ロシアのウクライナ侵攻、中国の軍事強化、北朝鮮のミサイル開発――日本をめぐる安全保障環境はきな臭さを増しています。ともに1982年生まれの軍事研究家、小泉悠さんと山口亮さんによる『 2030年の戦争 』(日経プレミアシリーズ)は、2030年代に我が国がどのような事態に巻き込まれる恐れがあるのか、そのためには今からどんな対応が必要なのかを論じた本です。防衛法制の研究者で軍事ライターの稲葉義泰さんが本書の魅力を語ります。
「トレンド」として消費される危機感
近年、新聞やテレビといったいろいろなメディア、それからX(旧Twitter)に代表されるSNS(交流サイト)上で「軍事」や「安全保障」といった言葉を見かけるようになりました。これは、おそらく2022年に突如として開始されたロシアによるウクライナ侵攻を契機として、日本においても戦争というものが実に現実的な現象であるということを、多くの方々が日々流れてくるショッキングな映像や写真を通じて理解したためであると思います。
しかし一方で、私はこれがある種の「トレンド」として消費されているにすぎないのではないか、つまり本当にそうした問題に対する関心が真に高まっているのではなく、社会の中では単なる流行ワードの一つとして扱われているのではないか、という漠然とした危機感を抱いています。
この危機感にはさまざまな理由があります。一つは、流行にはいずれ消費しつくされた先の「飽き」が来るということです。本来、安全保障に関する問題は国家の生存を左右するものであり、幅広い世代の人々が当事者として考えていかなければならないものであると思います。特に、近年の日本を取り巻く安全保障環境の厳しさを考慮した場合、この問題について対応することは、日本にとっての喫緊の課題と言えます。
ところが、ここで国民不在の議論が進むことは、決して好ましいことではありません。いざというときに「そんなことは聞いていない!」とか、「勝手に物事を進めるな!」というような意見が広く噴出して、日本として事態対処のための効果的かつ一体的な対応を進めることが難しくなることも否定できないからです。
もう一つは、極めて質の悪い、極端に言えば購読数やネット上でのアクセス数を稼ぐことに最適化されたコンテンツの餌食(えじき)になってしまいかねないということです。これは、平時においては極端な意見に基づく誤った視点からの安全保障に関する認識が広まっていく危険性があり、一方有事の際には偽情報の拡散という形で日本の国内外においてさまざまな悪影響を及ぼす危険性というものを、それぞれはらんでいます。
そこで、まずは軍事や安全保障という言葉や概念を幅広い世代、特にこれからの将来を担っていく比較的若い世代の人たちに認知してもらい、当事者としてこの問題に真剣に向き合っていく必要があると思います。そして、『2030年の戦争』はまさにその導入としてピッタリな一冊ではないかと思います。
安全保障に関するリテラシーを高める
共著者である小泉悠さんと山口亮さんには公私ともにお世話になっているのですが、お二人とも本当に等身大な方で、思っていることを分かりやすく素直にお話しいただいていると、いつも実感しています。だからこそ、その言葉には力があり、人々を深く納得させるような、心に深く届く浸透力があるのだと思います。本書では、まさにこの浸透力がフル活用される形で、日本が直面するかもしれない2030年代の戦争を予測し、そして日本が置かれている現状を分析してみようという試みの軌跡が、一読してスッと頭に入り、強く印象に残るのです。
本書を手に取ると、おそらく一般的なニュース番組などでは聞き慣れない言葉や概念がたくさん出てくると思います。しかし、そこはお二人の見事にかみ砕かれた解説で「なるほどそういう意味なのか」と納得するとともに、特に難しい部分には本文横に注釈までつけられています。さらに、対談形式で進行する本文に加え、各章には特定のテーマに関するコラムまで挟み込まれています。軍事や安全保障について全く分からないという方から、すでに興味を持って個人的に調べているという方に至るまで、さまざまな発見がある一冊だと感じました。
本書で得られた知識は、読者の方々にとって、日々のニュースや専門家の解説に接した際の理解度を高めると同時に、軍事や安全保障に関する情報に接した際のリテラシーを高めることにもつながると思います。軍事や安全保障に関する問題は、専門家や政府機関の間だけで完結するものではなく、またそうあるべきでもありません。幅広い方々が当事者意識を持って参画してこそ、意義あるものになるはずです。そこで、前提となる知識や、目にした情報を整理する際のリテラシーを事前に持っておくことが、大きなカギとなります。本書は、そうした観点から、大変意義深い一冊であると思います。
幅広い層からの多角的な議論を
本書を読んだ際に、「これはどうするべきか」と頭を悩ませたのが、第5章で触れられている「グレーゾーン事態」を巡る議論です。グレーゾーン事態とは、「武力攻撃に至らない侵害」とか「純然たる平時とも有事ともいえない事態」という言葉で説明されるものですが、シンプルに言えば「相手の『主体』、『意図(日本に対する攻撃意図)』、あるいはその双方が不明瞭である事態」のことです。
特に、本書でも取り上げられている離島への武装漁民等による不法上陸事案は、長年にわたりその対応が議論されている、まさにグレーゾーン事態の典型例です。このような事案では、そもそも武装漁民が国家の意思に基づいて行動する集団なのかという「主体」の不明瞭性が問題となり、それゆえにこれに対して警察権で対応するべきか、それとも自衛権で対応するべきかという議論が重ねられてきたのです。これについて、非常にシンプルな整理を行うのであれば、事態のすみわけを行い、ある時点までは海上保安庁が、ある時点以降は自衛隊が対応するというスイッチングを行うことで対応することになります。
しかし、実際にはこの問題について考えることはたくさんあります。私の専門である法的な視点からすると、例えば「武力攻撃」という概念の中にどこまでの事態を含むべきだろうか、ということ。国際法上できることと、憲法上許容されていることの間にズレはないのだろうか、ということ。あるいは、ここで問題となる「領域警備」という概念は、本来警察作用と防衛作用をいずれも含むものであり、海上保安庁にも装備だけでなく十分な権限とそのための法的根拠を与えるべきではないか、ということなどです。また、最近では武装漁民の上陸だけではなく、中国の海警局(日本の海上保安庁に相当)所属の公船から人員が上陸してきた場合、これを「意図」の不明瞭さからグレーゾーン事態と位置付けて対応を検討するべきだ、という議論も起きています。
つまり、グレーゾーン事態一つとっても、法的な見地、軍事的な見地、あるいは政治的な見地から、それぞれ異なる見方や課題が存在しているのです。おそらく、これはその他のあらゆる安全保障上の問題に関する議論でも同様でしょう。これを解決するためにも、一つの問題について多角的な視点からの議論が必要であることは論をまたないと思います。本書を手に取った方々から、「小泉さんと山口さんはこう言っているが、こういう考えはどうだろうか」という形で、さまざまな議論が大小問わず巻き起こることが望ましいと、私は思います。

