ピュリツァー賞を2度受賞し、ニクソンからバイデンまで歴代大統領を取材・報道しつづけているアメリカを代表するジャーナリスト、ボブ・ウッドワードが、ウクライナ、中東、アメリカ大統領選という「3つの戦争」の舞台裏を徹底取材した新刊『 WAR(ウォー) 3つの戦争 』。大統領退任後も続くトランプとプーチンの真の関係性とは? バイデンはなぜウクライナに米軍を送らなかったのか? トランプは「ウクライナを止められなければ、次は台湾だ」という意見に同意し、世界が第3次世界大戦の瀬戸際にあるという認識を示しています。世界が揺れ動くなか、日本の立ち位置はどうあるべきか? 「ウッドワードの数多い著作のなかでも屈指の読みごたえのある傑作」と訳者の伏見威蕃さんも絶賛しています。本書から「訳者あとがき」を紹介。

【訳者あとがき】

 本書『WAR 3つの戦争』は、アフガニスタン撤退以後にバイデン大統領が関わった、ロシアのウクライナ侵攻とイスラエルとハマスの戦いを詳述している。メディアで報じられない舞台裏の情報もかなり盛り込まれている。そして、バイデンはもうひとつの戦い――2020年の大統領選挙の結果を認めようとしないトランプを相手どった2024年の大統領選挙――にも挑んでいた。

 これらの戦争が台湾、朝鮮半島、フィリピン諸島、アジア全域にひろがる懸念材料に影響を及ぼすおそれがあると判断したトランプは、「私たちの惑星は第3次世界大戦の瀬戸際にある」と宣言した。

 バイデン政権にも漠然とおなじ危惧を抱いていた高官がいたが、トランプの洞察はもっと具体的で、グラム上院議員の「つぎは台湾です」という言葉を強く肯定し、そのとおりだと思う、と述べた。大統領当選後、トランプがさっそくゼレンスキー大統領およびマクロン大統領との三者会談を実現し、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平主席との接触をはかろうとするなど、外交に重点を置いて活動している背景には、そういった展望があるだろう。

 バイデン政権もけっして手をこまぬいていたわけではなく、インテリジェンス・コミュニティはプーチン大統領のウクライナ侵攻の意図をかなり前から察知していた。演習と称してウクライナ国境付近に大規模なロシア軍が集結しているという物的証拠もあった。バイデン政権は、さまざまな経路でプーチンにじかに警告するとともに、同盟国やウクライナにも情報を伝えて注意を促した。

 しかし、ウクライナ侵攻はあまりにも常軌を逸しているので、プーチンがほんとうにやるのだろうかと疑う意見が多かった。NATO加盟国だけではなく、ウクライナも当初は確実な情報に基づくアメリカの判断を疑ったほどだった。

 ウクライナには米軍部隊を派遣しないというのが、バイデン大統領の揺るぎない方針で、ロシアの侵攻前から、紛争地域への派兵は行なわないと明言していた。しかし、軍事支援は莫大な規模で行なった。当初はウクライナが短期間で失陥してアメリカの最新鋭兵器がロシアの手に落ちるのを恐れて、供与する兵器の種類を制限していたが、ウクライナが善戦するうちに、この方針は徐々に変わっていった。

 興味深いのは、各種の最新兵器が使用されるいっぽうで、1990年代に開発された155ミリ榴弾砲の砲弾をウクライナ軍が大量に消費していることだ。砲撃戦という概念は現在の米軍では重視されていないので、砲弾の調達にアメリカは苦労した。兵器システムの供与には、言語のちがいや訓練という壁もある。たとえばF-16戦闘機がロシアによる侵攻開始時点でウクライナに送られていたとしても、すぐに使用できるわけではなかった(現在は、機数はすくないものの使用されている)。ウクライナが運用しやすいドイツ製のレオパルト2戦車をNATO加盟国が供与することにも厄介な問題があったが、それが克服され、実戦で活躍するようになっている。そういった兵站(後方)の問題をバイデンのチームがたくみに解決していったことも描かれている。

 バイデン政権は、ガザ地区を支配するイスラム過激派組織ハマスが2023年10月7日にイスラエルへの越境奇襲攻撃を行なったことにより激化したイスラエルのガザ地区攻撃にも対処しなければならなかった。領土を侵され、国民を多数殺されたイスラエルのネタニヤフ首相は、ハマスを抹殺すると断言していた。しかし、人口密集地のガザ地区では、イスラエルの空爆によって死傷者が膨大な数にのぼり、食料や水が不足して人道危機が拡大していた。バイデン大統領は、そういう状況を改善するために、イスラエルを訪問した。いっぽう、バイデン政権のブリンケン国務長官は、人質解放の交渉を進めるために、ハマスとの連絡があるカタールのタミム首長と会談するなどの外交努力を重ねていた。ブリンケンが何度も耳にした“ハマスはムスリム同胞団だ”という意見からも、中東の主要国がハマスを危険な存在だと見なしていることは明らかだった。

