プリファード・ネットワークスの富永朋信氏の著書『 人がモノを買うしくみを言語化する “知ったかマーケター”からの脱却 』が2025年9月26日に発刊された。ポジショニング、ターゲティング、ブランディングといったマーケティングの重要概念を、これ以上ないほど分かりやすく解説することを目指した一冊だ。本書の根底には「正解にたどり着くには実践(早く動くこと)が最重要」「動けるようになるには、原理原則の理解が欠かせない」という富永氏の信念が込められている。ではそもそも、なぜマーケティングは分かりにくいのか。マーケティングの諸概念を「腹落ちして使える」ようになるためには何が必要なのか。富永氏に話を聞いた。[日経クロストレンド 2025年9月26日付の記事を転載]
プリファード・ネットワークス エグゼクティブアドバイザー
美しい理論にも限界はある――定義を覚えても使えない理由
――マーケティングの概念やフレームワークについて、「定義を聞いてもピンとこない」「知識としては知っているが使えない」という声を聞くことがあります。そもそも、何がマーケティングを分かりにくくしているのでしょうか。
富永朋信氏(以下、富永) 概念や法則から入ろうとすることが、“腹落ち”を難しくしている要因ではないでしょうか。そうではなく、それらを実際に適用する対象にまで立ち返って考える。あるいは身体的に考える。こうした姿勢を大切にすれば、すんなり理解しやすくなると思うのです。
人には、物事をシンプルな法則として理解したいという欲求があります。例えば三平方の定理は、たった1行の記述で三角形という幾何の基本となる図形を説明できるのが、美しいですよね。マーケティングの先人たちも同じように、人の購買行動や心理をできるだけ簡潔な法則で説明しようと努力してきました。
ただ、理論や法則には限界もあります。数学の勉強をイメージしてみてください。中学や高校で、いろんな定理を習いましたよね。私の場合、三角関数でつまずいたんです。「sin²θ + cos²θ = 1」という公式を示されても、「で、それがどうしたの?」という感じでした。
結局、いくつか問題を解いて、初めて「ああ、こういうふうに使うんだ」「こんな意味があったのか」と分かりました。それまで数学は公式さえ覚えれば「解ける、解ける」という感覚だったのに、そうではなくなった。これが定理の限界なんだと思います。三角関数くらいでつまずくのはどうか、という問題はさておき、数学は奥深く、どんなに頭の良い人でも、どこかできっとつまずく瞬間がやってきます。
マーケティングの概念やフレームワークでも、同じことが起きているように見えます。だから、「ポジショニングとは競合に対するPoP(Points of Parity)とPoD(Points of Difference)だ」と説明しても、それだけでは全然足りないのです。
心の仕組みに遡り、身体的に考える
――概念を概念のまま理解しようとしても、なかなかうまくいかない。ではどうすればよいのでしょうか。
富永 2つのアプローチが重要だと思います。1つ目は、対象にまで遡ってマーケティングの概念を理解すること。2つ目は、身体的に考えることです。
まず1つ目について、マーケティングの対象とは人の心であり、心の仕組みにまで遡ることが欠かせません。「なぜ人はうれしく感じるのか」「なぜ痛みを感じるのか」。こうした人間の心の働きを理解して、そこを出発点にするんです。
2つ目の「身体的に考える」というのは、頭だけで理解しようとせず、実際に手足を動かして試してみるということです。分かりやすい例で説明しましょう。「ここに720という数があります。これは連続した5つの整数の積で成り立っています。その連続した数を求めてください」という問題があったとします。この問題は素因数分解して解く、というのが公理的なやり方ですが、一方で別のアプローチもあると思います。
例えば「考えられる最小の組み合わせを試してみると1×2×3×4×5=120で、これは目指す720の6分の1だから、この組み合わせを1つずらして2×3×4×5×6を計算してみたら正しい答えになるはず」などとやっていったほうが楽しいし、もしかしたらこちらのほうが、正解に早くたどり着けるのではないでしょうか。
