12年働いた中堅システムインテグレーターをやめようと決心していたSEの後藤智彦。緊急トラブルの対応現場で出会ったすご腕の先輩SEの五十嵐優一、運用保守会社の派遣エンジニア春村春香と共に徹夜でトラブル対応にあたる。長い夜が開け、トラブル対応を終えた3人はようやくビルの外に出る。ほっと一息ついた後藤に五十嵐は意外な事実を明かし始めた……。キャリアや未来に悩む若手ビジネスパーソン必読の物語、いよいよ大団円。(この物語はフィクションです)

イラスト:冬乃郁也
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 五十嵐さんが、ふと、真面目な顔になった。

「ところで、春村さん、なんであんなイタズラしたの?」

 春村さんは、一瞬息をのんでから答える。

「……何の話ですか?」

「もう、わかっているんだから、いいんじゃない?」

 ぼくも、何の話かわからずに、五十嵐さんの目を見る。

「五十嵐さん、どういうことですか?」

「PINコード。いわゆるパスワードだ。春村さんのパソコンの画面のロック解除、PINコードが3787だった。集中して君の手元を見たらすぐにわかる。だから、最初から君を疑っていたよ」

 春村さんは下を向いて黙り込んだ。

「3787って、どっかで聞いた番号ですね」

 ぼくは会話に入りたかった。仲良くなった春村さんが一方的に責められているように感じ、黙って聞いていることができなかった。

「あ、そうだ、あのパワハラ通報のメッセージを消すパスワードですね。え、なんで? どういうことですか?」

 ぼくは五十嵐さんと春村さん、2人の顔を交互に見た。

「自殺したとネットにあった女性、光菜と書いて、『ミナ』。そして、君の名は春菜と書いて、『ハナ』。だからパスワードはお姉さんと君の名前で3787(ミナハナ)」

 どういうこと?

 ぼくは驚きのあまり、何も言葉を発することができなかった。

 五十嵐さんも春村さんも黙ったままだ。

 遠くで電車が通る音がする。

 どれくらい沈黙が流れただろうか。

イラスト:冬乃郁也
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 しばらくして、春村さんが静かに口を開いた。

「パスワードを名前にするって、セキュリティー的には駄目ですね」

「やっぱりそうか」

「でも、気づいてほしかったんです。私のことも、そして、姉のことも」

 つまり、今回のトラブルは、春村さんがやったってこと?

 お姉さんが自殺したから、その復讐(ふくしゅう)に?

 春村さんに何か裏があると思ったのは、そういうことだったのか……。

「あのメッセージは春村さん、君が作った。君は、負荷過大でアプリケーションが動かなくなったら、アラートを出すようにメッセージを出そうとした。アプリケーションを監視し、もし応答がなければ起動するようなプログラムを作るなんて、君なら簡単なことだろう」

「そうですね……」

「最初は、『アプリケーションを再起動して、しばらく時間を空けてから処理してください』というメッセージだった。それをなぜか、パワハラ通報に変えた」

「五十嵐さん、解析されてましたもんね」

 春村さんは、これ以上隠し事はできない、そんな表情をした。

 すこしほほ笑んだ顔は、「どんな罰を受けても構わない」という顔でもあった。

「ネットを見たかもしれませんが、私の姉は山田光菜。美人で優しい本当に自慢の姉でした。姉へのパワハラが許せなかったんです。だから、社長に仕返しをしてやりたかった」

「社長を訴えるとかは考えなかったの?」

「証拠を集めて、因果関係を明確に証明できないと、絶対に勝てないって言われました」

「そうか……」

「だから、この会社の保守員として潜り込んだんです。メールとかに履歴が残ってないかと思って」

(イラスト:冬乃郁也)
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 春村さんは下を向いたまま話を続けた。

 ぼくは、チラッと五十嵐さんを見る。表情は読めなかった。でも、同情していることだけは伝わってきた。

「姉とは仲がよかったので、いろいろな会話をしました。私がシステムに詳しいから、システムの話をすることもありました。保守を請け負っている会社の名前も聞いていたんです。そこからこの会社に派遣してもらいました。私はもともとITの仕事をしていて技術もありました。だから転職は簡単でした。この会社は保守作業者への待遇もよくなくて半年持たずにみんなやめていきます。私が手を挙げたらすぐにこの会社に派遣されました」

