読んだ本の内容は忘れてしまいがちですが、関連分野をまとめて一時期に読むと記憶しやすくなります。インプットが定着しやすい効率のいい本の読み方とは、どのようなものでしょうか。外資系コンサルとして活躍し、今は独立研究者として注目を集める山口周氏の知的生産術を公開した『知的戦闘力を高める 独学の技法』(日経ビジネス人文庫)から抜粋・再構成してお届けします。

メトニミー的展開の読書

 読書によってインプットされた内容はおおよそ忘れてしまうのですが、定着しやすい「効率のいい読み方」というのはあると思っています。それは「関連分野の固め打ち」です。ある分野の書籍を一時期にまとめて読むと1冊1冊の本の内容が相互に連関し始め、より強固に頭の中に定着するようになります。

 このとき、本と本との間にはメタファー(隠喩)の関係と、メトニミー(換喩)の関係の2種類があることを意識すると知識の構造化を進めやすいでしょう。日本語では隠喩も換喩もひっくるめてメタファーといわれたりしますが、厳密にはこれら2つは別の構造です。例えばヴェネチアを「ゴンドラの街」とたとえるのはメトニミーになりますが、「アドリア海の宝石」とたとえればメタファーになります。

 読書に当てはめてみると、例えばヴェネチアに関する本を読んでヴェネチアに興味が出てきたら、次にゴンドラについて調べてみる、または第4次十字軍について調べてみる、というのがメトニミー的展開の読書で、本と本との間が縦の階層構造を形成することになります。

 初学者向けの本から入って、より深く勉強したい領域については専門書をひもといてみるというアプローチも、メトニミー的読書といえるでしょう。それぞれの本の内容が階層構造になるので全体像をつかみやすいというのがメトニミー的読書の利点です。

メタファー的展開の読書

 一方、メタファー的展開では、読書の対象となる領域はどんどん横に展開していくことになります。例えばリーダーシップ論を読んで南極点到達に初めて成功したアムンゼンに興味を持ち、次にアムンゼンの南極探検記に目を通してみる、といった展開がメタファー的展開の読書になります。

 メタファー的読書の利点は2つあります。純粋に自分が興味を持った対象をその場その場で追いかけてドリフトしていくことになるので興味を維持しやすく、したがって定着効率が高いというのが1点目の利点。

 2つ目の利点が、展開を動機付ける元になった本と、展開先の本とが構造関係を形成するので、濃く太い理解が促進されるという点です。例えば先ほどの例では、リーダーシップに関する本でアムンゼンに興味を持ち、次にアムンゼンの伝記を読むという流れになりますから、リーダーシップ論の枠組みからアムンゼンの行動を分析・理解するという、いわば一段深い読書体験が可能になるわけです。

 逆にいえば、理論だけではサラリと流れてしまうリーダーシップ論の学びを、アムンゼンの南極探検という具体的な事例で補強することで、自分にとっての整理も促進され、また人に話すときの説得力も増すという効果が期待できます。

 ジグソーパズルをやっていると、ある瞬間から急激に絵の全体像が立ち上がってくるように見えることがありますね。私は読書もこれと同じだと考えています。累積の読書量がある段階を超えて本と本の関係性が見えてくるようになると、読書のスピードも加速度をつけて高まっていきます。

 しかし、あてずっぽうに読んでいても本同士が形成するネットワークは臨界密度に達せず、ジグソーパズルの絵は浮かび上がってきません。ポイントになるのは、本と本との関係をメタファーとメトニミーの構造で捉えることです。この関係性の糸で本を結び付けながらピースを埋めていくと、絵が早く立ち上がってくると思います。

身の丈に合ったインプットを

 変なインプットをしないためにも、まずは名著あるいは定番といわれる書籍から読むことをお勧めします。ただ、あまりに身の丈に合わない難解な本を無理して読むというのも、これはこれで問題があります。

