AI(人工知能)時代の幕開けにあたり、国家は、アメリカはどうあるべきか。とりわけIT企業が果たすべき役割とは? こうした問いに答えるのが、アメリカの国防・情報機関にAIと情報解析ソフトウェアを提供するパランティア・テクノロジーズの共同創業者らによる話題作『 テクノロジカル・リパブリック 国家、軍事力、テクノロジーの未来 』(アレクサンダー・C・カープ、ニコラス・W・ザミスカ著/村井章子訳)。パランティアの公式Xのポストも話題を呼びました。本書の中核を成す問題意識を、思想史家で社会構想大学院大学教授の先崎彰容氏が読み解きます。
反権力運動の後に残ったもの
2013年に評者が『 ナショナリズムの復権 』(ちくま新書)を刊行した当時、きわめて多くの批判にさらされた。右翼の復活であるとか、大学に就職はないね、などと言われたのである。右翼とは、グローバルな多文化主義と対極だという批判であり、大学とは、リベラル教員の牙城なのだから、あなたに就職の口はないという意味であった。だが、こうした批判は、著作の中身を読んでいないことに由来する。当時、評者が意図したことは、反グローバル化の激烈な波が早晩、やってくるという危機感であり、ナショナリズムという根源的な感情を、うまく乗りこなしていく方法を考えようという呼びかけであった。
その予感は、今、現実のものとなって、我々の前にある。
『テクノロジカル・リパブリック』が、世間に驚きをもって迎えられ、話題をさらっている第一の理由は、アメリカIT最大手企業のトップが、反グローバリズムを訴えているからである。IT企業は、国籍を問わないグローバル・エリート集団であり、スマホを通して世界中の個人にアクセスできる。普遍的・拡張的こそ、彼らの特徴のはずである。だがその彼らの口から、グローバリズム批判が行われ、国家の役割の重要性が語られる。その矛盾に人々は戸惑い、口々に噂し、本書の中身を読みたいと思うわけだ。
だが、本書の核心は、より深い部分にある。それは例えば、次の部分を、著者のカープやザミスカがどのような思いで書いたのかに、気づくかどうかにかかっている――。
「このように国家プロジェクトを避ける傾向が生まれた背景として、1960年代~70年代にアメリカ広くは欧米のアイデンティティを破壊する組織的な攻撃が執拗に行われたことが挙げられよう。既得権構造を壊すことはまちがっていない。だがそれに代わるものは生まれなかった。集合的アイデンティティも、共通の価値観も、何も。その空白地帯になだれ込んできたのが市場だったのである」(29~30頁)
この部分には、説明が必要だ。
今から半世紀以上前のこの時代、フランス知識人などに牽引された反権力運動は、世界的な趨勢であった。日本でも全共闘運動が68年前後にピークを迎え、三島由紀夫などが複雑な思いを抱いていたことを、知っている人もいるだろう。こうした反権力運動は、既存の価値観を否定し続けた。秩序・権威・善悪の規準すべては嘘であり、壊すべきだと主張した。教師に反抗する高校生のように、教室で静かにしろとか、制服をきちんと着ろとか、こうした価値観がすべて嘘であり、大人の偽善であり、壊すべきだ、自由でありたいと叫んでいたわけである。
しかしその後には何が残ったのだろうか。カープとザミスカは、読者にこう問いかける。
結果、私たちが生きている社会には、「生きていく意味」を与えてくれる価値観が、なくなってしまったのである。それを、著者たちは「空白地帯」と名づける。自分が何のために生きているのか、充実した生を送るための価値を、誰も教えてくれない。唯一、空白地帯を埋めたのは「市場」だった。つまり商品を消費することだった。生きている意味は、流行の衣服を身に着けたり、より便利になったりすることで得られる。こうした市場原理に最も奉仕し、巨万の富を獲得したのが、IT企業というわけだ。
「公共性を取り戻すべき」
こうした現代人の生き方と、IT企業のあり方に、著者たちはいら立っている。なぜなら、ちょっと便利になったり、ちょっと快適になったりするために、IT革命は起きたのか。そんなはずではない、もっと大きな何かのために、私たちはIT革命を目指してきたのだという思いがあるからである――。
「ハイテク産業とくにソフトウェア産業は公共の利益に寄与することをもっと考え、国との信頼関係を再構築すべきだ。そしてもっと大きな視野から、技術に何ができるか、何を実現すべきかを構想してほしい」(27頁)。
以上からわかるように、本書は、単なる反グローバルを掲げた本ではない。現代アメリカ論と名づけるべき社会考察の書なのであり、アメリカ人の精神の荒廃を取り上げ、その解決方法を提言した書なのである。「公共の利益」とか、「国」という言葉からわかるように、バラバラな個人主義に陥り、ドラッグと銃により社会が壊れていくアメリカに、公共性を取り戻すべきだと著者たちは言う。IT企業もまた、積極的に、危機のアメリカに献身する戦略を持つべきだというのである。これはまさしく、「ナショナリズムの復権」であろう。
結果、創業されたパランティアが、軍需産業に大きな貢献をしていることはよく知られた事実である。そのことに対する賛否が、日本で大きく分かれることは、当然のことであろう。しかし評者が強調したいのは、カープやザミスカが、こうした議論のために、多くの古典や哲学書からヒントを得ている事実である。日本のIT長者なる者たちは、こうした教養と社会考察に基づいて戦略を組んでいるだろうか。古典を読むリベラルアーツと最先端のITは矛盾しない。むしろ結び付いている。この事実に、気づいてほしいのである。
