仕事をしながら自身で定めた目標に向かって勉強している社会人男女を多数取材しました。学びの“現場”である自宅の勉強机にスポットを当てて紹介しつつ、学ぶ理由やキャリアのヒストリー、その人なりの勉強のコツなどを掘り下げます。そこには、大人の学びを効率的かつ前向きに取り組むためヒントがたくさんありました。ムック『THE DESK リアルな「勉強机」から見えた大人の学び100のヒント』から抜粋してお届けします。
マニアックな「探求学習」で人的資本経営の籏を振るCEOのデスク
――47歳・HRテック会社経営 田中 弦(ゆづる)さん
Q 何を学んでいる?
A 人的資本経営
2023年3月決算以降、上場企業の有価証券報告書に人的資本についての情報開示が求められたことを機に、各社がどのような情報開示を行っているかの調査に独自に取り組んでいる。23年1~3月に、公表済みの統合報告書(財務情報と非財務情報を統合して伝える報告書)を調査し、人的資本開示をしている957社の開示内容をデータベース化。6~8月に、3月決算の2325社を対象に有価証券報告書の調査を開始した。
Q デスクのある場所は?
A 東京都内の賃貸マンション(3LDK・83㎡)6畳の自室
妻と5歳の娘と暮らすマンションの仕事部屋兼寝室。「午前中にここで雑務をこなしてからオフィスに出社することが多いです」。趣味で乗っているロードバイクやカメラのメンテナンスもここで行う。
Q デスク周りのお気に入りアイテムは?
A 気分転換のためにいじるカメラとレンズ
「起業から5年がたった頃、資金調達が大変で精神的につらかったとき、気晴らしに始めた趣味がカメラ。軽くて使い勝手のいいFUJIFILMのX-E3とX-S10は、普段子どもを撮るときなどに使用。重いけど画質のいいSONYのα7R IIIは旅行などで、フルマニュアルのライカはひとりで出かける際に使用。勉強中に集中力が切れたとき、カメラの設定をいじったりレンズを付け替えたりすると、満足して再び果てしない作業に取り掛かれます」
A ビアンキのロードバイク
コロナ禍にひとりでできる趣味として始めたロードバイク。平日夜に都内を30~40km、週末には郊外を100kmほど走って爽快感を味わう。室内でロードバイクをこぎながら風景を仮想体感できるアプリ「ZWIFT」で、世界中のユーザーが競うレースに参加することも。
誰もやっていないことに取り組んで僕の“推し”を見つけ出すことは化石を発掘するような喜び
「上場企業が発行する統合報告書と有価証券報告書を全社分読み込んで、人的資本についての開示状況を分析するというのが、2022年12月から取り組む僕の勉強。上場企業に人的資本の開示が義務付けられたばかりの今、各社がどう取り組めばいいか模索するなか、全社の資料を読むなんてことはまだ誰もやっていない。読み込むことで蓄積されてきた知見を発信すると、もっと聞きたいという人が出てきて、さまざまな取材を受けたり、セミナーに呼ばれたりという予想外の展開になっています」。HRテック事業を運営するUniposのCEOである田中弦さんは、平日夜は2時間、休日は10時間、自宅の自室にこもり、上場企業の報告書にひたすら目を通す生活を送る。
人的資本とは、従業員が持つ知識や能力を「資本」としてとらえること。女性や外国人など多様な人材の採用や育成を含めた「人への投資」を企業価値向上につなげることが、国の方針として企業に求められており、23年3月決算以降の有価証券報告書には全上場企業に人的資本についての情報開示が義務付けられている。
田中さんはまず、開示義務化前の任意の開示の段階で、上場企業の統合報告書の調査をスタートした。人的資本情報を先行開示していた全957社分を3月までに読み込み、人的資本の戦略や指標をどう開示しているかを独自の10項目で評価。さらに海外の有名企業330社の開示情報に目を通した後、3月決算の国内企業2325社の有価証券報告書を読み込み、評価した。
「その結果、約50%は女性管理職比率や男女間賃金格差など最低限の数値の開示のみで、金融庁のガイドラインで求められている人材の多様性確保を含む人材育成などの戦略や指標、目標が示されていなかった。一方、開示内容が充実していると評価できた企業は11%。なかには長期の経営課題や人手不足などの問題を人的資本の活用でどう解くか、という戦略や現状分析が明確な企業も。僕の“推し”と言えるような優れた報告書を見つけたときには化石を発掘したような喜びがあります」。
勉強したことを発信すると誰かが見つけてくれる
北海道で育ち、高校卒業後は「地元を出たい」と千葉大学へ進学。当時普及し始めたインターネットに魅了され、大学2年次からパソコンスクールに通い、ホームページ制作を学ぶ。「寝る間も惜しんで世界の多様なネットビジネスについてインターネットで調べ、世界初の大型ネット書店を起こしたアマゾンなど、各国の若者による画期的なビジネスを集めたリンク集を自作のホームページに載せたんです。するとネットベンチャーからアルバイトに誘われるなど、いろんな人から連絡が来て。勉強して、情報を整理し、発信することで誰かに見つけてもらえるという原体験でした」。