 いわゆる名著・定番と呼ばれる本であれば、それなりの内容が保証されているわけで、読んでみたら「ハズレ」だったという確率は低いかもしれません。しかし、だからといって、こうした本を「何が言いたいのか、チンプンカンプンだなあ」と思いながら、歯を食いしばるようにして読んでも、結局は消化できずに無駄骨に終わるだけです。

 確かに、こけおどしの教養を身に付けるためということであれば、意味など咀嚼(そしゃく)できなくても「ジャック・ラカンの本にこういう指摘があるよね」などと知的スノッブを気取ることはできるかもしれません。

 しかし、インプットの目的を「知的戦闘力の向上」に置くのであれば、自分の身に引きつけて咀嚼することのできない内容は、いくらインプットしても消化されず、結果的に血肉になることなく、下痢のようにして体を通過していくことになるだけでしょう。

 知的戦闘力の向上に貢献する実質的な知的ストックを作るという目的に照らせば、どんなに評価が高く、多くの人がほめちぎっている名著・定番と呼ばれる本であっても、自分自身が心底面白いと思えないのなら、その本には1ミリの価値もないのだ、と断定するくらいに独善的でいいと思います。

関連分野の書籍をまとめて読むと記憶に定着しやすい(写真:Ivan Kurmyshov/stock.adobe.com)
関連分野の書籍をまとめて読むと記憶に定着しやすい(写真:Ivan Kurmyshov/stock.adobe.com)
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 夏目漱石の『それから』に、財閥を一代で築いた無学な父と、その父を心底軽蔑している息子の代助との間に交わされる、こんなやりとりがあります。

 「お父さんは論語だの、王陽明だのという、金の延金を呑んでいらっしゃるから、そういうことをおっしゃるんでしょう」
 「金の延金とは」
 代助はしばらく黙っていたが、ようやく、
 「延金のまま出て来るんです」と言った。


 代助がここで言っている「金の延金」とは、世間で高く評価されている名著・定番のことだと考えてみてください。これを父は噛み砕き、咀嚼して自分のものにすることなく、そのまま飲み込んでは隣人に対して吐き戻しているだけだ、と代助は非難しています。かみ砕き、いわば砂金とすることなく、「延金」のように丸のみしているから、人に話すときにも「延金」のまま吐き出すだけで、自分なりの言葉にすることができず、しかも、それに自分で気づいていない。そういう父の「知性の薄っぺらさ」を代助はここで揶揄(やゆ)しているわけです。

楽しめるかは自分の置かれた状況による

 人が、ある本を面白いと思えるか思えないかは、その人の能力や置かれた状況、つまり文脈によって決まります。消費癖のある女性をパートナーに持った経験のある男性であれば、ギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』に染みるような哀切を感じるでしょうし、不毛な事業に徒労感を募らせている人であれば、マルグリット・デュラスの『太平洋の防波堤』に強い共感を覚えるでしょう。本というのは人と同じように出会った場所と時によってつながれ方、結ばれ方がまったく変わってしまうところがあります。

 逆の言い方をすれば、かつて面白いと思えなかった本でも、文脈が変わればまた評価も変わってくる可能性があります。私はその体験を多くの哲学書や組織論の書籍で体験しました。

 学生時代にあれほど難解だと思われたサルトルやラカンが、中年になってから読み返すと不思議とスラスラ分かるのはどうしてなのか? どんなに頑張っても読了できなかった組織行動論や心理学の本を、今これほど面白いと感じながら読めるのはどうしてなのか?

 こういった変化は決してアタマが良くなったからということではなく、「今、ここ」にいる私自身の置かれた文脈が、かつてのそれとは違うからということでしかありません。常に、身の丈に合ったインプットを心がけましょう。

日経ビジネス人文庫
知的戦闘力を高める 独学の技法
外資系コンサルとして活躍し、今は独立研究者として注目を集める著者の、骨太でしなやかな知性を身に付ける、武器としての知的生産術。戦略からインプット、抽象化・構造化、ストックまで、知識を「使いこなす」最強の独学システムを公開。

山口周著/日本経済新聞出版/1100円(税込み)