金銭による動機づけは深刻な副作用をもたらすおそれがあります。どういうことでしょうか? 米デューク大学のダン・アリエリー教授が、行動経済学をもとに人間の不合理性を解説した名著 『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』 (熊谷淳子訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)を、慶応義塾大学大学院経営管理研究科の清水勝彦教授が読み解きます。 『ビジネスの名著を読む〔戦略・マーケティング編〕』 から抜粋。
金銭による動機づけの副作用
「エコノミックアニマル」である人間は、自己の利益を最大化するために行動する。これは従来の経済学の基本的な前提であり、日本中を席巻した「成果主義」の基本ロジックでもありました。アリエリーは、この点についても異を唱えています。
例えば、男性サラリーマンが家でとるはずだった夕食を仕事で外でとって帰宅した時のことを考えてください。奥さんが作った料理が食卓に並んでいます。「買ったら3000円はするな。はい、じゃあ」といって、奥さんに3000円を渡すような家庭は、普通はないでしょう。
もちろん、会社と家庭は違います。前者は市場規範(market norms)で、後者は社会規範(social norms)で動くのです。現実には家庭のように市場規範が成り立たないことは想像以上に多くあります。アリエリーが通りすがりの人にソファを動かすのを手伝ってもらう実験をしたところ、相当の報酬を出す場合だけでなく、無報酬の場合も喜んで手伝ってくれるのに、少額のお礼を出すと言うとほとんどの人が立ち去ってしまうという結果が出ています。
多くのベンチャー企業の成功を目にして、一獲(いっかく)千金を求める起業家は米国だけでなく、日本でも増えてきました。金銭による動機づけは、いい点もあるのでしょうが、深刻な副作用をもたらしているおそれもあります。アリエリーの言葉を借りれば「企業は従業員との社会的な取り決めをじわじわと切りくずしながら、市場規範に入れ替えるような行為をしている」ということです。
金銭面の報酬は大切ですが、それは唯一のものではありません。会社で仲間と一緒に働く喜び、仕事の達成感までを「金銭化」したとき、会社は単なる金もうけの場所に成り下がってしまうのです。「成果主義」が働きがいを示せない経営者の言い訳であってはなりません。
「日本型成果主義」の根本的な問題
いろいろな事例を読んでいると、「成果主義」と言いながら、実はそもそも明確な目標がなかったり、あるいは測ることのできる部分だけを測ったりして「成果主義」とし、それで失敗したと言っているわけの分からない話も多いのです。しかし、一連の成果主義とその失敗が日本企業で多く見られたという現実の背後には、アリエリーが指摘するような大きな問題が横たわっているのではないかと思います。
そもそも、成果主義を導入した方が良いということになった背景を考えてみると、これまでの年功序列では「頑張った人」も「頑張らない人」も同じように評価され、同じような処遇を受けることになって不公平だ。「頑張る人」がやる気をなくしたり、他の会社に移ったりしてしまう。これはよくない。社員1人1人の仕事の成果を測って、それにふさわしい評価・処遇をすべきだという話であったと思います(それに伴ってか、隠れてか、人件費の切り下げを狙ったのだという話もありますが、ここではその話はおいておきます)。
成果を測るためには、当然ですが「基準」がなくてはならない(「基準」が結構不合理に設定される話は連載第2回 「『予想どおりに不合理』合理的に見える意思決定のわな」 でしました)。会社には、ビジョンや理念というものはあったのでしょうが、それがつまり何を意味するのか、どのような価値観で、何を達成しようとしているのか、何は良くて、何は悪いのかという「社会規範」はなんとなく分かっていたのでしょうが、「基準」になるほどのものではなかった。そうした状況での成果主義は、業績数字、つまり「測れるもの」だけを測って、それが「成果」だという方向に走りがちです。
つまり、本来、少なくとも日本の組織とは、「社会規範」「市場規範」の双方がそれなりのバランスを持って成り立っていたはずで、その両面の「目標」「ゴール」があって、それに照らして「成果」「達成」が測られなくてはならなかったのに、「市場規範」だけでお茶を濁してしまったのが「日本型成果主義」の根本的な問題だったと思えるのです(この点について「Valuation」と「Measurement」は異なるのだと的確な指摘をされているのは、経営コンサルティング会社、コーポレイトディレクション代表の石井光太郎氏です)。
お金でできること、できないこと
その結果として何が起こったかといえば、「仕事の完全な金銭化」です。正確に言えば、お金で測れるところだけを「仕事」という風潮です。もちろん、仕事の対価として、金銭が重要なことは間違いありません。ただ、仕事にはそれ以外のこと、例えば挑戦をした達成感、やりがい、あるいは顧客から感謝された時の喜びなど、人間の心につながる様々な社会要素があります。そうした誇りとか、わくわく感とか、妄想とか、本来「なぜこの会社で働くのか」といった大切な人間の気持ちを、ことごとく捨て去って、見えやすいところだけを金銭に表したのが多くの「日本型成果主義」であったのではないかと思います。
逆に言えば、「よい目標」を立て、それを共有化することはとても大変だから、金でごまかしたということです。そう思っている経営者はいないとは思いますが、していたのはそういうことです。皮肉なのは、こうしたことが、日本企業がそこそこ成功した後に起きたことです。まるで、お金持ちの親が、子供にコミットしないことを多額のお小遣いで正当化するかのように。
元リクルートの生嶋誠士郎氏の『暗い奴は暗く生きろ リクルートの風土で語られた言葉』(新風舎)という本には、ノルマがきつくて社員が辞めていくと思い込んでいた経営者は、実はとんでもない勘違いをしていたという話が出てきます。ある優秀な営業マンはこう答えたそうです。
「目標、あっ、それは良いんです。高くてもね。もっと高くてもいいですよ。アイツらが辞めていったのは、苦労して目標達成した時の所長の態度です。『おまえもこれでボーナス高くなるな。しっかり稼げたじゃないか』って金の話ばかり。もっと苦労話の花を咲かせたり、みんなで喜んだり、営業方法を共有する勉強会をしたりとかしたいじゃないですか。(中略)面白くないんですよ。仕事をしている共感が無い。自分も次のボーナスもらったら辞めるつもりです」
評価・報酬とモチベーションに関するアリエリーの結論は単純です。「これまでの実験から学んだように、現金ではある程度のことしかできない。社会規範こそ長い目で見たときに違いを生む力だ」「お金はたいていの場合最も高価な方法だ。社会規範は安上がりだけでなく、より効果的な場合が多い」
ポーターら巨匠の代表作から、近年ベストセラーになった注目作まで、戦略論やマーケティングに関して必ず押さえておくべき名著の内容を、第一線の経営学者やコンサルタントが独自の事例分析を交えながら読み解きます。
日本経済新聞社編/日本経済新聞出版/2640円(税込み)