「ショッピングの科学」の基本は、トラッカー(追跡者)が買い物客を尾行し、行動を逐一記録すること――。ベストセラーとなった『 なぜこの店で買ってしまうのか ショッピングの科学 』(パコ・アンダーヒル著/鈴木主税、福井昌子訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を岸田雅裕・ラッセル・レイノルズ・アソシエイツ日本代表が読み解きます。『 ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕 』(日本経済新聞出版)から抜粋。
ショッピングの科学とは何か
『なぜこの店で買ってしまうのか』はショッピングの科学を論じた本です。1999年に米国でベストセラーとなり、2008年にはインターネットに言及した新版が出ました。消費者が製品を手に取る現場について理解を深めることは小売業者にとどまらず、製造業に携わる人にも役立つでしょう。
ショッピングの科学とは「調査、比較、分析を通して商店や商品を買い物客により適合させるための高度に実践的な学問」で、「都会の文化人類学者のツールを利用して、ショッピング環境への人びとのかかわりを研究してはどうか」という著者のアイデアから生まれました。店舗での消費者行動をビデオカメラで撮影、分析もしますが、基本はトラッカー(追跡者)が、買い物客を尾行し、行動を逐一記録することにあります。
マーケティングはブランド・ロイヤルティーの重要性や広告でどうメッセージを届けるかについてアイデアを提供してきました。しかし、現在では多くの購買決定が店頭でなされるようになり、ブランド・ロイヤルティーや広告宣伝効果の低下が顕著になっています。今ではショッパーズ・マーケティングの重要性は広く認知されていますが、「ショッピングの科学」はその嚆矢(こうし)と言えるでしょう。
「買い物客は店にいる時間が長くなればなるほどたくさん買う。客が店内に滞留する時間は、その場がいかに快適で楽しいかによる」とあり、ショッピングの科学を3段階で論じています。第1段階は快適な店づくりのための人間に共通する特徴への配慮。第2段階は性別や年齢によって行動パターンが違うことへの理解。最後は買い物に際し何が最大の誘因となるかを探ることです。
過去の分析の多くは供給者視点でした。本書は買い物客視点で書かれています。経営書というと戦略、組織などを論じがちですが、消費者、買い物客、顧客に対する想像力が働かないと、具体的な仮説が描けません。
店内で買い物客の行動をとことん観察
本書でショッピングの科学の基本技と位置づけられるトラッカーは、買い物客のリサーチャーです。基本は、トラックシートに買い物客の特徴と店内での行動とその意味についてびっしりと書き込みます。難しいのは、人に気づかれないように近づき、観察しながらメモを取ることです。買い物客の背後ではなく横に立つと、買い物を邪魔せず、行動を間近に見ることができるといいます。
著者によれば、トラッカーは簡単には務まらないとのことですが、どのくらい難しいのか、また、本書に提示されていることがどの程度有用なのか、実地検証してみました。
ユニクロ大型店での買い物客観察メモ
本書の事例から抽出したポイントをチェックできるよう、手のひらサイズのメモ帳と短い鉛筆をポケットに忍ばせて、ユニクロの大型店舗を訪れ、買い物客を観察してみました(調査は本稿執筆時点のもの)。
■メモ1
黒いスウェードのジャンパーとジーンズ姿の60代と思われる男性。正午に入店し、まっすぐメンズ売り場に向かう。階段を上った左手にある買い物かごをとり、そのままレジ近くにある黒いヒートテック・マフラーをラックから外して値札を一瞥(いちべつ)してかごに入れた。
その後、フロア中央付近にあるカシミヤのセーターのラックに行く。下段でハンガーに掛かっている4着と、上段に折り畳まれている12着すべてを片手に取り、触れてみて、サイズを確かめた。他の客が同じセーターに触れ始めたとき、一度横によけたが、その客が去るとまたラックの正面に戻って吟味する。その後、別のカップル客が同じ棚の商品を見にやって来たので、男性客は少し横にずれた。
のべ7分間を費やした上で、結局セーターは買わず、レジに行き、最初に選んだマフラーの支払いをした。その際、レジ係と一言二言言葉を交わしていた。12時15分に店を出た。
