「優秀」な人が集まっているはずの組織で、なぜ不条理な運営が繰り返されるのか? 今回はコンプライアンス(法令順守)を徹底しているはずの大企業で起こる、あり得ないような不祥事の原因について。日本企業の“組織的茶番”を分析する組織学の第一人者、太田肇・同志社大学名誉教授の新刊『なぜ「賢い人」が集まってしょうもない意思決定がなされるのか 身近な疑問からみる日本型組織の「無駄の構造」』から抜粋します。
多すぎるルールは「ルールがない」のと同じ
閉ざされた組織の病理現象――それは組織の外にも染み出てくる。
ビッグモーター、三菱電機、フジテレビ、さらには伝統ある自動車メーカーの認証不正……。コロナ禍がひとまず落ち着いた2023年以降、日本を代表するような有名企業、大企業の不祥事が堰(せき)を切ったように相次いだ。テレビのニュースで謝罪会見が報じられるたび、世間からは「なぜ、あれほど教育が行き届いているはずの一流企業が?」という驚きと疑問の声が上がる。
しかし、組織論的に見ると、それはむしろ必然だともいえる。
大企業であればあるほど、内部統制システムや外部監査体制は緻密に整えられている。コンプライアンスやハラスメント防止に関する研修も、eラーニングから階層別研修に至るまで、莫大な予算を投じて実施されているはずだ。しかし、皮肉にもその「万全の体制」にこそ落とし穴がある。
あまりにも制度が多く、マニュアルが細分化され、手続きが煩雑になりすぎると、それは形骸化した「儀式」へと変貌するのだ。
現場の社員の本音を代弁すれば、こうなる。
「真面目にすべての研修を受け、すべてのコンプライアンス手続きを馬鹿正直にこなしていたら、それだけで1日の労働時間が終わり、本来の業務は一歩も進まない」
その結果、組織内では「研修は仕事のない暇な人に代理で出させておく」とか「動画は再生しっぱなしにして、最後に確認テストの解答集だけを共有して終わらせる」といった、脱法的な「形だけ受講」が常態化する。
多すぎるルールは、人々の意識の中で「何もルールがない状態」と同じ結果を招くのだ。管理のための管理が自己目的化し、肝心の「不正を防ぐための良心」が窒息してしまうのである。
「サイロ化」「部分最適」という落とし穴
それだけではない。大企業という巨大なシステムだからこそ陥りやすい特有の落とし穴がある。その一つが、組織の「サイロ化」と、それに伴う「部分最適」だ。
組織の規模が一定のレベルを超えると、経営層から現場の末端まで、誰も会社の全容を把握できなくなる。社員一人ひとりが関与できる範囲は、巨大な機械の中の小さな歯車のように限定される。すると、人々は自然と自分の部署の利益と平穏だけを考えるようになる。
他部署で何が起きているかに関心を持たず、自分の領域さえ数字が合っていればよしとする。この「部分最適」の論理が進むと、全体を俯瞰して倫理的判断を下す者がいなくなる。どこかの部署で不正の兆候があっても、他部署の人間は「あれは彼らの管轄だ」と見て見ぬふりをする。それどころか、自分たちのノルマを達成するために他部署に無理な要求を突きつけ、結果として他部署を不正な手段に追い込むような事態さえ発生する。
巨大な豪華客船が、各セクションの小競り合いに夢中になっている間に、船底の浸水に誰も気づかず沈没していく――。これが大企業における不祥事の構図である。

太田肇著/日本経済新聞出版/1980円(税込み)
