12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。緊急トラブルの対応現場で出会ったすご腕の先輩SEの五十嵐優一と語り合い仕事への前向きな気持ちを取り戻した後藤。いよいよシステムの復旧作業に取りかかった後藤たちに、五十嵐は意外な事実を伝える。(この物語はフィクションです)
「よーし、直すか」
五十嵐さんは立ち上がり、両手を上に挙げて伸びをした。
ぼくはハンカチでテーブルを拭き、五十嵐さん、春村さんとともにサーバー室に戻った。
五十嵐さんは早速、パソコンに向かってコマンドを打ち始める。
「とはいっても実はもうすでに直し終わっているんだ」
「どういうことですかっ?」
思わず、声を張り上げてしまう。
ぼくらはただしゃべっていただけじゃないのか? いつの間に直したんだ?
この人、なんなんだ。
「春村さん、アプリケーション試験できる?」
「はい、試験用のデータもあるのですぐやります」
春村さんは五十嵐さんの指示に従い、慣れた手つきでパソコンを操作して試験をした。それと、自分のスマホを取りだし、スマホからもテストをした。
「それと、負荷試験もできる?」
「それはぼくにやらせてください。簡易なものですが、ツールがあるので、やってみます」
しばらくして、春村さんが、テストは一通り完了したと伝えた。
「大丈夫です、うまく動いています」
「五十嵐さん、ぼくの方も負荷試験の準備が整いました。いつでもオーケーです」
「じゃあ、後藤がサーバーに負荷をかけた状態で、春村さんがもう一度アプリケーション試験をしよう」
五十嵐さんのゴーサインで、ぼくはツールでサーバーに負荷をかける。そして、五十嵐さんとぼくは、春村さんの後ろに立ち、アプリケーション試験の様子を確認した。パワハラ通報リンクがあるメッセージも出ていない。ひとまず直った様子だ。本当によかった。
ただ、気になるのは、今回のトラブルの原因だ。
「五十嵐さん。結局、原因はサイバー攻撃だったんですよね?」
「そんなようなものだ。システムが止まるという問題と、変なメッセージが出るという問題があって、それぞれ別々の原因だった。まあ、あとで説明するわ」
「でも、無事にトラブル解決ですよね?」
「いや、単なる暫定処置だよ。今回のトラブルの真の原因はストレージのハード的な故障だ。それも症状が出たり出なかったりする厄介なやつ。ハードの故障だから根本解決はメーカーしかできない。どうやら、負荷が少ないときは正常に動作するけど、負荷が上がると挙動がおかしくなるみたいだ」
「なるほど」
「ストレージの方は、原因がよくわからないから、オレたちは手が出せない。保守契約によるとストレージメーカーの保守対応は9時から17時。だから朝9時になったら速攻で連絡して、対応してもらう」
「じゃあ、どうして負荷試験をしても正常に動くのですか?」
「ストレージは調子が悪いから、負荷をかけるアプリケーションをクラウドに移行した。そして、このサーバー室のオンプレミスなサーバーと連携させた。移管したのはアプリケーションだけで、機密情報を含むデータはクラウドに置いていない。だから、セキュリティー面の問題はない。当面の業務はこれで十分しのげるはずだ」
「すごい。そんな短時間でできるものなんですね」
五十嵐さんの仕事のスピードにあぜんとした。
「言ったろ、オレにはフリーランスの仲間がいるって。スマホからスラックでメッセージを送って、クラウドにシステムを移行するところなどを彼らにやってもらった。機密情報が含まれる部分は注意が必要だから、そこはオレがやったけど、あとは任せたさ」
「いつの間に……」
「だから、仲間が大事ってことさ。今回の場合、夜中だから、さっき言ったアメリカの大学で修士号を取った後輩が活躍してくれた。彼はシリコンバレーで自由なスタイルで働いていて、この時間はまだ昼間だ」
「すごいですね……」
「後藤と休憩室で話をしながらも、たまにスラックで進捗を確認したり、質問に答えたり、指示を出したりしていた。そして、システム移行が無事に終わったのはわかってたんだ」
「すごい、すごいですけど、ちょっとセコくないですか?」
「なにがだ」
「だって、自分で解決せずに手伝ってもらったのですよね」
五十嵐さんはキョトンとした顔をした。「セコい」というぼくの表現が気に入らなかったのか。
「成長したお前に、オレからの最後のアドバイスだ!」
五十嵐さんは頭をかきながら、大きなカバンの中から、手帳を出した。手帳をパラパラとめくり、「ほら、見てみろ」と言って、メモを見せてくれた。
「松下幸之助さんの言葉ですか?」
「そうだ。オレの座右の銘だ。読んでみろ」
『額に汗することをたたえるのもいいが、額に汗のない涼しい姿もたたえるべきであろう。怠けろと言うのではない。楽をする工夫をしろというのである。楽々働いて、なお素晴らしい成果があげられる働き方を、お互いにもっと工夫したいというのである。そこから社会の繁栄も生まれてくるであろう』
なるほど、たしかにそうだ。手帳を見ると、他にも名言がいくつも書かれてある。五十嵐さんは本もいろいろ読んでいるんだ。ぼくはというと、ITの技術を磨こうと、ITの専門書ばっかり読んでいた。様々な本をたくさん読むことは、知識だけではなく視野が広がる効果がある。五十嵐さんの考え方の礎は、経験だけでなく、本の多読にあったかもしれない。
「親からは、真面目に働くことが日本人の美徳だって教わりました。だから、楽をするのはよくないというマインドがあったと思います。ですが、松下幸之助さんのような偉大な経営者に、楽をする工夫をしてもいいと言ってもらえると、気が楽です」
「そうだな。後藤は真面目過ぎる面があるから、もっと気楽にな」
「聞いた話ですが、B型は、誰かがやってくれると信じているらしいんです。だけど、ぼくはA型の性格で、なんでも自分でやらなければいけない、そう思っていました」
「だ・か・ら、オレは血液型なんて信用しない」
「あ、そうでしたね。はい、血液型という固定観念も忘れるようにします」
「ただ、血液型に関係なく、どんな人でも、頼る力は大事だ。困ったら助けてもらうというのは、逃げているように思うかもしれない。でも、違うんだ」
「頼るべき、だと」
「そう。そして、苦しかったら逃げてもいい。追い詰められてつぶれてしまったら、その本人だけでなく、みんなが不幸になる。プロジェクトも成功しない。人に頭を下げるのはしゃくだとか、相手に申し訳ないとか、いろいろな理由で頼れない人がいる。そんな小さなプライドや固定観念にとらわれず、『仕事がうまくいくこと』、それだけを考えろ。そうしたら、頼るということは重要な選択肢になってくる」
当初は、五十嵐さんの考え方をあまりよく思わなかった。だけど、話を聞けば聞くほど好きになった。
「いいか、後藤。人間関係ができてこそ頼ることができる。でも、初めて会う人であっても頼ることは可能だ」
「本当ですか?」
「ただし、夢や情熱を持っていることが条件だ。そういうやつを見たら、誰もが助けたくなるし、応援したくなる」
五十嵐さんは、誰よりも仕事を成功させようと思っている。だからこそ、みんなが助けてくれるということだ。
「何かを達成するために、ぼくも人に頼るようにします。そして、人からも頼られるエンジニアになれるよう、がんばります」
五十嵐さんは、陽気に笑みを浮かべた。その笑顔は、まるでぼくへの励ましのメッセージのように心に響いた。
(つづく)
[日経クロステック 2023年9月7日付の記事を転載]

