世の中には、「努力」し続けられる人と、そうでない人がいます。努力できる人は、目標に向かって着実に歩みを進め、大きなことを成し遂げることができます。一方、努力が苦手で何事も中途半端になってしまう人も少なくありません。努力できる人とできない人の差は、いったいどこにあるのでしょうか。この連載では、人間の行動と心理について長年研究し、行動経済学・ナッジを基に企業へのコンサルティングを行っている経済学者・山根承子さんが、「努力ができる人とできない人はなぜいるのか?」「努力をしておくといいのは本当か?」「正しい努力とは何か?」「どうすれば努力できるのか?」という観点から、「努力」を科学で解明します。7回目のテーマは、成功者がつかんでいる「運」について。成功と運、そして努力の関係性を考えます。

「ビジネス書の教え」が成功を遠ざけている!?

 前回、自分は幸運だと思っている人は、努力を遠ざけている可能性があることを示した。しかし一方で、「成功者は幸運を信じている」という主張は根強く、確かに成功者たちは幸運を信じ、運をつかんで上り詰めたように見えることも多い。

 「幸運を信じていること」がどのように行動に影響しているかを、正確に知るためにはどうしたらいいだろうか?
 真っ先に思いつくのは、「自分は不運だと思っている人」と「自分は幸運だと思っている人」を比較することであるが、この方法には大きな問題がある。なぜなら、「自分は不運だと思っている人」と「自分は幸運だと思っている人」はランダムに分けられているわけではないため、不運だと自覚している人は、幸運だと自覚している人と様々な点で異なっていると考えられるからである。

 つまり、「不運だと思っている人」と、「幸運だと思っている人」の行動に違いがあったとしても、それが「不運だと思っているせいだ」と結論付けることはできない。成功者やビジネス書の主張をうのみにできない理由はまさにここにあり、努力についても同じことがいえるだろう。

 「自分は幸運だ」と信じたことによる本当の効果や、「努力は報われる」と思ったことによる本当の効果を検証することは、実は簡単ではないのである。

「運の影響」だけを抽出することはできるのか?

 繰り返しになるが、検証が難しい理由は、「自分は不運だと思っている人」と「自分は幸運だと思っている人」がランダムに分けられていないことによる。ある効果をきれいに抽出するためには、何らかの介入を受ける「実験群」になるか、比較対照のために何もされない「統制群」になるかを恣意的に決めてはいけない。どちらの群になるかはランダムに決定される必要がある。
 例えば片方のグループに意図的に若い人を集中させていくと、出てきた結果は実験の介入による効果と、年齢による効果が混ざったものとなってしまう。

 「幸運だと思っている」効果を取り出すには、ランダムに選んだ人の半数に「不運だ」と思わせ、残りの半数に「幸運だ」と思わせることができればよい。
 しかし、もちろんこのような操作を行うことは難しい。「自分は不運だと思い込んでください」と言われても無理だろう。それでは、何か他の方法があるだろうか?

 近年の経済学でよく見られるようになった「自然実験」というアプローチは、「実験のような状態をつくろうと狙ったわけではないけれども、たまたまそんなふうになってしまった」という状況を利用する。予測不可能な偶然の出来事によってつくり出された、ある種特殊な状況を使うもので、制度変更やアクシデントが起きたタイミングが利用されることが多い。

 例えば、「最低賃金が上がると雇用量が減る」という経済理論を自然実験によって検証した研究がある(1)。1992年4月、ニュージャージー州の最低賃金が4.25ドルから5.05ドルに引き上げられた。しかし、すぐ隣のペンシルベニア州では最低賃金の変化はなかった。政策によって偶然、ニュージャージー州が実験群、ペンシルベニア州が統制群のようになったのである。
 この2つの州を比較することにより、最低賃金引き上げの効果が実証的に明らかになった。この研究を行ったデヴィッド・カード教授は、自然実験を労働経済学に適用した功績で2021年にノーベル経済学賞を受賞した。
 授賞理由で「彼らのアプローチは他の分野にも広がり、実証研究に革命を起こしている」と説明されている通り、現在、労働経済学だけでなく様々な分野で自然実験が用いられている。

「不運を避けたい」そのとき人は、どう動く?

 自然実験を用いれば、実験室実験で検証するのは難しい介入の効果を見ることができる。中国の文化を利用した自然実験で、「不運だと思っている」ことによる行動の変化を明らかにした研究を紹介しよう(2)

 彼らの興味は「自分は不運だと思っている人は、リスク感応度が高いか」だ。中国では、年男と年女は不運だとされており、多くの人がそれを信じて、自分の干支(えと)の年には大きな決断をしないようにしているそうだ。
 この干支による不運は、上記で説明した自然実験的な状況になっている。つまり、どの経営者も12年に1度は不運な年に当たるので、年男・年女の経営者は、「自分はたまたま今年不運であるだけ」と思うだろう。

 年男・年女の経営者とそうでない経営者を比較することで、「不運だと自覚する」ことによる違いだけを取り出すことができる。生まれつき「自分は不運である」と思ってしまう性格の人や、過去の悲しい体験によって「自分は不運だ」と思っている、といった効果は入ってこない。

