2024年2月に急逝した坂本幸雄氏は、赤字を垂れ流していたエルピーダメモリを社長就任からわずか1年で黒字化、世界3位のDRAMメーカーへと導いた経営者だった。日本の半導体産業史において、坂本氏ほど劇的な軌跡を描いた経営者はいないのではないか。時代の波に翻弄されながら栄光と挫折、そして復活へと向かおうとした歩みは、日本の半導体産業がたどった道のりそのものを映し出している。ITに精通し半導体業界を長年取材してきた日本経済新聞社編集委員・小柳建彦氏が、坂本幸雄氏の遺訓からひもとき、新刊『ニッポン半導体復活の条件』に込めたメッセージとは――。

坂本幸雄さんといえばエルピーダを率い、倒産後も管財人として運営し過去最高の営業利益を出すなどの手腕を見せた人ではありますが、この本が誕生した経緯を教えてください。

 ベースになっているのは、2022年春に日経クロステックで連載した坂本幸雄氏へのロングインタビューです。日本の半導体業界を支えてきた何人かのキーパーソンにインタビューしていずれ書籍にするという企画でした。

 坂本さんはテキサス・インスツルメンツから神戸製鋼、そしてエルピーダメモリへと転身を重ね、インテルやアドバンスト・マイクロ・デバイセズ(AMD)など世界の半導体大手の幹部とも直接交渉し、お互い認め合ってきた人物です。エルピーダの倒産後は、2019年秋に中国の理系トップ大学の清華大学系大手国策半導体企業・紫光集団のDRAM事業立ち上げプロジェクトにも加わっています。インタビューを何回か続けている途中から、ステルスモード(企業が一時的に秘匿性を保つ状態)にある中国のメモリー半導体スタートアップの最高戦略責任者に就任し、オンレコでの取材が難しくなってしまった。

 タイミングが合わずに書籍化はいったん棚上げになっていたところに坂本さんの訃報が届きました。エルピーダの一件は断片的に取材している人は多いのですが、全体像を捉えきれていない。一般のビジネスパーソンはもちろん、我々半導体を取材してきた者にとっても、何かモヤモヤ感がある宿題になっていたのです。結局どういうことだったのか、史実を記録しておこう、合わせて日本の半導体産業の史料になるものを残そうと思ったのです。

 ファクトチェックは徹底しました。この本を書くときに絶対にやりたくなかったのは、「と言われている」という表現や、「何々だ」と断定しながら何の根拠も示さない原稿です。少なくとも自分が見て取材メモで残っていること以外は、ソースとなる情報を示すことを徹底しました。なぜ日本の半導体はこんなことになってしまったのか、今さらラピダスに何兆円もつぎ込むようになってしまったのか、今後のテクノロジー産業や企業経営を考える際の参考になるのではないかと思っています。

日本経済新聞の小柳建彦編集委員「日本の半導体産業の史料になるものを残そうと思いました」
日本経済新聞の小柳建彦編集委員「日本の半導体産業の史料になるものを残そうと思いました」
画像のクリックで拡大表示

坂本さんは、中国に魂を売った人のように言われたこともあり、ネガティブに見た人もいます。小柳さんの目にはどんな人として映っていましたか?

 プロの半導体経営者ですね。

 初めて会ったのは1998年でした。当時から彼は異色の存在として業界で注目されていました。日本の伝統的な電機業界の経営者とは全く毛色が違い、言うことも違う。発想がアメリカンで、噂通りカミソリのような鋭さで日本企業の問題点をメッタ斬りにする。極めて明確なビジョンを持つ稀有(けう)な経営者というのが最初の印象です。

 折に触れ取材の機会があり、半導体については僕にとって羅針盤のような人で、シリコンバレー支局時代の2003年に、マイクロン・テクノロジーの当時CEOのスティーブ・アップルトン氏に取材をしていたら、突然、エルピーダメモリについて威嚇するような発言があった。それを記事にしたらすぐに坂本さんからお怒りのメールが来ました。「ああ言っているが、実はこうなんだ」と。ポジショントークも入っていたかもしれませんが、そういう意見交換もできる率直な関係でした。