「それで“スパイ活動”の成果はどうだったの」

 五十嵐さんがいたずらっぽくも真剣に聞く。

「さんざん探したんですが、私の姉が助けを求めたSOSのメール、社長からの叱責のメールなど直接の証拠になるデータはすべて消されていました」

「おそらく消させたんだろうね」

「でしょうね。気が済まないので、サーバーを止めてやろうかとすら思いました。この会社の人、セキュリティーの意識が低いせいか、保守用管理者に全権限を与えたIDを割り当てているんです。ご丁寧にもそのIDとパスワードを保守手引書に印刷してます。これじゃあ内部犯がいたら、簡単に攻撃できます」

「たしかに甘いね。そもそも保守用IDとパスワードがみんなで共用なんてあり得ないとオレも思ったよ」

「私はシステムを停止させることも、データを書き換えることも、全部のデータを消すこともできました。バックアップごと消せば会社は困ったはずです。そうしたかった。でも、そんなことしたら何の罪もない社員やこの会社の顧客に迷惑がかかる。だから、できなくって……」

 五十嵐さんは、苦悩の表情を浮かべて黙って聞いていた。ぼくもただ聞くことしかできなかった。

「ただ、少なくとも、これ以上のパワハラ被害者を出したくなかった。姉のときがそうだったんですが、注文が増えると忙しくなるし、クレームも増えます。社長はクレーム処理を押し付けますから、姉のようなパワハラの被害者も増えます。だから、注文が増えて負荷が増えたら、警告を出すようにしたらいいと考えたんです」

「それでメッセージか」

「はい。私は保守ベンダーなので、販売システムのアプリケーションの改修はできません。サーバーの使用率を監視して、システムの利用率が上がる、つまり社員が忙しくなったらメッセージを出す仕組みを考えました。最初は、社長の悪口を出そうかとも考えたんです。だけど、そんなことより、パワハラの解決に結びつく、パワハラ通報サイトのリンクを出すのがいいと思ったんです」

「ログを見たら、その仕掛けを作ったのは3カ月以上前だったが」

「はい、今回のトラブルとは関係ありません。実はメッセージが発動しないレベルの閾(しきい)値設定にしていました。自分がやっていることが正義なのかがわからなくなって……。自分のパスワードを入れると消えるようになっていたのも作業途中だったからです。これまでメッセージが出ることはありませんでした」

「だけど、今回のストレージ故障で発動してしまった」

「はい、私もびっくりしました。実は、自分でもそんなものを仕込んでいたことを少し忘れていたんです」

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「なるほど、予期せぬハードの故障がメッセージの表示を誘発したわけか。まぁちょっとした事故だな。そんなことだろうと思って顧客には愉快犯のサイバー攻撃じゃないか、くらいに報告しておいた」

「気を使ってくださったんですね、ありがとうございます……」

 と春村さんは顔を上げた。

 五十嵐さんは軽く頭を下げながら「トラブル対応でずいぶん助けてもらったからね」と告げる。ぼくも、慌てて同じように軽く頭を下げた。

 春村さんは、ぼくたちにすべてを語ってくれた。

「連絡を受けて、メッセージをすぐに止めることはできたんです。でも、ログを見たら、トラブルが起きてほんの1時間ほどで、その画面からパワハラを通報する人が30人以上もいたんです。これは、閉じたら駄目だと思ったんです。なんとか社員の声がもみ消されないようにしなきゃって考えていました」

「そこにオレたちがやってきた」

「はい。今回は、社長のパワハラを世間に認識してもらい、やめさせるチャンスだったんです。でも、五十嵐さんが来られて、この人たちに見つかるって思いました」

 ぼくは、ハッとする。

 すべての謎が解けていくような気がした。

「そうか。だから帰らなかったのか」

「はい……。外に出られるカードがあったので、いつでも帰宅はできました。だけど、見張っておかなくちゃって……。でも、五十嵐さんの技術力を見てすぐ、これは間違いなくバレるって覚悟しました。その事実を報告されたら私はクビになる。そうなれば、もう復讐できない。今しかチャンスがないと思って、メールを送りました」

