ハイテク製品を普及させるには、1つの顧客層での成功をバネにして、次の新たな顧客層を攻略していく――。米国のコンサルタント、ジェフリー・ムーアが新商品のマーケティングを論じた『 キャズム Ver.2 増補改訂版 新商品をブレイクさせる「超」マーケティング理論 』(川又政治訳/翔泳社)を、根来龍之・名古屋商科大学ビジネススクール教授が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔マネジメント編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。
ボウリングのピンを倒す
「キャズム」とは、ハイテク製品がメーンストリーム(主流)市場に普及する前に存在する大きな溝のことです。このキャズムを越えるために、ムーアが主張する基本戦略は、メーンストリーム市場の最初の顧客層であるアーリーマジョリティ(初期多数派)の実利主義に応えることです。ただし、アーリーマジョリティ全員に製品を提供しようとしてはいけないと主張します。
キャズムを越える最も安全な方法は、全力を1カ所に集中することだとされます。ある特定の顧客層に向けてホールプロダクト(完全な製品)を素早く作り上げることが重要だといいます。
市場全体を相手にしてはいけない最大の理由は、実利主義者であるアーリーマジョリティが欲しがるのは100%の解決策だからです。その前の初期市場を構成するアーリーアダプター(初期採用者)が「将来的に有用になる」ことを予想して製品に夢を抱いてくれるのとは違いがあることを認識すべきです。
このアプローチは、ボウリング場のレーンになぞらえて説明されます。各顧客層は、ボウリングのピンに相当すると考えられます。1つのピンを倒すことで、他のピンも倒していきます。
つまり、1つの顧客層での成功をバネにして、新たな顧客層、つまり次のボウリングピンを倒します。最終的には「ストライク」を出し、急速な成長を巻き起こすことができるとされます。
推奨されるアプローチは、以下の3つのステップを踏むことになります。(1)小さいながらも確実な足がかりを、メーンストリーム市場のどこか1カ所にできるだけ早く築く(2)メーンストリーム市場が開花したら、市場全体を意識した戦略を推し進めて、標準品として広く普及させる(3)再び顧客中心のアプローチに戻り、マスカスタマイゼーション(個別仕様の製品を大量につくる)を通じて、製品に付加価値を加える──の3つです。
グループウェア市場を切り開いた「ノーツ」
実利主義であるアーリーマジョリティ(初期多数派)の1カ所に浸透することで、ハイテク製品が「キャズム」越えにどうやって成功するかを、ムーア自身が示している事例で説明します。
この事例は著書『キャズム』の続編である『 トルネード キャズムを越え、「超成長」を手に入れるマーケティング戦略 』(ジェフリー・ムーア著/中山宥訳/海と月社)で紹介されているものです。
「グループウェア」と呼ばれる企業情報システムがあります。これは、企業内の情報共有のためのシステムで、メッセージ交換、電子掲示板、ファイル共有、ワークフロー(起案~決裁のプロセス)、会議室予約などの機能を持つもので、今日では、ある程度以上の規模の企業では、あって当然のシステムとして普及しているものです。
このグループウェア市場を切り開いた製品は、「ノーツ」という名前のソフトウエアで1989年に登場しました(当初は米ロータス社の製品でしたが、米IBMが買収。その後、インドのHCLに売却されました)。
当初は、グループウェアという言葉自体が存在せず、逆にノーツがグループウェアとは何かを定義していきました。ロータス社のレイ・オジーという人物が中心になって開発したノーツは、データベース管理システムの常識を覆すものでした。
従来のデータベースの最も重要な機能は、同じデータを含むファイルが増殖しないように、情報を1カ所に統合することでした。まとめた情報は、1つのデータベース管理ソフトによって更新され、制御されます。このシステムでは、企業内の全員がリアルタイムでデータベースを更新することはコスト、レスポンススピードなどを考えると非現実的でした。ノーツは、この「情報共有の壁」を逆転の発想で克服するシステムとして開発されたものでした。
