「LTV(ライフタイムバリュー=顧客生涯価値)」を正しく理解し、適切にマーケティング戦略に組み入れている企業は想像以上に少ない。本連載ではWACUL・垣内勇威氏の新刊『 LTVの罠 』(日経BP)から一部抜粋し、LTVを損なうボトルネックとその解消法について解説する。今回は、短期的な結果を追い求めるデジタルマーケティングの落とし穴について。[日経クロストレンド 2023年7月13日付の記事を転載]
「CPAモンスター」の増加が招く市場のレッドオーシャン化
前回、デジタルマーケティングのコンサルティングを手掛けてきた私が、なぜLTVの向上にまで手を広げるようになったのか、その理由について世間一般におけるデジタルマーケティングの「活用範囲」が間違っているからだと説明しました。デジタルマーケティングの施策は「短期的な顧客の刈り取り」に傾倒しがちで、本来の強みである「長期的な顧客との関係構築」に用いられづらいという課題に直面したのがそもそものきっかけです。
▼前回はこちら 第1回 「LTVの罠」に要注意 顧客は「ゴールド会員」なんて欲しくないでは、なぜデジタルマーケティングの施策が「短期的な顧客の刈り取り」に傾倒するのでしょうか。それは、データの取得が容易でリアルタイムに成果が丸裸にされるためです。
例えばデジタル広告を打てば、その広告をクリックした人数、そこから購入した人数がすぐに分かります。1人が購入するために必要な広告費(CPA=Cost Per Acquisition)もすぐに計算できます。CPAは毎日リアルタイムで確認可能です。前週・前月と比べて悪化していれば担当者は不安になります。上司への報告義務もあれば、その原因を追究し、改善方針を立てなければなりません。広告運用の担当者は、自分の仕事の通信簿ともいえるCPAを毎日見せられ、ナーバスにならざるを得ない環境に身を置いているのです。
結果的にこの短期での費用対効果(CPA)ばかり追い求める、通称「CPAモンスター」と呼ばれる人種が生まれます。CPAモンスターたちは、短期の成果につながりやすい、今すぐ買いそうな顕在顧客の刈り取りばかりを狙うようになります。一方でニーズが潜在的な顧客は、すぐには購入に至らないため、ターゲットから除外されます。顕在顧客ばかりを狙うCPAモンスターが増えれば、その市場はレッドオーシャン化し、CPAは悪化していきます。
このようにデジタルマーケティングは、データが見え過ぎるあまり、短期視点で、顕在顧客の刈り取りに傾倒してしまうのです。
しかし本来デジタルマーケティングは、短期的な刈り取りよりも長期的な顧客とのコミュニケーションに強みを持ちます。なぜならデジタルはあらゆる顧客接点の中で、最も安価に継続接触が可能だからです。例えば、メールマガジンであればほぼ無料で顧客に情報を届けることができます。Webサイトも、一度作ってしまえばほぼ無料で顧客に見てもらえます。
デジタルの特性は「セルフサービス」と「ストック」
デジタルによる顧客接点の第1の特性は「セルフサービス型」であることです。顧客が勝手に閲覧するため、人間による接客コストがかかりません。営業担当による訪問、店舗スタッフによる接客、コールセンターによる架電などの人件費は一切不要です。そのため、人間が対応できないくらい、長期的に何度も顧客に情報を届けたいケースにおいて、デジタルは強みを発揮します。
デジタルの第2の特性は「ストック型」であることです。一度資産を築いてしまえば、その後、長期的に低コストで顧客に接触できます。メールマガジンの登録者、SNSのフォロワー、アプリのインストール者など、接点を持った顧客には情報を無料で届け放題です。Webサイトも一度作り込めば、検索エンジンなどから無料で顧客を集客できます。
一方、マス広告などは「フロー型」の施策なので、顧客と接触するためにコストを投下し続けなければなりません。この観点でも、長期的に顧客と接点を持ち続けたいケースにおいて、デジタルは優位性があるのです。このようにデジタルマーケティングは、本来その特性から長期的な顧客とのコミュニケーションにこそ使われるべきものなのです。
私は、デジタルを短期刈り取りにばかり使う「CPAモンスター」化してしまったマーケターに対して、デジタルを長期的な顧客とのコミュニケーションに使うべきだと説得する必要がありました。そのため、カスタマージャーニー(長期的に顧客が企業やブランドを認知し、比較検討し、購入し、利用してファンになっていく変遷)を、顧客調査によって明らかにすることにしたのです。
