デジタル時代で勝ち組になれる企業として、ソフトバンクの孫正義(通称「マサ」)は早くからアームに目を付けていた。わずか2週間で買収を成立させたアームへの「急襲作戦」はどのようにして実行されたのか。世界を飛び回り、イギリスのEU(欧州連合)離脱という混乱期に買収交渉を成立させたマサの動きを『勝負師 孫正義の冒険(上)(下)』(ライオネル・バーバー著/村井浩紀訳/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

イギリスで最も価値あるテック企業、アーム

 アームはイギリスで最も企業価値の大きなテック企業の一つだったが、ブリティッシュ・テレコム、ロールス・ロイス、ボーダフォンなどのように有名ではなかった。アームはアップル、アマゾン、グーグルなど向けにライセンス契約で生産される超高速でエネルギー効率の高いシリコン・チップの設計を担っていた。2016年には携帯電話分野での市場シェアが95%を超え、それを世界中から獲得した500件余りの契約が支えていた。

 ちっぽけなシリコン・チップをどのように作り上げ、そのアーキテクチャを進化させていくかは現代世界を大きく左右する。アームは自らの設計力によって中心的な場所を占めていると言える。しかし、アームの成功は大々的な失敗の産物だった。

 遡ること1978年にオーストラリアからの移民ハーマン・ハウザーがエイコーン・コンピューターズという会社を立ち上げた。イギリスで組み立てられたパソコンは大変な人気となり、最盛期には年間100万台も売れた。しかし、マーケティングの弱さと激しい競争によってハウザーは方向転換を強いられ、エイコーン独自の半導体を開発するという「まったく無謀な決断」を下した(*1)。

 エイコーンの設計はシンプルな洞察に基づいて進められた。演算の命令を少なくすればするほど、処理速度はより向上し、電力消費はより小さくなるという発想だった(*2)[縮小命令セットコンピューター(RISC)という設計思想]。

 数カ月でハウザーの少数精鋭のチームは、新しいマイクロプロセッサーを開発した。Acorn RISC machine(エイコーン・RISC・マシン)の頭文字を取ってARMと名付けられた。このマイクロプロセッサーは主要ライバルであるインテルの製品よりも価格、性能で優れ、15年にわたってIBMのパソコンの心臓部に搭載されることになる。

 1990年にARMの開発部門が独立して、現在のアームとなった。アップルは150万ポンド[当時の為替レートで約270万ドル、同4億円]を出資して43%の株式を取得、その後、8億ドルで手放した。ハウザーは評価額が世界最大の企業の一つが苦境にあった時期にアームが救ったと半分冗談で自慢げに語った。

きっかけはボーダフォン日本法人買収

 マサがアームに関心を向けた最初のきっかけはボーダフォン日本法人の買収だった。モバイル端末がインターネットの主要プラットフォームとしてパソコンに取って代わったと認識した彼は、そのほとんどにアームの半導体が採用されていることに注目した。

 そんな中、東京のソフトバンク本社を訪れたアームのCEOウォーレン・イーストにマサは賛辞を浴びせた。アームは業界最高の企業であり、アームは未来だ――。いつかイーストの会社を買収してみせるとまで口にした。

 イーストはこれらはすべて「マサ流のトーク」と受け止めた。しかし、イーストは気づいていなかった。ソフトバンクのボスは無作為に相手を褒めそやしたりしない。注意しなければならなかった(*3)。

 事態はすぐに動かなかったが、イーストはCEOを退任してからしばらくして、マサからロンドンのサヴォイ・グリルでの夕食に招待された。イーストは後任のCEOサイモン・シガースを伴って現れた。エセックス州出身の専門知識が豊富なエンジニアで、第1世代の携帯電話に搭載されたマイクロプロセッサーの開発者だった。イギリス人の2人は何の目的でこの席が設けられたのか分からなかった。食事が終わっても一向に手がかりをつかめなかった。

 2016年6月下旬、シガースがジャマイカへの家族旅行の荷造りをしていると、電話が鳴った。マサからだった。カリフォルニアに向かうところなのだが、ウッドサイドの丘の上の邸宅での夕食に立ち寄れないかという誘いだった。シガースはこれに応じ、事業戦略担当の幹部であるトム・ランツを連れて行き、IoTについて解説させると申し出た。

