてもうまくいったんだから」

 ジェーン・ストリートの上層部は、次の同じような状況でもっとうまく取引する方法を模索するのではなく、そもそもこうした取引を試みたこと自体が間違いだったと結論した。「『私たちにはこの分野に関する直感がないし、今後やるつもりもない。選挙の取引についてはしばらく話さないことにしよう。そうすれば記憶にも残らない』という感じだった」。それはサムを悩ませた。ジェーン・ストリートはその期待値を最大化するようにできているだろうか、と疑問を抱いたのだ。

世界最年少の億万長者になった暗号資産(仮想通貨)取引所FTXの創業者サム・バンクマン・フリード。巨額の富を集めた時代の寵児は、いかにして破滅へと向かったのか。FTX破綻の真相と謎に満ちた創業者を描いたベストセラー作家マイケル・ルイスの最高傑作。

マイケル・ルイス著/小林啓倫訳/日本経済新聞出版/2200円(税込み)