 エルピーダの倒産後は、そこはかとない怒気が感じられる人になっていました。結果的に会社更生法を申請する張本人になったことについて、果たしてそれが正しい決断だったのかを、ほぼ10年自問自答してきた苦悩が感じられた。銀行や政府にはしごを外された感もあったでしょうし、リーマン・ショックや東日本大震災、超円高など常人の予想を超えた状況の変化の犠牲になった、あるいは負けたという感覚がおそらくあった。中国での半導体事業参画は、成功させることによって、もう一度自分はそんなもんじゃないということを、世の中に対して実証したいリベンジしたいという思いがあったのだと思います。

小柳さんは米ビッグテックの創業者全員と個別の取材をしてきました。そういう人たちと坂本さんの共通点、違いはどんなところですか?

 きちんとビジョンを持って決断をし、M&Aや提携を相手のトップと決められるリーダーシップがあるという意味では、アメリカのCEOたちと共通しています。それは、部門長の論功行賞の結果として社長に就任する日本的経営トップとは違う。

 例えば私が取材していた当時のインテルは、強烈なリーダーシップのあるチームと優秀なCFO(最高財務責任者)による集団指導体制で成功していました。一方、AMDは創業者のジェリー・サンダース氏の一本足打法で、インテルと戦っていた。独占禁止法違反だと常々吠えて何回もインテル相手に裁判をしていました。エルピーダの坂本さんは、そのAMDに近かった気がします。

環境変化の中で陥った戦略の迷走と財務戦略の不備

『ニッポン半導体復活の条件 異能の経営者 坂本幸雄の遺訓』(小柳建彦著、日本経済新聞出版)/画像クリックでAmazonページへ
『ニッポン半導体復活の条件 異能の経営者 坂本幸雄の遺訓』(小柳建彦著、日本経済新聞出版)/画像クリックでAmazonページへ

坂本さんの一本足打法によるエルピーダの挑戦とは、どんなものだったのでしょう?

 1980年代、日本総合電機メーカーは社内需要があったDRAM事業にこぞって乗り出しましたが、供給過剰になると損益が市況変動で大きく振れるDRAM事業を嫌い、1986年の日米半導体協定の足かせもあり、次第にDRAM以外の半導体製品の育成に力を入れ始めていきました。事業として手放したかったのです。エルピーダは1999年12月にNECと日立製作所がDRAM事業を、切り離して統合するために折半出資で「NEC日立メモリ」として設立。坂本さんはそのかじ取りを任されました。

 ビジョンや戦略は面白かったのです。引き受けたときには、2002年には日本で唯一残されたDRAM専業メーカーになることが決まっていたわけで、こんな状態の事業をよく引き受けたなと感じるほど、統合されたはずの事業には、まともな生産ラインすら存在しなかった。資金調達から工場建設まで、文字通りスタートアップ状態からの出発を余儀なくされたわけですが、インテルからの1億ドルの資金調達を成功させるなど、瞬く間に会社を軌道に乗せ、5%未満に落ち込んでいた同社の世界シェアをピーク時は19%まで押し上げ、世界3位に育て上げました。

 就任当初からエルピーダのビジネスモデルはプレミア品重視でした。携帯電話向けやデジタル家電向けなど、特注品的なDRAMで高付加価値なものを作ることによって、他社と収益力で差をつけると言っていたのです。そういうものを作る設計技術にも自信がある、設計技術者もいい、微細加工プロセスの生産技術もあるという話をしていて、それは極めてメイクセンスしていた。