1999年、希望していたソフトバンクに入社。ネット事業準備室に配属され、インターネット放送事業を一から始める業務を担当する。「日本では誰も扱ったことがないような機械を使い、新しいサービス開始に向けて悪戦苦闘しました。毎日夜中まで働きましたが、『インターネットが好き』という気持ちが勝り、苦にはならなかったです」。そんな経験も評価され「ネットに詳しい若者」として声がかかり、入社半年後にはソフトバンクを辞めてネットイヤーグループの創業に参画。ネットビジネスを始めたい企業へのコンサルティングなどを行う。
その後は数年ごとにネットベンチャーへの転職を重ね、2005年にネット広告の会社を設立。17年に東証マザーズに上場し、現在は従業員同士で感謝や称賛を送り合う組織風土改革のプラットフォーム「Unipos」を主力に事業を展開する。「現在の社名でもあるUniposの事業は、社内で始めた『発見大賞』という制度がきっかけ。他の社員のいいところを見つけて褒めようという制度で、導入によって離職率が下がった。組織改革につながると考え、サービス化しました」。その後、コロナの影響で打撃を受けた広告事業から撤退し、成長中のUnipos事業に一本化した。
23年からは田中さんの勉強の成果を広くシェアする「人的資本マニアック報告会」をリアルとオンラインで開催。これまでに経営者や人事IR担当者など計4000人以上から申し込みがあり、「人的資本経営の重要性が分かった」「自社がすべきことが見えた」といった反響も届いている。人をどう生かして企業価値を上げるかという人的資本経営の最前線についての学びの成果を発信することは、自社の事業の営業にも、日本の社会課題解決にもつながると言う。
「人的資本開示は各企業が自社や社会をどう良くしていこうとしているかという戦略がダイレクトに表れるもの。見事な戦略を開示している企業を見つけて、『こんなにすごい会社があるよ!』とウキウキしながら声を上げる役割を僕は勝手に担っていて、そのために日々勉強しているんです。将来、『あのタイミングで人的資本経営に取り組んで、日本は変わったね』と言われ、皆で乾杯できれば本望です」。
実践でつかんだ学びのノウハウ
1 学んだ成果を惜しみなく公開し、活用されることをモチベーションに
各社の人的資本の開示資料を読み込んで得た知見は、数カ月ごとに無料ウェビナーで公開。開示内容を10項目で評価し、6段階で格付けを行い、上位の企業の報告書の良い部分や、人的資本経営を社内で議論するためのポイントを紹介している。「僕が作って公表した人的資本経営の戦略づくりのフレームワークを、複数の会社が報告書で活用してくれた。これぞ勉強の醍醐味なので、どんどん使ってほしいと伝えています」。
2 仲間を巻き込み、多角的な視点で捉える
3月までに読み込んだ統合報告書は調査対象が1000社未満だったため自分ひとりで行ったが、有価証券報告書は2000社以上が対象となるため、時間短縮のために協力者を得ることにした。「SNSなどで興味のある人を募り、学生など11人のボランティアに協力してもらいました。自分ひとりだと頭が凝り固まってしまうので、多角的な視点を得ることができたのはよかったです。『こんなスゴい会社が見つかりました!』と報告し合うのも楽しかったです」。
3 挫折しそうなときは挑戦の「原点」を思い出す
数千社の資料を読んで人的資本の開示内容を分析する、という途方もない挑戦に挫折しそうなときは、「こんなにマニアックな勉強は自分にしかできない」と、自身の原点を思い出す。「植物学者の父親の影響で、子どもの頃には地元の北海道の断崖絶壁で父と一緒に貝の化石を発掘していました。現在の勉強は、そのときと同じ気持ちです。多くの人が知らない素晴らしい報告書を発掘して、どこが良いのかを分析して世の中に知らしめることは、自分がやらなければ誰もやらない。その使命感を持つことで頑張ることができています」。植物学者の父の著書である 『知っておきたい100の木』 (主婦の友社)、化石と眼の進化についての仮説を論じた 『眼の誕生』 (草思社)、小学生時代から何度も読み返した絵本 『せいめいのれきし』 (岩波書店)など、自身のルーツといえる本を大切にする。
本棚から見える関心事
冒険ファンタジーやSF、心のこもったメッセージを挑戦の力に
横浜ワールドポーターズ内の家具店で購入した本棚。2年半前に現在の家に転居した際に本の大半を整理して厳選。本はほとんど電子書籍で読むが、重要だと思うビジネス書は紙で買う。小学生のときに夢中になった 『モモ』 、 『はてしない物語』 (ともに岩波書店)や、「ゲームのシナリオライターになった年上のいとこの影響で好きになった」マンガ 『AKIRA』 (講談社)、 『風の谷のナウシカ』 (徳間書店)や、1986年から連載が続くSFマンガ 『ファイブスター物語』 (KADOKAWA)など、10代の頃から好きな作品をいつでも読めるように並べる。棚の上には社会人2年目でネットイヤーグループを辞めたときに当時の社長の小池聡氏にもらったメッセージ入りの盾を置く。「こんなに心のこもったものを自分がもらえるなんて信じがたくて。励みにしています」。
取材・文/藤川明日香 写真/小野さやか
日経ホームマガジン 日経WOMAN別冊、1430円(税込み)