「ここを糸口にしよう」という着目点を見つけ、実際に試行錯誤してみる。身体的に考えるというのは、そういうことだと考えています。
「マクドナルドの復活」から導出したブランディングの新解釈
――マーケティングの教科書は数ページ、時には数行の説明でマーケティングの概念を扱っているのに対し、富永さんの新著では、1つの概念に1章を割くほど、丁寧に言語化されているのが特徴的です。説明の中には、一般的な解釈とは異なる、新しい解釈も含まれていますね。
富永 そうですね。例えばブランディングについて、私は「ブランドとは多面体である」という新しいブランド像を提唱しています。私としては、1枚ものにまとめたブランド価値規定をバイブルのように扱い、ある種「神格化」するようなやり方は、もはや古いパラダイムだと考えています。
そうではなく、ブランドを利用目的ごとの価値や意味が面となった多面体のようなものであると捉え、立体的かつダイナミックに、一つ一つの側面を大きくしていくことこそがブランディングだ、と捉えています(下図)。スタティック(静的)ではない、ダイナミック(動的)なアプローチなので、「ダイナミックブランディング」と呼んでいます。このことは、本書の第3章で触れています。
こうした考え方をするようになったきっかけの一つは、2010年代の日本マクドナルドのV字回復を目の当たりにしたことです。あの復活劇は、従来のブランディング理論では説明がつきませんでした。
当時の日本マクドナルドは、異物混入の問題などがあり、ブランドイメージは地に落ちていました。ブランドマネジメントの常識からすれば、あれほどブランドが毀損したら「もう立ち直れないだろう」と思うレベルだったはずです。しかし、見事に復活しましたよね。ブランドは非常に可塑性があり、柔軟でロバスト(きょうじん)なものだと認識を新たにしました。
当時の日本マクドナルドがやっていたのは、とにかく多くの施策を打ち、様々な商品を出し続けたり、定番商品を再フィーチャーしたりして、話題をつくり続けることでした。ネガティブなイメージを押し流すように、次から次へと新しいものを投入し続けた。これは一般的にいわれる「ブランド価値規定を設定したら、それ以外のことはやらない」というブランディングの鉄則と、真っ向から対立するやり方です。そして、その「手数優先」の施策群の背後には、ブランドの根底である、何かしらの共通性や「らしさ」が担保されていたように思います。
――従来のセオリーでは説明できない現実を目の当たりにし、そこからブランディングに対する新しい解釈を導き出していったのですね。
富永 はい。日本マクドナルドの復活を説明することは、一般的なブランドマネジメントや古典的なポジショニング運用の考え方をベースにしたのでは、難しいと思います。そうした問いに答えられる考え方が、本書に書いてあると考えています。
インサイトは専門家でなくても見つけられる
――インサイトについても「潜在心理であるべきだ」「人間のネガティブな感情に根差したものであるべきだ」という見解を、“神話”として退けていますね。
富永 インサイトとは何かミステリアスなものだ、という考え方に、一石を投じたいと思ってきました。同時に、「潜在的な購買理由を見つけることは、極めて難しい」ということも、しっかりと伝えたいと思っています。
一般的な解釈とは異なるかもしれませんが、私はインサイトを「購買理由すべてを網羅的に整理したものであり、顕在的なものも潜在的なものも含む」と捉えることを提案しています。そのほうが実践で使えるからです。
潜在的な理由やネガティブな感情を特別扱いするのを避けたいのは、それらが必ず見つかるとは限らないからです。潜在的な購買理由を見つけるための絶対的な方法はありませんし、そもそもそんな理由が存在するかどうかも分かりません。潜在的な購買理由探しというのは、あるかないか分からないものを探す、宝探しに近いことなのです。
また、「ネガティブな感情でなければならない」という考えの根底には、「人間は完全に利己的な存在で、自分の利益や便益を最大化するようにしか動かない」という人間観があるように思えます。でも私は、人間には利他的な面と利己的な面の両方があると信じています。だから、善意に根差したインサイトも存在すると思うのです。