 リーマン・ショックや東日本大震災、超円高に巡り合わせるなど、経営環境の不運はあったと思います。その一方で韓国のサムスン電子を追い抜くという野心が戦略の迷走を招き、台湾の子会社、瑞晶電子(レックスチップ・エレクトロニクス)での汎用品生産や不必要な投資に向かう結果となった。さらにもともと過小資本からのスタートもあって、キャッシュフローの安定化に苦しみ、液浸露光装置の導入が遅れたことが、スマートフォン市場に乗り遅れる原因になりました。

 経営環境では、2007年にiPhoneが登場しました。このときを境に人々のネット生活はパソコンからスマホ中心になっていきます。スマホは大容量で高速かつ低消費電力のDRAMをたくさん使う新たな巨大市場です。同年秋にはサムスンが過去最高の設備投資計画を発表するなど、他社の脱落を狙った投資競争が本格化。DRAM業界はブレーキを踏めば脱落しアクセルを踏み過ぎると死が待っている「チキンレース」状態に陥りました。さらに08年にはリーマン・ショックによる世界金融危機があり円高・ウォン安の逆風があった。09年に日本政策投資銀行(DBJ)による300億円の出資を受けて息を吹き返すのですが、11年には東日本大震災と、その後の急激な円高・ドル安です。それでも互いに好敵手と認め合うマイクロンCEOのアップルトン氏と経営統合が基本合意まで進んだ直後、当のアップルトン氏が急逝。統合話は中断しました。

 そんな環境変化の中での戦略の迷走は、規模でシェアを取りに行ったことでした。何とか(世界トップの)サムスンを抜きたいという野心が判断を鈍らせたのかなと思います。後から振り返ってみると、台湾メモリー構想やレックスチップへの投資など相当額を汎用品につぎ込んでいたのですね。もともと言っていたプレミア製品重視の経営戦略にもっと忠実にこだわってお金の使い方に気を付けていれば、倒産にはならなかったという気はしました。タラレバですが。

 台湾メモリー構想は、当時6社あった台湾のDRAMメーカーを再編してプレーヤーを減らして無益な設備投資競争と安売り競争を止めようと考えたものです。台湾当局からも相談を受け、経済産業省の役人とも相談して進めようとしていたのですが頓挫した。結果的にこれらの投資は、本来注力すべき、広島の工場にスマホ用のチップを作るための当時最先端だった液浸露光装置の導入を遅らせることになり、蓋を開けてみるとそれはもうできないキャッシュフローになっていて、広島でもプレミア品の比率が上げられない状態になってしまっていた。一方、サムスンはNAND型フラッシュメモリ事業で先行投資していた最新装置をDRAM生産に転用することで、スマートフォン市場の立ち上がりに素早く対応していくらでも作れる状態だったのです。

 加えて大きかったのは、財務戦略の不備です。開発や生産技術には卓越した能力を発揮する一方で、財務面の組織づくりや人材配置が不十分だった。エルピーダに入って早々にインテルからの資金調達を成功させ、資金は出さないと言っていた当時の親会社である日立やNECからも95億円を引き出せたり増資も集まったりして、自身の財務能力に自信があった、製品戦略によって利益率を確保してキャッシュフローも生み出せるというある種の過信があったのだと思います。ワンマン体質だったのでしょう。優秀な経営者は往々にしてそうですが、坂本さんの場合、結果的にはそれが致命傷の1つになったと思います

今の日本の半導体が生き残り、復活するためのヒントは後編に。

取材・文/中城邦子 構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集) 写真/稲垣純也

【関連記事】

TSMC熊本進出やラピダス新工場建設で沸き立つ日本の半導体業界。日本の半導体産業の失敗の本質を誰よりも理解していたのが、エルピーダメモリ元社長・坂本幸雄氏。2024年に急逝した坂本氏のロングインタビューを通して、ニッポン半導体復活の処方箋を日本経済新聞 編集委員・小柳建彦氏が探る。

小柳 建彦著/日本経済新聞出版/2530円(税込み)