 ウクライナ侵攻の戦況が予想どおりに進展しないため、ロシアは戦術核の使用を考慮しはじめた。バイデン大統領は、オースティン国防長官を通じて、ロシアのショイグ国防相にそのことを警告した。バイデン政権は当面、核戦争を回避することに成功した。

 イスラエル政府上層部は、ガザ地区のハマス殲滅(せんめつ)を目指すいっぽうで、北の国境を接しているレバノンのテロ組織ヒズボラを先制攻撃することを検討していた。北と南の2方向から攻撃されるのを恐れたからだ。ヒズボラにはハマスとは比べ物にならないくらい大量の兵器がある。そうなったら、中東全域に戦火がひろがりかねない。バイデン政権はイスラエルを制止しようとした。

 ウクライナとガザ地区のこれらの危機は、バイデン政権の対応によって一時的に大幅な拡大は抑えられたものの、状況は日々変化していて、いまも予断を許さない。シリアのアサド政権崩壊と、それにつづくイスラエル軍によるシリアの軍事施設への攻撃、ゴラン高原での緩衝地帯を管理下に置いたことは、その顕著な例だろう。

 本書を一読すればわかるように、バイデン政権について特筆すべきなのは、ホワイトハウスのチームが、こういった世界の危機を熟慮して、迅速に対応したことだ。トニー・ブリンケン国務長官、ロイド・オースティン国防長官、ジェイク・サリバン国家安全保障問題担当大統領補佐官がホワイトハウスのチームの中核だが、インテリジェンス・コミュニティのアブリル・ヘインズ国家情報長官とビル・バーンズCIA長官も、バイデンに適切な情報を提供し、積極的な対外活動を行なうなどしている。カマラ・ハリス副大統領は、オーストラリアの潜水艦調達問題でアメリカと不仲になっていたフランスのマクロン大統領と会談するなど、外交で重要な役割を果たしている。

 バイデンはトランプを名前で呼ばず、“私の前任者”と呼んでいた。バイデンにとって最大の国内問題はトランプだったのかもしれない。“議会を通す前にマール・ア・ラーゴの承認を得なければならないことに、バイデンはいらだっていた”とあるように、トランプ前大統領はいまも共和党に絶大な影響力がある。プーチンとのつながりもつづいている。

 プロローグにある著者とカール・バーンスタインによる1989年のトランプへのインタビューは、トランプの人物像を描いていてたいへん興味深い。当時は、トランプが大統領どころか、時代を画する政治家になるとは思われていなかったが、“トランプ主義”の起源が垣間見える。本書では、トランプが大統領選挙出馬に至った心境、リンゼー・グラム上院議員とのやりとり、暗殺未遂事件などが、効果的に差し挟まれている。また、ウクライナとガザ地区の戦争についてのトランプの洞察は鋭い。それも読みどころだろう。

 大統領選挙運動の終盤、バイデンは年齢による衰えが目立つようになり、2024年7月に選挙戦から撤退するとともに、カマラ・ハリス副大統領を代わりの候補として支持すると発表した。ハリス支持が急激に高まり、民主党も精いっぱい支援したが、準備期間が短かったことは否めなかった。

 本書のカバーにはおもな登場人物6人、ジョー・バイデン、カマラ・ハリス、ウラジーミル・プーチン、ウォロディミル・ゼレンスキー、ドナルド・トランプ、ベンヤミン・“ビビ”・ネタニヤフの顔写真が掲載されている。ここで名前を挙げたバイデンのおもな補佐官以外の補佐官たちも、何人か口絵写真に載っている。バイデンの国家安全保障チームは個性も才能も豊かで、『WAR 3つの戦争』を一所懸命、誠実に戦った。このチームを編成したことはバイデンの遺産(レガシー)のひとつだろう。本書ではこういった脇役の活躍も目覚ましい。しかし、アメリカ政治には、ドナルド・トランプの大きな影がのしかかっている。本書ではこういった状況が効果的に描かれている。ボブ・ウッドワードの数多い著作のなかでも屈指の読みごたえのある傑作だといえよう。

2024年12月 伏見 威蕃

<訳者>伏見 威蕃(ふしみ・いわん)
翻訳家。1951年生まれ、早稲田大学商学部卒。ノンフィクションからミステリー小説まで幅広い分野で活躍中。ボブ・ウッドワードの『FEAR 恐怖の男』『RAGE 怒り』『国家の危機』、トーマス・フリードマンの『フラット化する世界』『遅刻してくれて、ありがとう』、ウィンストン・チャーチルの『[完訳版]第二次世界大戦』など訳書多数。