 数百万ドルを投じて改装を施した4階建てのウッドサイドの邸宅には、ゲストをもてなし、感動させ、そして富の誇示によって威圧する狙いまで込められていた。その晩、屋外のプールの脇のパーゴラでの食事中、退屈な表情のマサはゲストたちのプレゼンテーションを失礼なことに途中で打ち切った。ところが、その一件から間もなく、今度はシガースのパロアルトのオフィスにマサから電話がかかってきた。

 「とても興奮しています。会長にお目にかかれますか。明日にでも(*4)」

マサは以前からアームに目を付けていた(写真:Ascannio/stock.adobe.com)
マサは以前からアームに目を付けていた(写真:Ascannio/stock.adobe.com)
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アーム会長を追いかけてトルコへ

 シガースは、会長のスチュアート・チェンバースは地中海で自分の船を走らせていて、連絡が取れない状態だと伝えた。何の支障もないとマサは返答した。ソフトバンクのプライベートジェットでトルコの最寄りの空港まで飛び、そこからヘリコプターで会長の船の上に降りるという。シガースは独りごちながら笑った。チェンバースの新しいおもちゃは全長57フィート[17メートル]で3船室の帆走スループ。ロシアのオリガルヒ(新興財閥)の90メートルもあるスーパーヨットではなかった。

 海上まで追跡されたチェンバースは「至急の用件か?」と尋ねた。家族との休暇を楽しんでいる最中であり、衛星電話は不調だった。やや不本意ながら翌日、トルコのリビエラとも称されるリゾート地、マルマリスでのワーキング・ランチに参加することに同意した。マサは東京から飛んできた。シガースとソフトバンクのアロック・サーマはそれぞれサンノゼとロンドンからチャーター機でやって来た。エセックス州のバジルドンという町で育ったシガースにとっては映画さながらの展開だった。トルコに行ったこともなければ、プライベートジェットに乗ったこともなかった(*5)。

 7月3日の日曜日、マサはマルマリスのウォーターフロントにあるパイナップル・レストランに到着した。武装した護衛に伴われていた。物々しい演出だったが、このとき安全上の脅威は現実に存在していた。5日前、イスタンブールの主要空港で自爆と銃撃により40人余りが死亡、230人余りが負傷していた。トルコの権威主義的な大統領レジェップ・タイイップ・エルドアンへの血みどろの挑戦だった。

 マサはチェンバースに休暇を邪魔したことを詫び、お気に入りのブルゴーニュ・ワイン、DRCラ・ターシュを1本贈呈した。最低でも6000ドルする品物だった。チェンバースは受け取りを躊躇(ちゅうちょ)した。痛風を患っていたうえに、イギリスの贈収賄禁止法に抵触するのではないかと心配だった。マサはそうした懸念を押し切るように手渡した(*6)。

 昼食はめまいを引き起こすようなペースで進んだ。マサはレストランの2階を丸ごと予約していた。プライバシーの確保を表向きの理由にした、また一つの大芝居だった。

 彼はIoTについてあれこれ語り、アームの設計の性能の良さを称賛し、最後に1ページの意向表明書を手渡した。株式の時価総額を上回る214億ドルでの買収提案だった。チェンバースは態度をはっきりさせなかった。

 「なぜ急いでいるんだ」とアームの会長は尋ねた。
 マサが答えた。
 「本当にこの取引をまとめたいのです」

*1 筆者によるハーマン・ハウザーへのインタビュー。2022年3月16日。
*2 エイコーンに在籍していた傑出したコンピューター科学者であるソフィー・ウィルソンとスティーブ・ファーバーはRISCという新しいアーキテクチャを考案したばかりのアメリカ人2人に大いに触発された。その様子が以下の著作で描写されている。James Ashton, The Everything Blueprint: Processing Power, Politics and the Microchip Design that Conquered the World, Hodder & Stoughton, 2023.
*3 筆者によるジェフリー・サインへのインタビュー。2022年4月21日。
*4 筆者によるサイモン・シガースへのインタビュー。2022年4月26日。
*5 Ibid.
*6 筆者によるスチュアート・チェンバースへのインタビュー。2022年2月23日。
希代の勝負師、孫正義。東洋と西洋をつなぎ、世界の常識を破壊した男の原点とは? フィナンシャル・タイムズ(FT)前編集長が膨大な取材を基に描いた決定版伝記。日本から決して見えない「マサ」の真実。

ライオネル・バーバー著/村井浩紀訳/日本経済新聞出版