「バックアップサーバーの中に、長時間労働の勤務実態とか、社長のパワハラの実態がわかるメール履歴をまとめた圧縮ファイルがあった。あれを送ったんだね」

「はい。パワハラの実態を通報するだけじゃなくて、証拠もいるじゃないですか。だから、パワハラ通報サイトに匿名で資料を送りました」

 ぼくは言葉を発することができなかった。春村さんがやったことが正しいのか間違っていたのか、ぼくにはわからなかった。

「ちなみに、五十嵐さんは、ログを見て私が犯人だと確信しましたか?」

「ま、解析をしたから、サイバー攻撃なのか、内部犯なのかはすぐにわかるよ。実は、春村さんが追加の攻撃を仕掛けてくる可能性も想定して、なにか操作があったらすぐ、ログがオレのところに来るようにしていた。でも君はトラブル解決に専念してそんなそぶりも見せなかった。オレはそれで『この子はまっとうなエンジニアだ』って思ったんだよ」

「そんな……」

「実際、君がやってくれた分析が、今回の故障発見に大きく役立った」

 春村さんの目が潤んだ。自分のことを認めてもらったことが、うれしかったんだろう。

「パワハラ通報サイトにファイルを送ったのは外に出た時じゃないかな。社内でなにかやったらログに残る。オレがその通信をシステム的に止めるかもしれない。なにか行動をするなら外に出るしかないと思っていた」

(イラスト:冬乃郁也)
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「あっ。プリン買ってきてくれた時!」

 春村さんトイレが長いなって、余計な心配をしていたことをぼくは思い出した。

「そうそう。たぶん、オレたちのことも最初は信頼していなくって、だから外に出られることも黙っていた。だけど、オレたちのことを少しずつ信頼してくれて、何か気持ちの変化があった。そして、吹っ切れてファイルを送った。そして、オレが見逃したお礼にプリンを買ってきた、そんなとこだろ」

「五十嵐さんのおっしゃる通りです」

「やっぱりそうか」

「私、おふたりの話を聞いて、復讐に生きるよりも、エンジニアとして自分の人生を有意義に生きたいと思いました。でも、社長を許せない気持ちも捨てきれなかった。だからパワハラ通報サイトに情報を流して気持ちの区切りをつけようと思ったんです」

 五十嵐さんの話でぼくは勇気づけられたけど、春村さんも同じく勇気づけられたんだ。

「五十嵐さんがおっしゃった通り、外に出て送ったのは、社内にログが残らないようにするためです。でも、私がやったことはやっぱり犯罪だと思います。五十嵐さんに知られてしまった以上、責任は取るつもりです」

 春村さんはそう言って、きゅっと唇をかみしめる。

 ぼくは、どう言えばいいのか迷った。何を言えばいいのかすらわからない。

 口を開いたのは、五十嵐さんだった。

「まあ、いいんじゃないか。そもそもパワハラなんていいはずがないわけだし、パワハラの通報自体は公益通報者保護法で守られる。実はログももうきれいにしてある。オレは春村さんがなにをやったか知らないし、何も聞いてないよ」

 五十嵐さんはそう言ってほほ笑んだ。

 春村さんは涙をこらえきれず、立ち止まった。そして五十嵐さんとぼくを見た。

「姉に連絡します。そして前を向いて生きます」

「え、お姉さんって、あれ、お亡くなりになったんじゃ?」

 ぼくは春村さんの言っていることがよくわからなかった。

「いえ、生きてますよ。死んだなんて言いましたっけ?」

「あれ、言われたような……。それに、ネットにも自殺したって」

「ネットは嘘の塊です。後藤さんも、そう言われていましたよね」

「あ、いや、言ったかな?」

「実際、クレームの責任を押し付けられ、全人格を否定され、自殺未遂はしたんですが、私が発見して、運よく助かって」

「そうか……」

 大事な姉が自殺未遂する現場を見るというのは、春村さんにとって深刻な心の傷になったに違いない。復讐をしたくなっても、仕方ない。

「たしかに、姉はその後も体調が戻らず、入退院を繰り返していました。でも、今は少しずつ元気になっています」

 ぼくは少しホッとした。

「そうだ。今日、お姉ちゃんの家に泊まろっと。今日のこと、全部聞いてもらうことにします」

 春村さんは涙を流しながらも、無理やり笑顔を見せようとした。

 五十嵐さんは、その話を聞きながら、「オレたちは春村さんの味方だから」と小さな声で言った。

 ぼくたちは、しばらく無言のまま、駅に向かった。

(イラスト:冬乃郁也)
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 ぼくは春村さんに声をかけることができなかった。なんて声をかけていいかわからなかった。

