2016年、アメリカ大統領選でトランプが当選。世界が仰天するなか、いち早くトランプとの面会に動いた男、孫正義(通称「マサ」)。彼は約20年前のコムデックス買収で培った人脈を使って、トランプ次期大統領とのアポを取り付ける。そしてトランプと会ったこの日、マサはウィーワークという泥沼にも足を踏み入れてしまう。『勝負師 孫正義の冒険(上)(下)』(ライオネル・バーバー著/村井浩紀訳/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。
コムデックス買収がトランプとの面会を実現
アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプ――不動産王からテレビのリアリティー番組の司会者になり、ポピュリストに生まれ変わった――が、ヒラリー・クリントンを破って当選した。
リベラル派や民主党員たちは手をこまぬくばかりだったが、マサは事態を楽観していた。オバマ政権はソフトバンクが試みたスプリントとTモバイルUSの合併を阻止した。彼でなければ、大統領は誰でも良かった。対照的にトランプはビッグビジネスに極めて優しかった。
マサはマンハッタンのセントラルパークに近い五番街に建つトランプ・タワー、すなわち次期大統領のけばけばしい本部で本人と面会できるものなのか可能性を探った。
仲介役はシェルドン・アデルソンが務めてくれた。ラスベガスでカジノを所有するこの大富豪はトランプの最大の献金者だった。アデルソンは自分の衰退しつつあったコムデックスの展示会事業をマサが破格の8億ドル超の金額で買ってくれたことに、およそ20年が経過したこのときでも依然として感謝していた。アデルソンはより多くの資金を借り入れて、グローバルなギャンブル帝国を築くことができた。
マサはアデルソンと、プライベート・エクイティの億万長者でブラックストーンを率いるスティーブ・シュワルツマンに知恵を借りながら次期大統領との会談に備えた。
2人ともソフトバンクがアメリカに投資していくことをトランプに強く訴えて、彼の虚栄心をくすぐるよう助言した。マサは注意深く耳を傾けた。
そしてiPadと、いつも持ち歩いているマジックペンを手に、トランプ・タワーの53階にある彼の個人オフィスで席に着いた。
トランプの虚栄心をくすぐる
「あなたの政権が始まるので私は前向きな計画を立てています」とマサは語った。
「アメリカで5万人の雇用を生み出し、500億ドルを投資すると約束します(*1)」
「スプリント」にも「Tモバイル」にも言及しなかったが、オバマ政権にはがっかりさせられたと話した。
続いて台湾を拠点とするエレクトロニクス企業の鴻海(ホンハイ)精密工業もアメリカで百億ドル単位の投資を計画していると明かした。ホンハイはアップルのiPhoneの受託生産で業績を伸ばしてきた企業で、たまたまソフトバンクとも長年のビジネス・パートナーだと説明した。
トランプは見るからに興奮していた。「これはとても良い。ツイートして広めるべきだ。あなたもそう思うはずだ。絶対に」
トランプのホワイトハウスで首席補佐官に就く予定のラインス・プリーバスは、どの州に工場を置くかといった点について徹底調査するのが望ましいだろうと指摘した。
「どの州でも構わない」とトランプが答えた。
マサがようやくスライドの1枚目について話し終えると、トランプはこの良い知らせを同時進行でツイートしていた。
会談が終わると、トランプは隣の広い洗面所兼浴室に移った。鏡の前で髪を整えようとすると、外でじっと待っているマサが目に入った。トランプは大きなニュースが飛び込んできたときほど、小さなことが重要だと分かっていた。
トランプは身ぶりでマサを呼び寄せ、最高の櫛(くし)の入れ方を指南した。ソフトバンクのボスの頭頂部がかなり寂しくなっていることに気づいていない様子だった。
トランプは櫛を頭に当てると、後方にさっと引き、染めたブロンドの髪を軽くなで下ろした。カメラの前で最も良く映るように、何度も練習したお決まりの手順だった。そして、最後に上着の襟に星条旗のラペルピンを挿した。
トランプとマサの2人はネクタイ(そろってトランプのイメージ・カラーである赤だった)を直し、エレベーターで1階のホワイエに向かった。
トランプは待ち構えていた記者団に、アメリカで5万人の新規雇用と500億ドルの投資というマサの主張を繰り返した。マサはテレビカメラのほうを向いて顔をほころばせたが、アメリカ人記者の1人が彼をホンハイのトップ、テリー・ゴウ(郭台銘)と取り違えると、慌ててしまった。
「違う、違う、違う。私は孫正義。そして、ソフトバンクは銀行ではありません」
その直後、アルバサムのiPhoneにリヤドからテキストメッセージが届いた。
「マサは何をしているんだ」。サウジアラビアの政府系ファンドであるパブリック・インベストメント・ファンド(PIF)の関係者からだった。「これは我々のお金だぞ」
テリー・ゴウも不意を衝(つ)かれた。「何てことしてくれたんだ」とマサに食ってかかった。この時点でホンハイ側には多額の対米投資を公表するつもりはなかった。「[これまで生産拠点としてきた]中国の政府に電話口で釈明したところだ(*2)」
マサは約束することが得意だったが、他人のお金を使うことはもっと得意だった。そして、この日の彼は最も突飛(とっぴ)なアイデアを改めて詳しく聞く気になっていた。
実はトランプ・タワーに車で向かう途中、後部座席に髪が長くて背の高い若いイスラエル人を座らせて、マサに出資を求める案件について説明させていた。そのわずかな時間に、マサは40億ドルを超す投資を決断した。小切手を受け取るのは、オフィス・スペースのリース事業で世界制覇を目論(もくろ)む企業だった。
経営者は救世主のような風貌のアダム・ニューマン、社名はウィーワークである。
*2 ゴウとマサの間のやり取りは匿名の情報源2人を通じて確認した。
ライオネル・バーバー著/村井浩紀訳/日本経済新聞出版

