京セラの創業者・稲盛和夫氏は、会社を小集団(アメーバ)に分け、それぞれの組織を独立採算にして経営全般を任せる「アメーバ経営」を築き上げました。アメーバ経営では、各アメーバのリーダーの役割が重要になります。稲盛氏の名著『 アメーバ経営 ひとりひとりの社員が主役 』(日経ビジネス人文庫)を、コーン・フェリー・ジャパン前会長の高野研一氏が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔リーダーシップ編〕 』から抜粋。

誰にでも採算が分かる仕組みを用意

 アメーバのリーダーには、経営計画、実績管理、労務管理、資材発注まで各アメーバの経営全般が任されます。アメーバという小さな単位であっても、それを経営するとなれば収支計算をしなければならず、最低限の会計知識は必要になります。それが出資者に対して説明責任を果たすということです。ところが、当時の京セラにはそうしたことができる人材が不足していました。そこで、特別な知識を持っていなくても、アメーバの採算が誰にでも分かる仕組みを用意したのです。

 アメーバ経営の下では、各アメーバがあたかも個々の企業であるかのように社内売買を行います。そして、収入と経費の差額である付加価値を算出し、それを総労働時間で割って、1時間当たりの付加価値を計算します。これを1時間当たりの平均賃金と比較するのです。付加価値が賃金を上回っていれば、そのアメーバは出資者に対して利益をもたらしていることになります。

 市場価格が大幅に下がれば、それがアメーバ間の社内売買の価格にもすぐさま反映されます。このため、市場に接しているアメーバだけでなく、川上にいるアメーバまでもが、すぐに経費の削減に取り組まなければなりません。市場のダイナミズムが、社内の隅々にまでダイレクトに伝えられ、会社全体が市場の変化に反応することになります。

 買い手のアメーバは売買である限り、必要な品質を満たしていなければ、たとえ社内のものであっても買いません。定められた基準を満たさない仕掛品は後工程に流れていかないようになっているのです。それどころか、より低価格で高い品質の部材を提供するサプライヤーがいれば、社外から買うことも認められています。

アメーバ経営の下では、各アメーバがあたかも個々の企業であるかのように社内売買を行う(写真/shutterstock)
アメーバ経営の下では、各アメーバがあたかも個々の企業であるかのように社内売買を行う(写真/shutterstock)
画像のクリックで拡大表示

 このため、アメーバ間の値決めは京セラにおいて最も重要なものになります。そこでは公正・公平な判断が求められるのです。通常この役割を担うのは、買い手と売り手のアメーバの上に立つ上級管理職です。彼らには、労働の価値に対する見識が求められます。この電子機器を販売するには粗利が何%必要になるとか、この仕事をするアルバイトの時給はいくらかとか、この作業の外注コストはどのぐらいかといった知見が必要になるのです。そうでなければ売り手と買い手のアメーバを納得させることはできません。

 付加価値の高いハイテク製品の場合、そこに関わる工程は高度な技術を必要とするものが多く、時間当たり付加価値は高くなります。しかし、その中に単純作業を行うアメーバが混じっていることもあり、そのアメーバにまで高い売値を認めると、努力をしなくても儲(もう)かってしまうことになります。その一方で、高い技術力を擁しながらも、先行投資がかさむために不採算になっているアメーバもあります。

 こうした仕事や事業の特性を深く理解した経営者が、世間相場を勘案しながら、アメーバ間の値決めを行っていくのです。市場における神の見えざる手を人間が担おうとするわけですから、そこには高い見識と公正さが求められることになります。アメーバ経営では、こうした公の立場に立って、広い視野からモノの価値を判断する機会が多くのリーダーに与えられます。それが経営者を育成する訓練の場になっているのです。

リーダーは人格者であれ

 もちろん、アメーバ経営も万能ではなく、アメーバ同士のエゴが前面に出て、喧嘩(けんか)になってしまうことも多いことを稲盛氏は認めています。アメーバのリーダーは自部門の採算に責任を持ちながら売値を調整しているため、採算が悪化するような値下げを容易には受け入れることができないからです。リーダーが部下のためを思って自部門の採算をよくしようとすることが、アメーバ間の火種になるのです。