 この研究において、経営者が感じているリスクの大きさは現金保有量で測定されている。現金は流動性不足というリスクに対するバッファとして機能するので、企業が多くの現金を持っているということは、それだけリスクを大きく感じていると見なすことができる。
 分析の結果、年男・年女の経営者は、そうでない経営者と比べると、資産に占める現金保有量が約0.7パーセントポイント多かった。つまり、自分は不運だと思っている人は、それに耐えうる準備を行っているということである。

 この結果は、「運が期待できない」と思っていると、現金保有量を増やすという「努力」をしたとも読めるかもしれない。または、いざというときは自分が「努力」すれば不運からリカバーできるような下準備を行っておいたといえるかもしれない。
 いずれにせよ、運が期待できない年には、自分でコントロールできる部分を増やしているようである。

 この連載で何度も見てきたように、やはり運と努力は裏表の関係にあるようだ。なお、この不運の自覚とリスクの関係は、国有企業のお雇い経営者には見られないことも示されている。彼らは倒産におびえる必要がないからであろう。

運と実力の思考バイアス

 上で紹介した研究の対象となった経営者たちは不運を避けるための行動をしていたが、実際に不運に見舞われてしまった経営者はどうすればいいだろうか。

 運とマネジメントについての205編の研究を紹介しているサーベイ論文(3)では、「経営者は運に依存することで責められ過ぎである」という指摘がなされている。
 単純に不運によるものなのに、経営者の努力不足、または能力の欠如とみなされることが非常に多いそうである。これは経営者にとってみれば、大変不幸なことであろう。

 これに関連して、幸運と不運がどう受け止められるかを明らかにした面白い研究があるので紹介しよう(4)
 この研究では、ポジティブな出来事またはネガティブな出来事を起こした人物についての文章を読み、この人物が「どれくらい称賛されるべきか」または「どれくらい責められるべきか」をアンケートで尋ねている。
 ただし、ポジティブとネガティブそれぞれについて、「自分がコントロールできない形で起こった出来事」と「自分が意図的に行った出来事」の2種類が用意されていた。

 結果は、「意図的にネガティブな出来事を起こした場合」が最も強く「責められるべきだ」と判定されており、自分ではコントロールできない原因によって起こったネガティブな出来事は「責められるべきだ」とはあまり考えられていなかった。

 しかし、ポジティブな出来事で「称賛されるべきだ」と判定される度合いは、意図的かどうかとは無関係だった。つまり、倒産やプロジェクトの失敗などのネガティブな出来事は「運が悪かったんだね」と思ってもらえるが、「運がよかっただけだから、あの人の成功は割り引いて考えないと」と思う人は非常に少ないということだ。

運はどこまでが「実力のうち」なのか?

 ポジティブな出来事については「運も実力のうち」と捉えてしまい、どこまでが運の力で、どこまでが努力の力なのかをきちんと分けることができない。つまり成功者の話を聞いたときには、運によるものを努力だと考えたり、逆に努力によるものを運だと考えたりしてしまうことがありそうなのだ。

 本当は、ネガティブな出来事が起きたときに「運がなかったから仕方ないよ」と思うのと同じだけ、成功体験を聞いたときも「運が味方したからかもしれない」と考え直す必要がある。成功者の話を参考にするときは、このバイアスを意識しておいたほうがいいだろう。

 あなたももしかしたら、周囲の人の努力を「幸運」で片付けているかもしれない。もしくは、幸運によるものを「努力」だと誤解しているかもしれない。努力を正しく認めてあげられるよう、バイアスを意識し、冷静な判断を心がける必要があるだろう。
 ただ、この研究が示しているように、不運による失敗の全てが、本人の能力に押し付けられることはなさそうである。世間は意外に厳しくないといえるのかもしれない。

■参考文献
(1) Card, D. and Krueger, A. (1994) “Minimum Wages and Employment: A Case Study of the Fast-Food Industry in New Jersey and Pennsylvania” American Economic Review 84. pp. 772-784.
(2) Li, J., Guo, J., Hu, N., and Tang, K. (2021) “Do Corporate Managers Believe in Luck? Evidence of the Chinese Zodiac Effect” International review of financial analysis 77.
(3) Liu, C. & De Rond, M. (2016) "Good Night, and Good Luck: Perspectives on Luck in Management Scholarship" Academy of Management Annals, Vol.10, No. 1.
(4) Pizarro, D., Uhlmann, E., and Salovey, P. (2016) "Asymmetry in Judgments of Moral Blame and Praise: The Role of Perceived Metadesires" Psychological Science, Volume 14, Issue 3.

<7回目のまとめ>
  • 成功こそ「運がよかっただけ」!? 成功者のまねをしても成功できない理由もここにある。
  • やっぱり運と努力は裏表。「不運だ」という自覚は人に「努力」を促す。
  • 成功も失敗もどちらも運の影響を受けている。ならばやはり、努力量が多いほうが成功しやすい。
(写真:Shutterstock)
(写真:Shutterstock)