孫正義、通称「マサ」――世界経済の最もダイナミックな部分を背後から操る21世紀最強の大立者。お金やテクノロジー、アイデアが自由に行き交うハイパー・グローバリゼーションの25年間を最も具現化した人物であり、世界中で1兆ドル超の資産に投資してきた男。日本からは決して見えないソフトバンク創業者「マサ」の姿を『勝負師 孫正義の冒険(上)(下)』(ライオネル・バーバー著/村井浩紀訳/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

「地球上で最も裕福な男」からの転落、そして復活

 2000年2月15日、ソフトバンクの株価は19万8000円の最高値を付けた。株式市場が閉まっていた週末を含めたその後の3日間、マサは地球上で最も裕福な男となった。

 資産は帳簿上で700億ドルに達し、ビル・ゲイツ、ウォーレン・バフェット、そしてルパート・マードックを上回った。1981年に設立され、ソフトウエア卸売業からメディア・テクノロジーの複合企業に変身を遂げたソフトバンクの時価総額は約2000億ドル[約20兆円]に上った。マイクロソフトよりは少ないが、アメリカ産業を代表する巨大企業であるエクソンモービルとゼネラル・エレクトリック(GE)を上回った。

 だが現実にはソフトバンクは急流へと突き進む軽量のカヌーのように、トラブルへと向かっていた。ソフトバンクの株価が最高値を更新する直前、医師を名乗る何者かがオンラインの掲示板に、マサが入院したという虚偽の情報を投稿した。2月の初めに掲載されてから2週間、この投稿について何の説明もなかった(*1)。根拠のない噂だった。これもまた不吉な前兆だった。

 2000年3月半ば、世界中の株式市場が激しい調整に見舞われた。それから11カ月で、ドット・コム・バブルの崩壊とソフトバンク株の低迷によりマサの資産の時価総額は96%も減った。ナスダック・ジャパンの共同事業は数億ドルの損失を被った。マサは全滅を避けるために、資産の投げ売りを迫られた。

 屈辱的な挫折である。多くの人々にとっては痛烈だろう。しかしマサにとっては、激動の人生を特徴づけるジェットコースターのような失敗と成功のパターンに、ツイストがもう1回加わっただけのことだった。

 ドット・コム・バブル崩壊後の10年間、小柄なソフトバンクのボスは自分を作り替え、21世紀の究極の資本の手品師になった。世界経済の最もダイナミックな部分を背後から操る、新たな時代におけるテクノロジーと金融の多国籍企業帝国を築き上げた。意志の力と度胸で、マサは新たな金ぴか時代を具現化する人物となった――テクノロジー・ユートピア主義と穏健なグローバリゼーションと国境なき金融で特徴づけられる時代である。

常識と非常識とリスク・テイクが融合

 米欧では有力者以外にはほとんど知られていないことだが、マサは過去20年間にわたって1兆ドル超の資産に投資し、支配下に置いてきた。グローバル・ビジネスへの影響力は実に大きい。

 彼は世界的に無名であった時代のアリババに投資し、スティーブ・ジョブズと共にiPhoneを素晴らしいプロダクトにすべく構想を練った。シリコンバレーに巨額の資金を投下し、ドット・コム・ブームが小さく見えるほどの、過去最大規模のブームを巻き起こした。その過程で大失敗に終わるウィーワークを含む企業価値の大きな新興企業数百社を後押しした。

マサは無名だったアリババに合計1億ドルを投じて巨額のリターンを得た(写真:zhu difeng/stock.adobe.com)
マサは無名だったアリババに合計1億ドルを投じて巨額のリターンを得た(写真:zhu difeng/stock.adobe.com)
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 こうしてマサには「最大」という形容詞がいくつも付けられた。マサは資本主義のアメリカと共産主義の中国の両国で最大の外国人投資家となった。スタートアップ投資家としては世界最大であり、世界で最も借入金の多い10社のうちの1社のトップとして、財務が破綻(はたん)する危険性と常に隣り合わせである。

 米欧でマサは誰もが知る人物とは言えないが、おそらく21世紀最強の大立者(モーグル)だろう。

 マサは謙虚と自信過剰、常識と非常識なリスク・テイクが魅力的に融合している。彼にとって国境やテクノロジーの限界や倫理的境界線は、越えるために存在している。

 孫正義の物語を綴(つづ)る必要があるのは、お金やテクノロジー、アイデアが自由に行き交うハイパー・グローバリゼーションの25年間を捉えているからであり、この期間をおそらく最も極端な形で体現したのがソフトバンクだからだ。そしてこの時代は新冷戦と保護主義の中で消えつつある。

 また、企業経営を学ぶ人にとって注目すべきは、彼が時代に適した新しいビジネスモデルをたゆまず追求したことである。マサが導き出した答えは、300年の歴史を持つ日本の財閥を真似(まね)た企業連合と、シリコンバレーのスピードとネットワーク化された関係性と、ウォール街とロンドンのシティから導入された投機的で報酬目当てという価値観とをすべて組み合わせたものだ。

名も無き男はいかにして大物になったのか

 人間のあり方に興味がある人にとって、これは自己をゼロから築き上げた男の物語である。名も無き者として生まれた人は、いかにして大物になれるのだろうか。

 テクノロジー界のトップに君臨するアメリカや中国の大物たちとは異なり、マサはブレイクスルーとなるようなテクノロジーを発明、支配、所有したことはない。アメリカ国民とは違って、アメリカの金融システムやベンチャーキャピタル、プライベート・エクイティ、資本市場に支援されたわけでもない。中国の有力者とは違って、共産党員であることから得られる(あるいは得られた)支援を享受したわけでもない。マサは独特な存在であり、それは母国・日本においても変わりない。

 包丁づくりから茶道に至るまで、完璧さの追求が文化に染み付いている日本において、マサは異端児である。彼が際立つ存在であるのは、起業家精神と完璧さは一致しないからだ。起業家精神とはリスクを取ることであり、失敗は不可避であるだけでなく、必要ですらある。

 彼は戦後日本のアウトサイダーの1人として、貧困に苦しむ在日韓国人の家に生まれた。起業家、イノベーターの典型であり、大半の人々がまだほとんど目にしていない新たなアイデアや発明に、常に自分の財産、運命、名声をかけている。

 マサはこれまで60年余りかけて自分自身のストーリーを磨き上げ、神話を維持することに多大な労力を費やしてきた。このため、マサと神話の間を切り離すには、彼の自宅兼仕事場であり東京の中心部に位置する秘密の邸宅[驚くようなしつらえの地階がある]に負けないくらい深く掘り下げることが必要になる。

 彼は自分が他人から定義されることを拒み、九州のバラック集落で生まれて以降、在日としてのアイデンティティーと格闘してきた。

 物語はそこから始めなければならない。

*1 日経産業新聞、2000年2月22日、32面。
希代の勝負師、孫正義。東洋と西洋をつなぎ、世界の常識を破壊した男の原点とは? フィナンシャル・タイムズ(FT)前編集長が膨大な取材を基に描いた決定版伝記。日本から決して見えない「マサ」の真実。

ライオネル・バーバー著/村井浩紀訳/日本経済新聞出版