水素社会を学ぶために、東京大学先端科学技術研究センター 水素エネルギー分野の河野龍興教授が良書を推薦する最終回です。今回は、河野先生が水素に関する研究を目指すきっかけとなった書籍とともに、40年以上愛読している書籍の2冊を紹介します。

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水素への興味を与えてくれたアポロ計画

 私が水素に興味を持ったきっかけは、小学生の頃にさかのぼります。理科が専門だった担任の先生は、教科書にほとんど頼らないユニークな授業を行うことで有名でした。その先生が授業中に、水の電気分解の実験を見せてくれました。水から水素と酸素が生まれる様子に驚くとともに、「この水素は宇宙船にも使われている」という話を聞いたことで、私の心は一気に宇宙と水素の世界へ引き込まれました。

 宇宙船とは、アメリカ航空宇宙局(NASA)が1961年から1972年にかけて実施した、人類初の月への有人宇宙飛行計画「アポロ計画」において利用された有人宇宙船です。計画の中では、6回の有人月面着陸に成功しました。このアポロ宇宙船において、水素と酸素を利用した燃料電池によって電気が生み出されていたのです。

『Apollo 13』James Lovell著、Jeffrey Kluger著、Mariner Books
『Apollo 13』James Lovell著、Jeffrey Kluger著、Mariner Books

 アポロ計画を描いた数多くの作品を読みましたが、その中でも最も印象深いのが『Apollo 13』(James Lovell著、Jeffrey Kluger著/Mariner Books/2006年2月刊)です。著者のJames Lovell氏は、アポロ13号の船長を務めた人です。1970年4月、月へ向かう途中で酸素タンクが爆発し、月面着陸を断念したアポロ13号。その後、宇宙飛行士3人は地上の管制センターと力を合わせ、数々の困難を乗り越えて奇跡の生還を果たしました。

 本書の魅力は、その出来事を「当事者」が語っていることです。宇宙飛行士だけでなく、NASAの管制官や技術者など、多くの関係者がどのように知恵を出し合い、一つの目標に向かって行動したのかが、臨場感あふれる筆致で描かれています。

 50年以上前の出来事を描いているのですが、当時の技術者たちの発想力や技術力には、今読んでも驚かされます。現在と比べれば、コンピューターの性能は桁違いに低く、利用できる技術にも限りがあったはずです。それでも月へ向かう宇宙船を設計し、さらに極限状態から乗組員全員を無事に帰還させたNASAの総合力は、ものづくりや研究開発に携わる人にとって、多くの示唆を与えてくれます。

 本書は1995年に映画化された『アポロ13』の原作となり、映画ではトム・ハンクスが主演を務めました。映画では、宇宙船内と地上管制センターの緊迫したやり取りがリアルに描かれ、世界中で大きな話題となりました。

 『Apollo 13』は日本においても翻訳されていますが、残念ながら日本語版の書籍は絶版となっています。Kindle版と洋書のペーパーバック版は今でも入手可能ですので、ぜひ、一度目を通していただきたい一冊です。

研究者人生の原点となった40年以上読み継ぐ書籍

『水素エネルギー読本』水素エネルギーシステム研究会著、オーム社
『水素エネルギー読本』水素エネルギーシステム研究会著、オーム社

 本シリーズの最後にもう一冊お薦めするのが、『水素エネルギー読本』(水素エネルギーシステム研究会著/オーム社/1982年1月刊)です。40年以上前に出版された書籍ですが、今でも手元に置き、必要に応じて開く大切な一冊です。前述したように私が水素に興味を持ったきっかけは、小学生の頃にさかのぼります。その興味は大人になっても変わることなく、「もっと体系的に水素を学びたい」と考えたときに出会ったのが、本書です。

 本書が優れているのは、水素社会を実現するために必要な技術を体系的に整理している点です。現在では「つくる・運ぶ・貯める・使う」という四つの要素が水素社会の基本とされていますが、本書には、そのすべてにつながる技術が40年以上前に、すでに盛り込まれています。例えば、水素の製造方法だけでなく、液体水素による輸送技術、水素ガスタービンや燃料電池といった利用技術、水素を化学原料として活用する考え方まで、現在でも重要なテーマが幅広く解説されています。当時はまだ「カーボンニュートラル」という言葉も、「グリーン水素」という概念もありませんでしたが、太陽エネルギーの活用など、今日につながる発想も紹介されており、その先見性には驚かされます。

 水素技術は決して新しいものではありません。しかし長い間、化石燃料が主役だったため、多くの技術が社会実装まで進まず、「眠っていた時代」がありました。そして現在では、水素技術が脚光を浴びていますが、その現在の動きを見るにつけ、「この本に書かれていた未来が、ようやく現実になり始めた」と感じています。

 これまで3回にわたって、水素社会を学ぶための書籍を紹介してきました。改めてお伝えしたいのは、水素技術の多くが近年になって突然生まれたものではなく、何十年にもわたる研究開発の積み重ねの上に成り立っているということです。そして今、カーボンニュートラルの実現やエネルギー政策の転換、エネルギーセキュリティの向上を背景に、その技術が社会で活かせる時代がもうそこまで訪れています。水素社会は、一つの技術だけで実現するものではありません。多様な技術や人々の挑戦がつながることで、その未来は形づくられていきます。本連載が、水素の未来を考えるきっかけとなれば幸いです。

河野 龍興(こうの・たつおき)
東京大学先端科学技術研究センター 水素エネルギー分野 教授
1993年に東芝入社後、20年以上にわたりエネルギー・環境事業開発に従事し、東芝アジア・パシフィック社水研究センター長などを歴任。2016年に東北大学金属材料研究所特任教授を経て、2022年より現職の東京大学先端科学技術研究センター教授に就任。専門分野は水素エネルギー技術、蓄電池、水処理。再エネ由来燃料(水素、メタン等)の利活用や再エネ+水素を利用した分散型エネルギーマネジメントなどが主な研究分野。

取材・構成/木村 知史(CocoSmile)