 苦し紛れに、五十嵐さんへ話題を振った。

「そういえば、今日の仕事って、五十嵐さん、なぜ手伝ってくれたのですか? 今は独立してコンサルの仕事に専念されているのでは?」

 服部課長が裏で、操り手となっていたのかどうかも確認したかった。

 五十嵐さんは「そういえば」と言ってきた。「報告があるんだった」

「なんですか? あ、その年で再婚ですか?」

「いや、それは2年前にした」

「聞いてませんよ!」

「今日会ったばかりで、そんな話をするかよ。それよりな、オレ、来月、後藤の会社に戻るんだ」

「ええっ」

 一体、どういうことだ。とてもうれしいけど、驚きのほうが勝っていた。

「XTシステムズでもクラウド事業を広げているだろ。だから、今、オレが独立してやっているような仕事を一緒にやりたいって、社長から言われた。そんな話を社長から受けて、実はちょっと前からすでにお前の会社のメンバーとクラウド事業で連携を始めていたんだ」

「本当ですか」

「さっきも言ったように、独立したからできたこともあったけど、大きな会社でしかできないこともある。大きな案件は個人事業主ではできない。今、オレがやりたいことは、お前の会社に戻って、みんなと一緒にクラウド事業を進めていくことだ」

「全然知らなかったです……。でも、五十嵐さんの近くで仕事ができるなんて、チャンスです。それに、我が社がクラウドなんて。時代に合わせて変わっているんですね。うれしいです。ぼく、絶対にがんばります!」

「おう。がんばろうな」

「今日は本当に、ありがとうございました。SEとして大事なことを教えてもらいました。SEの教科書で勉強した感じがします」

「SEの教科書か……。教科書なんてないんだけどな。価値観も、やり方も、人それぞれだから」

「はい、それも理解しています」

「でも、真面目な話、後藤には自分の気持ちを素直に表現できる力がある。上っ面じゃなく、本音でぶつかってきたから、オレも本音で返した。そういうやつは、嫌いじゃない」

 もしかして、五十嵐さんはぼくのことを褒めてくれた? そんなふうに考えると、心がふわりと軽くなった。服部課長がぼくの退職を防ぐために五十嵐さんを利用したかどうかなんて、もはやどうでもよくなった。

 ぼくはつい興奮して、勢い込んで聞いた。

「ちなみに、五十嵐さんの新しい役職は何ですか?」

「えーと…… 一応、執行役員だ」

「役員待遇ってことですね。退職時から、給料大幅アップじゃないですか!」

「すぐ金の話になる……。前言撤回。そういうやつは嫌いだ」

 五十嵐さんは、嫌いと言いながらも、きっとぼくのことが好きなはずだ。

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「いいか、後藤、金じゃないんだよ。サーバー室でも言ったけど、仕事は、誰とやるかが大事なんだ。――と、いうわけで」

 五十嵐さんは、ぼくの肩に腕を回した。

「これからもよき仲間として、よろしく頼む」

「はい、こちらこそ!」

「おう」

 そして、空いている方の手でがっちりと握手させられる。

 ぼくの言葉に五十嵐さんは笑顔を見せた。そして春村さんを見つめる。

「春村さん、今、クラウド新事業の開始にあたって、人材を募集しているんだ。一緒に働かないか?」

「え、本当ですか」

「今日、一緒に仕事をして、君の誠実な対応だけでなく高い技術力を見て一緒にやりたいと思った」

「でも、私、内部告発者ですよ」

「え、何かしたのか? オレは知らないけどな、後藤」

 五十嵐さんの声に、ぼくもとぼける。そう。ぼくらは何も見ていない、知らないのだ。

「はい、ぼくも一切知りません」

「もう……」と、春村さんは泣き笑い顔だ。

 そんな時、LINEの着信音が鳴った。

「あっ。まずい!」

「なんだ? 後藤?」

「『渚(なぎさ)がパパの帰りを待つって、玄関でずっと座ってる』って妻からです」

 30分で着くって言ったのに、もう45分が経過している。

「渚、渚……。すぐに今から帰るからね!」

「おーい、後藤……」

 五十嵐さんの声が遠くに聞こえる。ぼくは、電車に向かって、すでにダッシュを始めていた。

 朝の光が、ぼくらを照らす。ぼくらの行く先は、そのすべてが、明るい気がした。

(了)

▼本連載は左門至峰氏の小説『ぼく、SEやめて転職したほうがいいですか?』(日経BP、2023年6月19日発行)を著者の許諾の下で転載しています。本文表記は原則、書籍発行時の記述をそのまま掲載しています。

日経クロステック 2023年9月13日付の記事を転載]