■メモ2
12時25分、40代の夫婦と思われる一組が、メンズ売り場にやって来た。買い物かごを手に取り、女性がヒートテックのアンダーウエアの上下のサイズを確かめながら2セットかごに入れた。その後、ヒートテックのTシャツを色違いで3枚かごにいれた。
この間、男性は1人でパーカーのラック前で、色とサイズを確認していた。やがて女性が男性に合流し、畳んで積み上げてあった中から3色を取り出して、男性に袖を通してみるように勧めた。男性が一言二言言うと、女性は持っていた買い物かごを床に置き、男性が着ていた上着を預かって、パーカーに手を通すのを手伝った。男性は、2着に手を通した後、1つを買い物かごに入れて、残りを軽く折り畳んで棚に戻した。買い物かごを一杯にした2人はレジに向かった。このとき、12時50分。
リサーチしたのはたった1時間でしたが、確かになかなか手ごわいという感想でした。気づかれないよう観察することもさることながら、観察と同時に「なぜそのような行動をとったのか」を考えると、脳の普段使ってない部分を使うようで結構な疲れを感じました。
特に最初の男性客がなぜセーターを買わなかったのか。このセーターはチラシ掲載商品だったので、買う気で店に来て手に取ったはずです。しかも、サイズも色バリエーションもそろっていたのです。
リサーチから買うのをやめた理由を探る
本書の前半に書かれているチェックポイントに沿って、前述のケースで商品が売れるための改善点を考えてみます。
・手の問題
客は手がふさがっていた場合、その(買うという)判断をするところまでいかない
・買い物かご設置場所
かごは店内全体に、買い物客が必要としそうな場所にはどこにでも分散させておくべき
メンズフロアを訪れた客のうち、買い物かごを手に取ったのは4割程度。買い物かごを取った人は、ほどなく何かをかごに入れています。かごを持たないまま、3~4点までは商品を片手で持って買い物を続けている人もいましたが、片手でハンガーを外すなど不便そうでした。そこまで来て買い物かごを手に取るためには、階段近くの置き場まで戻るしかなさそうでした。
買い物かごは売り上げ向上、具体的には買い上げ点数の増加に直結します。スペースの有無など店舗ごとに事情は異なるでしょうが、やはり改善策として、かごを店内全体に分散させておくことです。これは極めて基本的なアイデアですが、ユニクロのように「当たり前のことを徹底する」ことで実績を上げている企業であっても、売り場によってはまだ改善の余地があるわけです。
あるいは本書にある米国のオールドネイビーの例のように、入り口で全員に買い物トートバッグを渡して、気に入ったらそれもレジで買ってもらうというのもよい方法でしょう。
パーカーなどその場で試着してみたい商品のラックで、通路幅が狭い場合、だれか1人でもその前に客がいると、他の客が遠慮して一旦その場を離れてしまう様子が何度も観察されました。特に、片手に別の商品を持っている人はその傾向が強いようです。また、秋冬など厚着をしている季節は、上着を一度脱いでから袖を通すことになるので、脱いだ自分の服や荷物を置く適当な場所がないために、床に自分の服を置いて、急いでサイズを確かめている人も見かけました。
改善点としては、ラックの間の距離を、その場で羽織ってみる必要があるアイテムに合わせて広めにすることでしょう。加えて、脱いだコートや上着を自然に置ける台と鏡を置いたら、もっと心地よく買い物を続けてもらえるはずです。
もちろん適切な通路幅の設定は簡単ではありません。通路が広すぎるとスカスカの売り場に見えてしまい、「流行っていない」印象を与え、店舗の魅力が落ちてしまいます。また通路幅を広げると、店頭での陳列商品数が減ることになり、機会損失にもなり得ます。そこで、例えば通路幅を一定にするのではなく、「冬場で脱ぎ着が発生する商品については広めの通路幅を取る」などの細かい施策はトライするに値するでしょう。
ポーターら巨匠の代表作から、近年ベストセラーになった注目作まで、戦略論やマーケティングに関して必ず押さえておくべき名著の内容を、第一線の経営学者やコンサルタントが独自の事例分析を交えながら読み解きます。
日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2640円(税込み)


