日経BPの専門誌の編集長およびラボの所長約50人が今後注目すべき技術を100件選定、専門記者が解説する『 日経テクノロジー展望2027 世界を変える100の技術 』が発刊。本コラムでは「日経トレンディ・日経エンタテインメント!」の澤原昇・総編集長が「もっと知りたい」と注目する技術について、記事を執筆した専門記者に話を聞きます。第1回は「人工赤血球製剤」についてです。
室温保存ができ、血液型を問わない人工の血液
澤原昇(以下、澤原):新刊『日経テクノロジー展望2027 世界を変える100の技術』の中で、気になるトピックについて専門記者に聞く企画、第1回は「人工赤血球製剤」です。そもそも、人工赤血球製剤とは何でしょうか。
酒德波和(以下、酒德):簡単に説明すると、室温で2年間の長期保存ができ、血液型を問わずにどこでも使える人工の血液です。日本の代表的な研究を挙げると、奈良県立医科大学血液内科学講座教授の松本雅則氏と同大学医学部化学教室教授の酒井宏水氏が開発し、2024年7月に発表したものがあります。
日経バイオテク記者
酒井氏らが製造する人工赤血球製剤は、日本赤十字社から研究用に譲り受けた、期限切れの、もしくは期限が切れそうな赤血球製剤を材料にしています。つまり、献血で集められたのに廃棄されてしまう赤血球製剤が材料なのです。
澤原:すでにあるものを再活用するのですね。ちなみに、輸血などに頼らない別の血液製剤を作ろうという考え方自体は昔からあるものなのですか。
日経トレンディ・日経エンタテインメント!総編集長
酒德:1980年代に遡りますが、当時の厚生省の事業の1つに、廃棄予定の赤血球製剤を活用できないかといったものがありました。ここから人工赤血球製剤の開発が始まったという経緯があります。
人工赤血球製剤の開発はこれまでも、国内外で様々な研究者が挑戦してきました。しかし、多くが代謝や生体適合性などの問題を解決できず、実用化にたどり着いたものはありません。
酒井氏らが発表したものは、赤血球成分のヘモグロビンをリン脂質で包むような「カプセル化」をしている点が特徴です。カプセルに使う素材や組み合わせの検証を重ねた結果、安全性をクリアした人工赤血球製剤を開発できました。
現在は人への投与における安全性を実証中
澤原:現在は、どのような実証がされているのでしょうか。
酒德:今は人への投与が始まっています。人に投与した際の安全性を確認している状況です。
澤原:やはり、この技術における最大の課題は安全性になるのですか。
酒德:そうですね。人に投与して副作用が起きないかといった点が最大の課題です。また、製造コストがかなり高いのも大きな課題です。社会実装するには製造コストを考慮しなければ実現は難しいでしょう。
澤原:ちなみにどのようなきっかけでこの取材を始めたのですか。
酒德:元をたどると、この記事の執筆時に在籍していた日経メディカルで「『治療の限界』を超える新技術~どうなる2040年の医療」という特集がありまして。この企画のネタを考えていたときに、見つけた話でした。
中学生の頃読んでいた漫画の『暗殺教室』で、血液型を問わない人工的な血液を作るという話が出てきて、これを覚えていたんですよ。それで、ふと思い出して、調べてみたらあったので取材を始めました(笑)。
きっかけはそうでしたが、私の出身地は三重県で、南海トラフ地震が発生した場合に影響が大きいといわれる地域であるのも相まって、「この技術があれば災害時にも助かる命があるかもしれない」と思いながら取材に力が入りました。
へき地や離島、災害時の医療を変える
澤原:人工赤血球製剤が今後、普及するとしたら現状のどのような社会課題が解決されるのでしょうか。
酒德:解決される課題は大きく2つあると思います。1つ目は、へき地や離島などの医療アクセスが限られている場所での医療活動を変える可能性があります。今も一般的に使われている赤血球製剤の使用期限は、冷蔵で約28日です。こうした条件からへき地や離島などは備蓄・増備が難しく、輸血がすぐにできない環境になりがちです。
開発された人工赤血球製剤は、室温で2年間、冷蔵の場合は5年以上保存ができるといわれています。1カ月から2年に延びると考えるだけでもかなり効果を感じますよね。長期保存が可能になることで、場所による医療の制約を減らせる可能性があります。
そして、2つ目は災害が起きたときの対応を今よりも手厚くできるという可能性です。例えば地震が発生したとき、道路が寸断されてしまう可能性もありますよね。そうなると輸血を届けられないなど必要な医療が供給できなくなります。ただ、へき地や離島に限らず、長期保存できる赤血球製剤が配備されていれば、赤血球製剤不足になることを防げます。
澤原:全ての赤血球製剤が人工赤血球製剤にとって代わる、というよりは緊急時の初期対応に使う血液の代わりのような位置付けになるのでしょうか?
酒德:まさに、そういうイメージです。一般的には「病院前救護」と呼びますが、救急搬送が必要な状況の前に使うものとして想定されています。今は応用として移植する臓器を保存する際に使う液体としての利用も期待されています。
澤原:実際に、医療を受ける人がこの技術に出会うタイミングはどれくらいになるのでしょうか。
酒德:今の臨床研究がうまくいけば2030年ごろに実用化するといわれています。とはいえ、一研究組織だけでは資金的にも難しいのではないかとみています。日本は災害も多い国なので、災害医療として国の補助も必要だと感じます。
澤原:とはいえ、実装されれば需要も多そうですし、事業として回りそうですよね。
酒德:そうですね。災害時だけでなく、手術や出産時、そして臓器の保存など利用できる場面はたくさんあります。とはいえ、現状使っている献血による既存の赤血球製剤の場合200mlで8000~9000円ほどです。ただ、紹介している人工赤血球製剤は現時点で50mlで数百万円ほどコストがかかっています。
実用化に向けて、課題はまだまだ残されています。ただ、既存の赤血球製剤の利用目的とは少々異なり、緊急時をつなぐ技術として使うものという点が人工赤血球製剤のメリットでもあるので、既存の赤血球製剤とのすみ分けができれば未来を支える技術として確立されていくのではないかと思います。
人物写真/尾関祐治 構成/馬本寛子(日経BOOKプラス)
日経BP編、日経BP、2970円(税込み)
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