そして、本書では繰り返し「購買理由や選択理由を綿密に把握することは、マーケターにとって死活的に重要である」と伝えています。インサイトも、それと連続性のある形で捉えたいと考えました。
先ほど「潜在的な購買理由は見つかるか分からない」と言いましたが、ここに忘れずに付け加えておくと、潜在的な理由を探すことを諦める必要は全くありません。観察の技術さえ身に付けば、専門家でなくても見つけられます。本書では、その具体的な技術を「スキャンするように見る」「マルチフォーカスで見る」といった分かりやすい言葉で紹介しています。
ブランディングにしても、インサイトにしても、「厳密な定義とは違うのでは?」という指摘も、十分あり得ると思います。それも分かった上で、これでよいと考えています。
概念とは永遠のサグラダ・ファミリア
――厳密な定義とは異なるかもしれないが、それでいい――。富永さんは、概念や定理とどのように向き合うべきだと考えているのでしょうか。
富永 マーケティングの世界に限らず、そもそも概念や方法論というのは、「ここまで行ったら完成」ということは絶対にあり得ません。常に進化し、拡張していく「永遠のサグラダ・ファミリア」のようなものです。
だから「これが正しい」と定義や一つの説に固執し過ぎるのは、思考停止であり、一種のマウンティングだと思うわけです。
概念を使って行っているのは、世の中や目の前の仕事を、どのような解像度で見て、構造化するか、ということ。これ以上でも以下でもなくて、その解像度や物差しを変えたら、全く違う形の構造化も可能ですよね。
仏教の考えを借りれば、色即是空、空即是色(しきそくぜくう、くうそくぜしき)みたいな話です。だから細かな定義にとらわれるのではなく、もっと大様(おおよう)に、仏教哲学的にマーケティングの概念を見て、その核心が見据えられればよいと思っています。
――概念の核心を捉えて、実践しながら自分なりの解釈を生み出す。それができるようになるためには、解釈を自分で行うための土台が必要だと思います。
富永 私の場合は、様々な分野から知識を学び、理解し、腹落ちさせてきました。マーケティングの原理原則は独立して存在しているわけではなく、その基盤に、よりベーシックな知のレイヤーがあると考えています。「教養としてのマーケティング」とでも呼べるものです。
まず、マーケティングそのものよりも一段ベーシックなレイヤーに、人の心の仕組み、例えば流暢(りゅうちょう)性、一貫性、心理的リアクタンスといったものへの理解(人間理解)があります。それがなければ、心の仕組みにまで遡った考え方はできません。私にとって、心の仕組みに関する理解に最も影響を与えているのは行動経済学です。人間の意識は全く論理的ではないけれども、その論理的ではない部分が体系化できることに驚きました。論理的ではないという発見も衝撃でしたが、それが体系化できるというのも目からうろこが落ちたのです。
さらに、それらよりも一段ファンダメンタルなレイヤーに「教養/リベラルアーツ」があります。そこには、懐疑的に物事を見る態度や、物事はすべて相対的であり絶対的なものはないという理解、そして、世の中は関係性でできているという理解があります。その核となっているのは、現代思想や哲学です。
ソシュールやレヴィ=ストロースに触れ、「世の中は関係性の集合であり、人間は概念を名と意味の関係群として理解する」ということを知りました。その後、般若心経に触れて、西洋哲学と東洋哲学が基本的に同じことを言っている、つまり、世の中は差異でできており、絶対的なものは何もない、といったことを知りました。そして、それが持つべき世界観やマインドセットの核にあることだと理解したのです。
これらの知識を趣味として閉じ込めておくだけでなく、「人がモノを買うことを計算可能にし、再現可能にする」というマーケティングに応用するとどうなるか、という視点を持ってきました。『人がモノを買うしくみを言語化する』をお読みいただくときには、マーケティングのさらに下にある“知の土台”にまで、思いを巡らせながら読んでいただけるとうれしいですね。
(後編につづく)
(写真/村田和聡)
富永朋信(著)、日経BP、2200円(税込み)