 しかし、稲盛氏は「個として自部門を守ると同時に、立場の違いを超えて、より高い次元で物事を考え、判断することができる経営哲学、フィロソフィを備える必要がある」と言います。ここでいうフィロソフィとは、「人間として何が正しいのか」を判断する力のことです。アメーバ経営は、こうしたフィロソフィをベースにして、はじめて利害の対立を克服し、正常に機能するといいます。

 このため、京セラでは公平、公正、正義、勇気、誠実、忍耐、努力、親切、思いやり、謙虚、博愛といった価値観を大切にしています。そして稲盛氏は、リーダーはすべてにおいて人格者でなければならないと断言します。しかし、人間は誰しもが完全ではなく、弱い側面を持っています。稲盛氏はこうした人間の弱さと、アメーバ経営の中でリーダーに求められる優れた人格との折り合いをどうつけているのでしょうか。

リーダーも人間であるからには万能ではありません。非現実的なほど高い倫理を求めすぎるのは、かえって問題を生むという意見があります。一方で稲盛氏は、リーダーはすべてにおいて人格者でなければならないと言い切っています。あなたは両者の立場にどう折り合いをつけますか?

 リーダーが利己に走るのは、上司や周囲から責められることを恐れて結果を取り繕おうとするからです。人間は弱い生き物であるがゆえに、真実から目をそらし、自分に都合のいい解釈をしてごまかそうとします。しかし、稲盛氏は、それではリーダーとしての真の勇気を持っているとはいえないと考えます。

 人格者とは、うまくいかなかったとき、正直に認めることができる人のことをいいます。自分の至らないところを認めるのは、精神的に難しいことではありますが、能力的に非現実的なことではありません。むしろ、人間の弱さを隠れ蓑(みの)にして、利己を貫こうとするところに、稲盛氏は危うさを感じています。それが組織の調和を乱す原因になるからです。

 公平、公正、正義、勇気、誠実、忍耐、努力、親切、思いやり、謙虚、博愛といった理念は、実は高い技能がなくても、人として正しいことを理解する力さえあれば行動として発揮できます。しかし、人間は知識や能力の不足を隠そうとするあまり、公正さや誠実さを欠いた行動を取ってしまいます。稲盛氏はそうした人間の弱さを正当化することを許さず、リーダーには自分の弱さを認める勇気を求めているのです。

 その一方で、エゴを抑えるということは、単純に相手の言うことを受け入れるということでもありません。たとえ相手のアメーバのことを思いやっていても、自部門の採算を下げることが許されるわけではないのです。それでは出資者の期待に応えることにはなりません。

 本当に会社のためを思うなら、「普通なら利益が出ないと思われるこの値段でも、何とか採算をあげてみせよう」と、人一倍の努力をする必要があるといいます。いままでにない徹底した原価低減を行う覚悟、自らがすさまじい努力を払う覚悟を持って譲歩するというのが、本当の利他行動であると稲盛氏は考えているのです。

 このため、事業全体に責任を持つリーダーが、顧客から値下げを受け入れるのであれば、交渉の前から、どのようにして原価を下げ、利益を確保するのかについて考えておくことが求められます。そして、絶対にできるという確信を持って注文を受けるとともに、製造に対しても「こうすればいままで以上の採算があげられるはずだ」と訴え、協力を取り付ける必要があるといいます。

 こうしたリーダーがいることによって、各アメーバが運命共同体として機能するようになり、会社全体があたかもひとつの生命体のような存在になっていくのです。

『アメーバ経営』の名言
『アメーバ経営』の名言
画像のクリックで拡大表示
京セラ創業者・稲盛和夫氏の名著

組織を「アメーバ」と呼ばれる小集団に分け、独立採算にすることで、ひとりひとりが採算を考える、市場に柔軟な戦う組織をつくる。これまでの常識を覆す独創的経営管理手法を詳解。組織づくりに悩んでいるマネジャー、リーダーを目指す人、必読!

稲盛和夫(著)/日本経済新聞出版/713円(税込み)