人を驚かせるイノベーションはどこから生まれるのでしょうか。それは天才のひらめきではなく、誰でも再現可能な「思考の型」から生まれます。本記事は、日経記者である著者が大学院で学んだ理論を、豊富な取材経験をもとに解説した『超凡人の私がイノベーションを起こすには』(杜師康佑著/日本経済新聞出版)から、抜粋・再構成してお届けします。第1回は、転倒骨折を防ぐ革新的なマット「ころやわ」を開発したマジックシールズの下村明司さんを主人公に、その「デザイン思考」の秘密に迫ります。
転んでも骨折させないようにするには?
日本では、転倒して骨折する高齢者の数が年間100万人に上る。転倒による骨折は寝たきりや要介護の原因になることが多く、経済損失は年間2兆円とかなりの規模だ。仮に転倒時の骨折を防ぐことができれば高齢者や介護者にとっての身体的・心理的負担が減るだけでなく、日本全体でみたときに医療費や介護費を抑制できるという社会的メリットも大きい。
高齢者の骨折を防ぐためにはどうすればよいだろうか。すぐに思いつきやすいアイデアは「歩かせずに転ばないようにすること」。例えば、椅子に座ったりベッドに寝たりする時間を増やして歩かせないようにすれば確かに骨折のリスクは下がる。
だが、自由に移動できない、トイレもひとりで行けないことは個人の尊厳を損なう大きな精神的負担になってしまう。施設にカメラやセンサーを取り付けて転倒のリスクが顕在化したらアラートを出すのはどうだろうか。確かに人の目によるモニタリングの必要性はなくなるかもしれないが、施設の中で常に監視されている状態は、そこで過ごす人にとって生活上の不安感を与えかねない。
そもそも歩くことは健康に良いことなので「転ぶこと自体を課題と捉えるのを止めてみる」と発想を転換できないだろうか。下村さんらは「高齢者を歩かせない、転ばせないようにするにはどうすればよいか?」から「そもそも転んだとしても骨折しないようにするにはどうすればよいか?」と問いそのものをリフレームした。
このように問いを立てる際は「How might we…」、日本語では「○○を××するにはどうすればよいか?」というように解くべき課題を特定することが多い。
下村さんはバイクのエンジニアだったため医療介護領域に関する知見は少なかったが、病院施設を何度も視察して転倒による健康状態の悪化がいかに深刻かという実情を知り、「この問題を分かっていて見過ごすことはできない」との思いを強めたという。
施設の中で介護士にインタビューをしている最中に近くで高齢者が転倒し、インタビューが中止になったこともあり、自身の目で現場を見たことが「ころやわ」が持つ顧客価値を磨き上げることに役立った。「真の課題の探求は現場からだった。困っている人たちを目の当たりにすると自分の熱量も上がった」と振り返る。
イノベーションの種を図から考える
アイデア創出はどのように行うのか。イノベーティブなアイデアを得るには、既に世の中にあるものをたくさん集めてグルーピングすることで特徴を見つけ出したり、マトリクス表を使って強制的にアイデアをねじり出したりするなど様々なやり方がある。
ダイヤグラムや図を描いて考えてみるのも有効だ。例えば、あらゆる床材を集めてみるとする。横軸に歩きやすさ、縦軸に転んだときのクッション性の高さを設定し、様々な材料をこの図の上にプロットしてみる(図)。
例えばフローリングは歩きやすい材質ではあるが、硬質であることから転んだときに衝撃を吸収する力は弱い。逆にスポンジであれば吸収力は強い半面、柔らかすぎて歩きにくいというデメリットがある。様々な材料をプロットした結果、図のような曲線が描けたとすれば、「歩きやすいかつクッション性が高い」という二つの性質を兼ね備えた材料はまだ世の中に存在しないことが浮かび上がってくる。
普通であれば、この二要素は相反するものであると考えられており、それが一種のバイアスになっているともいえる。逆に言えば、このバイアスを突き崩す「外れ値」のゾーンにこそ、イノベーションの種が眠っていると考えることができる。
トライ&エラーを何度も繰り返す
素晴らしいアイデアを思い付いたとして、「それを形にするなんて難しいのでは」で止まってしまうことが一般的にはよくある。マジックシールズはアイデアをアイデアで止めなかった。
デザイン思考で重要な概念の一つがプロトタイプだ。すでにやり方が分かった仕事をするのとは全く異なり、新しいことをやる際はそもそも計画を立ててもその通りにいかないことが多い。であれば計画に時間をかけるよりも、何よりもまずやってみる。そのために最小限の機能を持たせた簡単なプロトタイプを作ってみることが何よりも大切になる。
プロトタイプに使う道具は安くてよい。100円ショップで手に入る雑貨品など安ければ安いほど素早く失敗ができる。下村さんの場合は、コンビニで買ってきた紙コップを使用した。紙コップを等間隔に敷き詰め、その上に板を置く。板の上に人が乗ったら紙コップは潰れてしまうだろうか?
やってみないとどうなるか分からないが、実際にやってみると何と紙コップは形状を保ったままだったのだ。紙という非常に柔らかい素材でできているとはいえ、ゆっくり板の上を歩けば潰れることはない。逆に強い力で局所的に加重すると、いとも簡単に潰れることが分かった。
このトライ&エラーが「ころやわ」の原型になっている。紙コップで実験した次は空き缶を使用したり、加重を分散させるために忍者が使う「水ぐも」の原理をアイデアに盛り込んでみたり、下村さんたちはさまざまな思考を行ったり来たりしながら、最終的な製品化に結び付けた。
理論を知る日経記者が、現場で得た実践知をやさしく解説。
新たな挑戦に踏み出す、全ての人に贈るイノベーションの入門書。
杜師康佑著/日本経済新聞出版/1980円(税込)



