人を驚かせるイノベーションはどこから生まれるのでしょうか。それは天才のひらめきではなく、誰でも再現可能な「思考の型」から生まれます。本記事は、日経記者である著者が大学院で学んだ理論を、豊富な取材経験をもとに解説した『超凡人の私がイノベーションを起こすには』(杜師康佑著/日本経済新聞出版)から、抜粋・再構成してお届けします。第2回は、大阪大学フォーサイト社長で、現場からアイデアを生む「行動観察」の提唱者でもある松波晴人さんの思考法に迫ります。
「エクストリームユーザー」を探す
イノベーションを起こすために何よりもまず重要なのは現場から得られる一次情報といえる。例えば、「犬の幼稚園」というサービスをご存じだろうか。飼い犬が子犬の頃に預け、他の犬との遊びや食事を通じて生活習慣を身につける施設のことだ。普通であれば、本や動画を見て自分で方法を学びながら家でしつけるため「犬を幼稚園に通わせる」というのは聞きなれない、とても珍しい消費行動だ。
こうした特異なユーザーは「エクストリームユーザー」とも呼ばれることがあり、「なぜこの人は犬を幼稚園に通わせたいと思ったのだろう?」と観察者を立ち止まらせ、問いを生み出すきっかけにつながりやすい。
松波さんが高齢者のニーズを調べるため、ある消費者集団をリサーチしていたところ、ある一人の高齢者が実際に犬の幼稚園のユーザーだった。気になるのはなぜ高齢者は犬を幼稚園に連れて行くのだろうという点だ。「本質を見極めるために重要になるのがナレッジ(科学的知見)だ」と松波さんは話す。
犬を幼稚園に通わせるということは犬を子どものように見立て、「親としての役割を演じる」という行為にかなり近い。そこで「人間が何らかの役割を持つことはどんな作用をもたらすか」ということについて問いを深掘りして科学的な知見を調べた結果、「役割を持つことが人間の幸福感を高める」ということが分かってくる。観察者が現場で得られたファクトとナレッジを組み合わせることで「高齢者は『誰かの役に立つ役割』を持ちたいのではないか」という仮説が一つのインサイトとして生まれてくる。
このインサイトをもとに自分たちの持つ技術や強みを生かし、新たなビジネスの機会をどう見つけ出すか。例えば「高齢者が社会貢献できるための人材派遣サービス」を考案するといったことが可能になる。実際にコンセプトを作り出したあとは具体的なサービス内容への落とし込み、プロトタイプを通じてフィードバックを得るという行動の繰り返しだ。
チョコレート消費量が多い国はノーベル賞受賞者が多い?
行動観察を定性的な顧客理解と捉えたとき、その対極にあるのがデータを分析することによる定量的な顧客理解だ。近年では「データドリブン経営」とも呼ばれる定量データをもとに経営判断を下す手法が多くの企業で採用されている。データによって市場を定量的な数字として可視化し、意思決定の精度を高めることができる一方で、落とし穴が存在することも知っておく必要がある。
例えば、過去と現在を比較したときに製品の売上高が伸びていたとする。しかし、その伸びは自社によるマーケティング施策によるものなのか、それとも競争相手の失策によるものなのか、数字だけでは分からない。データは過去の出来事を数値にしたものにすぎず、その文脈を考慮しなければ本質を見落とす危険性を抱えている。
マーケティングの一環でアンケートを実施する場合、回答者は市場全体を意味する母集団から集められたごく限られたサンプル(標本)にすぎない。サンプルである回答者の年代や性別、志向が偏っている場合、それは市場全体の傾向を表すとはいえないのだ。現実世界では正解はいくらでも変わり得る。分析をするだけではなく、そこから何を発想するかという観点が重要になるのだ。
データ分析において留意すべき点として因果関係と相関関係の違いも存在する。ある要素が増える(減る)と別の要素も増える(減る)という現象をみたとき、これだけでは因果関係なのか相関関係なのかは分からない。例えば、チョコレートの消費量が多い国はノーベル賞の受賞者が多いという事象があったとする。それでは、チョコレートの消費量が増える政策を打てばノーベル賞の受賞者が増え、その国の権威も向上するか? というと当然のことながらそんなことはない。
チョコレートの消費量とノーベル賞の受賞者数の関係性においては、「国の経済力」や「教育環境」など別の要因が影響している。言い換えると、経済力が高い国では、チョコレートの消費量が増える傾向がある。これとは別に経済力向上に従って教育環境が整っていることから、ノーベル賞受賞者が多くなるということだ。
上記は非常に単純化した例だが、因果関係がないにもかかわらず、ミスリードして因果関係があるかのように思ってしまうことを「疑似相関」と呼ぶ。因果と相関の混同は、誤った施策にリソースを投下してしまう原因となる。
会議室を出て現場へ
イノベーション活動を始めるとき、データを眺めて分析したり、会議室でディスカッションしたりして仮説を立てることは重要だ。しかし、実際に自分たちしか知らないこと、他の人にはない独自性のあるインサイトを得る最初の起点は現場にあることが多い。データは多くの利点を持つ一方で、その限界も認識する必要がある。市場やユーザーの理解には顧客が置かれた状況を鑑みて、その文脈やユーザーが成し遂げたいことを把握する能力が必要だ。
会議室を出て現場で消費者や顧客の行動をつぶさに観察し、得られた洞察の背後にあるものを調べるという観察力のトレーニングがその一歩となる。
理論を知る日経記者が、現場で得た実践知をやさしく解説。
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杜師康佑著/日本経済新聞出版/1980円(税込)