ノーツは1つのデータベースを全社の各個人が直接更新するシステムではありません。部門や支社ごとに設置された複数のサーバー内の情報を、一定の時間ごとに自動的に照合し、「ほかのサーバーにあって、このサーバーにない情報は何か」を調べて、サーバー間でデータをすばやく補完し合うという仕組みになっていました。
この仕組みによって、ノーツ・サーバーで結ばれた組織メンバーは、一定時間ごとに全員もれなく同じ内容の情報を共有できるようになりました。ノーツのメンバー登録システムは自由がきくのでプロジェクトごとに社外のメンバーとの情報共有にも使うことができました。この結果、例えば、新しいデータをいちいち電子メールで関係者に送るといった手間がいらなくなりました。
この技術は「リプリケーション」と呼ばれ、データベース・ソフトの画期的新機能として人気を博し、その後、既存データベース大手の米オラクルにも採用され、米マイクロソフトも新たに「エクスチェンジ」というノーツと似た機能の製品を市場投入しました。また、中小企業向けに、我が国で「サイボウズ」という製品も登場し、グループウェアは一定規模以上の企業のほぼすべてに普及するシステムとなっていきます。
その結果、現在ではグループウェアはノーツの独占市場ではなくなっていますが、市場の最初の成長は、ノーツによってもたらされたものです。
アーリーマジョリティの1カ所に浸透
ここで注目したいのは、ロータス社がどうやって、新しい発想のシステムの普及に成功したかです。
ノーツは、発表されたとき、「企業全体のコミュニケーションを円滑にする新しいシステム」として、一部の企業に実験的に導入されましたが、最初のうちは、なかなか導入企業が増えませんでした。そこで、キャズムを越えるため、ロータス社は、「グローバルな会計管理および顧客管理業務」に絞って、アーリーマジョリティ層への普及を図ったとムーアは指摘します。世界各国に顧客を持つ会計事務所やコンサルティング会社に絞って売り込みを行ったのです。
これらの会社では、顧客に関係する最新の出来事にまつわる情報を素早く関係者が把握できているかどうかが、業務上きわめて重要です。ノーツのような情報共有ツールを持っていると、メンバー間に思いがけない連携が生まれ、創造的な問題解決方法が浮かび上がることがあるという評価を得ることに成功します。
これらの会社は、世界中の優良企業を顧客に抱えています。その結果、ノーツは、大がかりなプロジェクトを関係者間で調整するためのシステムとして、会計事務所やコンサルティング会社の顧客にも普及していきました。これらの会社でも、情報共有が課題になっており、実際に役に立つという評判を聞いて導入されていったのです。
さらに、他の一般的な会社でも、組織内の様々な部署が、企業内外との連携にノーツを活用し始め、効率のいいコミュニケーションシステムとして、やがてグループウェアは「当たり前のシステム」として根付いていくことになりました。
連鎖反応を起こせば「ストライク」に
この事例では、アーリーマジョリティへの浸透の足がかりになったのは、世界各国に顧客を持つ会計事務所やコンサルティング会社の「グローバルな会計管理および顧客管理業務」でした。このピンを倒すことで、他のピンも倒していったと考えられます。1つの顧客層での成功をバネにして、新たな顧客層、つまり次のボウリングピンを倒していったのです。そして、やがて最終的には「ストライク」を出し、急速な成長が実現しました(ムーアは、急速な成長を「竜巻」になぞらえて、「トルネード」と呼んでいます)。
ムーアは、アーリーマジョリティ層の最初のピンを倒す「ニッチ戦略」が成功する理由を以下のようにまとめています。
(1)ベンチャー企業やそのパートナーが、いきなり汎用のホールプロダクト(完全な製品)を手がけようとしても無理がある。したがって、ニッチ市場の実利主義者を納得させることに集中したほうがよい。
(2)連鎖反応が起きやすい1つのニッチ市場を制覇すると、その実績を利用して、関連する別の顧客層も掌中に収められることが多い。この連鎖効果を使って、トルネード(急成長)を誘発できる。
(3)ニッチ市場では、本質的に利益率が高い強気な価格設定が可能である。ここで得られる利益によって、生まれたてのベンチャー企業の収支を黒字化でき、トルネード市場(急成長市場)へ戦線を拡大する資金を得られる。
(4)ニッチ市場で熱心に支持してくれる顧客を確保しておけば、トルネード期に標準規格争いが勃発したとき、優位に立ちやすい。
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