10代半ばで父母を亡くし、田畑を洪水で失っても、どん底から這(は)い上がり、農村救済に生涯を尽くした二宮尊徳。その言葉には、実践家ならではの説得力がある。尊徳の語りをまとめた『二宮翁夜話』にはビジネスや国家経営のヒントになる説話が満載。単なる道徳家を超えて、経験に裏打ちされた金言を味わいたい。
裃(かみしも)を脱いだ尊徳
国政選挙などの投票所である近くの小学校にもその像はあった。薪(まき)を背負いながら本を読む二宮金次郎、後の尊徳である。親孝行と勤勉という徳目を表す少年の像は、かつてに比べて減ったとはいえ、今でも至る所で目にする。
二宮尊徳は荒廃していた農村の立て直しに力を尽くした徳川末期の農政家であり、実際の活動に根差した思想家である。1787年(天明7年)に小田原の栢山(かやま)村に生まれ、1856年(安政3年)に今市村(現在の栃木県日光市)で亡くなった。70年の生涯の間に関東、東北の村々の指導に当たった。
尊徳というと道徳の教科書が歩いている、そんな人物と思われるかもしれない。確かに薪を背負いながら読んでいるのは、中国の道徳書である『大学』である。堅物の一面は否定できないが、『 二宮翁夜話 』(児玉幸多訳/中公クラシックス)を手にしてみたらどうだろう。59歳の尊徳に、22歳の時に接し、師事した福住正兄(ふくずみまさえ。1824~92年)の著書である。
「夜話」というだけあって、裃を脱いだ尊徳の人間力が伝わってくるようであり、課題に取り組み、組織を率いるコツがあふれている。身近なたとえが多く、経験に裏打ちされている分、企業経営やマネジメントの実践書としても役立つ本なのである。
例えば天保の飢饉(ききん)に見舞われた農村の救済策。労役に就ける者と就けない者を見極めて、就労できない老人や幼少、病人などは寺院や小屋に集めて、飢えを防げるだけの食料を提供する。労役に就ける者は荒田を開墾させる。「数十日のうちに荒地は変じて水田となり、秋になって、その収穫はすぐに貧民の食料の補いになった」(191条)。選択と集中である。
日ごろの蓄えこそモノを言う。「数十年を経て少しも損じないのは稗(ひえ)にまさるものはない」。凶作の年には「団子に作って食べるがよい。俗に餅草という蓬(よもぎ)の若葉を入れれば味がよい」。富有者であっても「稗を二昼夜水につけて取り上げて、蒸籠(せいろう)で蒸して、よく干し、臼で搗(つ)いて糠(ぬか)を取り、米を少しまぜて飯にたくのだ。非常にふえるから水を余分に入れてたくのがよい」(193条)。噛んで含めるような資源の効率的利用である。
茄子(なす)の味から凶作を予見
組織を率いる者に欠かせないのは、研ぎ澄まされた先見性である。飢饉をもたらす天候不順。天保4年(1833年)に続く天保7年(1836年)の飢饉を尊徳は、土用つまり夏になるころに茄子の味から感じ取った。「新茄子が到来したのを糠味噌につけて食したところが自然に秋茄子の味がした」。それをきっかけに「意を決して、その晩から凶作の用意に心を配り」、行動に移した(196条)。
空地はもちろん、木綿の畑は潰し、荒地・廃地を起こして、ソバ・大根・カブラナ・ニンジンなどを十分に蒔(ま)きつけさせ、栗・稗・大豆などすべて食料になるものの耕作・栽培に力を入れた。穀物の売買がある時は、何品に限らず買い入れさせた。借り入れする抵当がなくなると、貸金の証文を抵当に入れて、食料買い入れの資金を用意した。危機の先手を打ったのである。
先見性と決断力と行動力。そのすべては自らの経験によって裏打ちされている。洪水で農地を流されたうえに、14歳の時に父を、16歳の時に母を失う。一家は離散に見舞われるが、逆境の中で才覚を発揮する。稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫し、毎年その収益を増やして田畑を買い戻していって、成人後間もなくして家を再興することにこぎ着けたのだ。
「むかしより人の捨てざるなき物を拾い集めて民に与えん」(91条)。尊徳はそんな歌を詠んだ。「人の捨てざるなき物」とは、尊徳によれば、荒地、借金の雑費と暇つぶし、富人の驕者(きょうしゃ)、貧人の怠惰などである。現代に置き換えれば、下手な経営者が抱え込んだまま、うまく生かせないでいる土地、建物、技術、従業員といえようか。
「世の中ではこのように、捨てるのではなく廃(すた)れて無に属する物がいくらもありましょう。よく拾い集めて国家を興す資本とすれば、広く救済されて余りがありましょう」(同)。ヒト、モノ、カネをうまく活用できる経営手腕こそが肝心。「人の捨てない物で、無い物を拾い集めるのは、私が幼年から勤めている道」といい切るところに、尊徳の自負心が表れているといえよう。
世の中の四つの法則
その経営哲学は自助であり、誠実である。「世界の中で法則とすべきものは、天地の道と親子の道と夫婦の道と農業の道の四つである」(42条)。親子の道と並んで夫婦の道を挙げているのは興味深い。「夫婦の間もまた相互に楽しみ合って子孫が相続する」。そんな夫婦のあり方からは合理的で近代的な家庭像が浮かび上がってくるようだ。
「農夫は勤労して植物の繁栄を楽しみ、草木もまた喜びにあふれて繁茂する」。これが農業の道だが、その道は商業などにも通じる。「商法は売って喜び、買って喜ぶようにすべきだ。売る人は喜び、買う人は喜ばないのは道ではない。買う人は喜び、売る人は喜ばないのも道ではない」。しばしば誤解されるように暴利を貪(むさぼ)るのが商売ではない。社会全体の効用を高めるところに経済活動の本質がある。
「道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である」。尊徳の「報徳思想」のエッセンスはこう言い表されることが多い。そのメッセージは現代の経営者にも届いている。京セラ創業者で、日本航空の再建を果たした稲盛和夫(1932~2022年)も尊徳に共感を寄せた経営者のひとりである。
単なる道徳家のイメージに縛られずに、二宮尊徳の言葉の数々を味わいたい。道徳と経済の対話を重ねることは、ビジネスや国家経営のヒントになるように思える。進路が見定めがたい時代だからこそ、生活と経験に裏打ちされた農政家の言葉は輝きを増している。
写真/スタジオキャスパー
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