スイスのビジネススクール・IMDのエグゼクティブプログラムで、世界の経営幹部が日本を訪れました。プログラムには企業訪問やビジネス学習に加え、坐禅(ざぜん)、生け花、合気道、日本酒といった「日本文化体験」が組み込まれています。文化体験から得られるビジネスへの深い示唆が、実は私たち日本のビジネスパーソンにも多くの学びをもたらすのです。『 世界の経営幹部はなぜ日本に感化されるのか 伝統文化の叡智に学ぶビジネスの未来 』(高津尚志著/日本経済新聞出版)の読みどころをエール取締役の篠田真貴子さんが解説します。

日本文化とビジネスのギャップに気づく

 現代のビジネスで多用されているコンセプトやフレームワークは、主に米英生まれです。資本市場の基本思想やロジックも同様です。一方、日本のビジネス現場は、日本で教育を受け、日本語を話し、日本社会で生きる私たちが関係を築き、営んでいるという現実があります。

 この2つの間のギャップに、私たちはビジネス現場で矛盾を感じ、コンセプトや方法論を統合できずに苦しんでいるのではないでしょうか。例えば、人材評価のフレームワークは「確立した個人」を前提に「個人の成果に基づく評価」が当然視される一方、現場では「全体の調和と貢献」が重視されます。また、組織設計では「明文化されたルールとプロセス」が重視される一方、現場では半ば無意識に「暗黙知と経験知の伝承」の価値を重視しています。

 こうした葛藤が、日本の管理職のマネジメント力に関する負のスパイラルに表れているのではないでしょうか。

私はここに日本のリーダーの過剰な危機感や、悲観主義、あるいは自信喪失を感じている。リーダーが健全な楽観性を失うと、組織は負のスパイラルにはまりやすい。自分たちは弱いと考えることが、さらに自分たちを弱くするという予言の自己成就に陥っている可能性がある。もったいないことだ。

――『世界の経営幹部はなぜ日本に感化されるのか』より

日本文化から引き出されるビジネスの知恵

 本書の価値は、現代ビジネスのコンセプトと日本のビジネス現場のギャップを埋める可能性を示してくれることにあります。IMDのプログラムで提供される日本文化体験は、単なる観光ではなく、ビジネスリーダーに豊かな知見をもたらすよう設計されています。

・坐禅:自己認識と真の集中、内発的モチベーション
・生け花:「間(space)」の価値や他者との協働、柔軟性
・合気道:揺らがないコアと柔軟性の両立、「自他共栄」の精神
・日本酒:伝統と革新のバランス、持続可能性、見えないものへの敬意

 これらの文化を教えるのは、海外経験やビジネス経験を持ち、文化に宿る思想や哲学をビジネスやリーダーシップに応用する視点を持つ講師陣です。彼らは体験設計と言葉を効果的に用い、形だけでなく深い意味合いや、現代のビジネスリーダーが直面する課題への示唆を引き出します。

 例えば合気道の講義では、須貝圭絵さんが「相手とは自分の隙や弱点がどこにあるかを教えてくれる大切なパートナー」という視点を示します。こうした「心技体」一体の学びは、言葉だけでは得られない深い理解を可能にします。

2010年にIMD参画を検討するプロセスでスイスのキャンパスに初めて招かれた。私が驚いたのは、そこが人間教育の場だったということだ。(リーダー教育とはそういうことだ)

――『世界の経営幹部はなぜ日本に感化されるのか』より


 リーダー教育とは人間教育である、という明確なスタンスが、日本的な「道」のあり方と響き合っているのです。

対話的な構造から「他者を通して己を知る」

 さらに本書の最大の特徴は、その対話的な入れ子構造にあります。世界の経営幹部が日本文化を体験し学ぶ。その様子を日本人である私たちが本書を通じて観察することで、自国文化と自分のビジネスの価値を再発見する。この「他者を通して己を知る」という相互作用が重層的に展開されています。

 ここで特に興味深いのは、「道」の言語化と意味付けです。禅の講師を務めた松山大耕さんの言葉を引用します。

キリスト教の修道院では早朝に起きて祈り、静かな場所で朝食をとる。ここまでは禅の修行でも同じだ。キリスト教の修道院ではその後の多くの時間を聖書や歴史、言語の研究などの座学、すなわち「聞慧(もんえ)」に割くが、禅の修行にそのような時間はない。庭を掃(は)くこと、床を雑巾やモップで磨くこと、畑を耕すことなどの作業を行うだけだ。これになんの意味があるのだろう、と思った時期があった。

――『世界の経営幹部はなぜ日本に感化されるのか』より


 「道」の稽古は言葉を通じて学ぶ「座学」ではなく、実践の積み重ねが重視されています。IMDのプログラムでは海外のビジネスリーダーに「道」を説明し、質問に答える場が設定され、通常は生じない「言語化」が行われました。その言葉に触れて、参加者はビジネスリーダーとしての文脈における「意味付け」をしていきます。

 例えば生け花体験では、講師の山崎繭加(まゆか)さんは「間(space)をつくる」ことの重要性を伝えました。ある受講者はこう感想を述べています。

生まれて初めて花を生けてみて、創造性を発揮するにはスペースが必要だと感じました。会社に戻ったら、私は自分のチームのメンバーがクリエイティブになれるように、もっとスペースを与えることを強調したいと思っています。(略)違うよ、そうじゃない、と言うべき時はある。でもマイクロマネジメントに陥ることは、メンバーにとっても私にとっても望ましいことではない。(米国国籍、半導体製造、地域営業マネジャー〔ドイツ勤務〕)

――『世界の経営幹部はなぜ日本に感化されるのか』より


 つまり、日本人としてその「道」にただ入門するだけでは得られにくい「言語化」「ビジネスへの示唆」が、本書を通じて私たちに届いたわけです。

 ある受講者は、「日本は、期待された加速度的な経済成長を遂げてこなかったかもしれない。一方、今回東京を訪れてみて、この国と社会が安定と規律を維持してきたことに感銘を受けた。『失われた30年』とは、未来への準備(フューチャー・レディネス)のための時間だったのかもしれない」と述べています。「失われた30年」は1つの見方に過ぎず、実は欧米企業にはない強みを育んでいたのかもしれない、という示唆が得られます。

 経営学者の宇田川元一さんの『 企業変革のジレンマ 「構造的無能化」はなぜ起きるのか 』(日本経済新聞出版)では、対話とは「他者を通して己を知り応答すること」と定義されています。この定義を援用するなら、本書は、対話的構造を通じて、私たちが日本のビジネスの営みを捉え直し、抽象度の高いコンセプトとして言語化する新たな入り口を示しているのです。

日本のビジネス組織への応援歌になる

 「失ったものを悔いたり、持っていないものを嘆いたりし続けるのか。それともいま自分たちが持っているものを生かしたり、そこから新たな価値を生み出したりしていくのか。それは選択の問題だ」と『世界の経営幹部はなぜ日本に感化されるのか』の著者、高津尚志さんは投げかけています。

 先日、ある対話で「応援するとは『頑張れ』と言うことではない。その人を見て『あなた、今、こうしていますよね』と事実認定する。それだけで応援になる。なぜなら人は自分のやっていることや持っているものがよく見えないから」という話になりました。

 その観点でいくと、この本は日本のビジネスパーソン、日本のビジネス組織への「応援歌」だと言えます。世界の経営幹部が日本文化に価値を見いだし、そこから学びを得ようとしている「事実」を提示することで、「あなたたちの持っているものには、世界が注目する価値があるのだ」と静かに語りかけているのです。