まずはカスタマージャーニーにおいて、既にデジタルが担っている「刈り取り」以外の役割を明らかにしていきました。さらに現在は営業担当やマス広告など他の顧客接点が担っているシーン、または顧客接点を持てていないシーンのうち、本来はデジタルが担うべきものも洗い出していきました。
数千人の被験者に対して定性インタビューを行い、数十万人に対して定量アンケートを実施しました。その業種は、金融、不動産、BtoB、医薬品、メーカー、小売り、教育、メディア、運輸、宿泊・レジャーなど幅広い領域をカバーしています。
もともとこうした調査を実施した目的は、デジタルマーケティングを短期刈り取り以外の、長期的な顧客との関係構築に使ってほしいという願いからでした。しかしカスタマージャーニーを把握するための調査を大量に実施する中で、LTV向上を妨げる「ボトルネック」が数多く発見されたのです。そのボトルネックはデジタルに閉じず、様々な顧客接点で発生しています。
「LTVボトルネック」の解消は部分改善で済むのでコスパが良い
「LTVボトルネック」とは、カスタマージャーニーの中で、顧客との関係を途切れさせている部分的な障害点です。いわば、LTV向上を目指して施策を打ち出そうとしている企業担当者の前に仕掛けられた「罠(わな)」のような、やっかいな存在です。
例えば、プロ野球のファンが生まれる過程で「初心者は球場への行き方が分からない」というボトルネックがあります。どのようにファンが生まれるのかという過程から、この障害点について解説していきましょう。
まだファンでも何でもない人が、プロ野球に興味を持つきっかけの1つに「選手のプライベートを公開した動画」があります。YouTubeやテレビ番組で、選手の日常生活や、同じチームで仲の良い選手との会話、試合では見せない笑顔などを見て、その選手の人間性に引かれるのです。試合で活躍している選手の動画はもちろんですが、こうしたプライベートな素顔を見ることで、特定の選手に興味を持ち始めます。
動画などで少し興味を持った人に、LTVの高い熱狂的なファンになってもらうためには、球場でのリアルな試合観戦が欠かせません。球場の熱狂的な雰囲気、お気に入り選手の活躍、ビールと食事、他ファンとの交流などを通じて、自らをそのチームのファンだと自認し始めるのです。ビジネス視点でも、球場に来てもらえればチケット代を稼げますし、グッズや飲食の売り上げにもつながります。初めて球場に来てもらうことは、ファンになるための登竜門なのです。
しかし動画を見ただけの野球初心者が球場に行くには、大きな心理的障壁があります。どんな服装をしていけばいいのか? 1人で行っても大丈夫か? 誰か誘ったら来てくれるのか? チケットはどこで買うのか? お気入りの選手は出場するのか? など、分からないことだらけで、なかなか一歩が踏み出せません。友人に野球ファンがいれば互いに誘い合えるかもしれませんが、そもそも誰が野球のファンかも分からないケースが多く、野球の話題を友人に振るのもためらうそうです。
ファンに甘えるビジネスは、ファンを失いやすい
このような初心者の心理を知らないのか、驚くことにプロ野球の各球団の公式サイトを見ても、初心者向けのコンテンツはほとんどありません。熱狂的なファンを有する、いわゆる「ファンビジネス」は、顧客への塩対応が目立ちます。なぜなら、わざわざ丁寧に解説しなくても、熱狂的なファンは自ら重箱の隅まで探し尽くしてくれるからです。
ファンに甘えることに慣れているファンビジネスでは、ファンになりたいと思っている初心者を、知らないうちに失ってしまいます。ファンビジネスとは、ファンに甘えるビジネスではなく、ファンを大切にするビジネスであってほしいものです。
こうした「初心者は球場への行き方が分からない」という、カスタマージャーニーの中で顧客との関係を途切れさせている部分的な障害点を、新刊『LTVの罠』では「LTVボトルネック」と呼んでいます。LTVボトルネックは、顧客の状況と課題がクリアなため、解決方針が明確なことがほとんどです。
例えば前述した「初心者は球場への行き方が分からない」の場合、対策として次のようなアプローチが考えられます。
・Webサイトに初心者向けガイドを掲載する
・初回来場限定で割引・招待券を配布する
・初心者向けのお一人様シートを用意する
・興味のある特定選手が出場する試合を通知する
・初心者が多く閲覧するYouTubeなどで上記企画を紹介する
このようにカスタマージャーニー全体の中で、障害になっている点が分かり、顧客の状況が明らかになれば、誰でも具体的なアイデアに落とし込むことができるのです。
(次回につづく)
垣内勇威(著)、日経BP、2420円(税込み)



