富士通をはじめとする、著名な日本企業で導入されてきた成果主義。もてはやされていたのもつかの間、その多くは「失敗」に終わってしまう。成果を報酬に直結させる、という評価制度は仕組みとしてわかりやすく、良さそうなものに思える。それが、実際にはなぜうまく機能しなかったのか。成果主義の定義から始め、様々な方向からその原因を探ろうとする『経営学の技法 ふだん使いの三つの思考』(舟津昌平著)から、抜粋・再構成してお届けする。連載第2回。
成果主義って何なんですか?
そもそも成果主義って何なのか、という問題がある。まさに素人質問である。「成果主義って、何なんですか?」。いやそんなの、言わなくてもわかるじゃない。成果と賃金を連動させることですよ、と思うかもしれない。
では、成果とは何か。いや、成果は成果じゃん。プロ野球選手とかを考えてみたら、成績が良かったら年俸上がるし、ダメだったら下がるでしょ。と、思われたかもしれない。でも、ふつうの会社員は、野球選手のように数字としてはっきり成績が出るとは限らない。仕事をしている方は、自分の仕事の「成果」がいかに明示可能か、考えてみてほしい。
…というように色々考えて成果主義を設計していくと、きっと気付くはずだ。成果主義、細かいことまで考えるの、けっこうめんどくさいな…と。成果ってそんなに簡単に数値化できない場合もありそうだし、人や場合による、としか言えないことも多そうだ。
成果主義を導入した企業として知られる富士通のケースでも、社内では成果主義のことをあくまでも「目標管理制度」と呼んでいたことは見逃せない。主題となったのは「上司と相談して目標を管理するという制度」であって、ということは実際の問題は成果を出すどうこうよりも、上司との関係の方がより核心的な問題だった可能性もある。上司との関係がよりうまくいっていれば、目標管理制度の失敗はなかったかもしれないのだ。
実は成果主義は多義的であり、たった一つの意味に捉えることが難しい制度である。成果主義と言ったときに、意味するものが単一でないのだ。より正確には、成果と報酬を連動させるという大枠の定義は同じでも、成果の定義と測定、報酬との連動度などの根本的な設計には、部署や業種、会社の既存の制度などが影響するため、現実的な運用実態は会社によって異なる可能性が高いのである。
成果主義が意味するもの
実際のところ、成果主義の定義も、研究によってそこそこばらついている。そのうえで、いくつかの文献が挙げる定義の「最大公約数」は、次のようなものになる。
1.賃金決定要因として、成果を左右する諸要因(技能、知識、努力など)よりも「結果としての成果」をより重視する
2.長期的な成果よりも「短期的な成果」を重視する
3.実際の賃金に「より大きな」格差をつける
それぞれ確認しよう。まず、結果を重視するという点だ。ここで気をつけないといけないのは類似の概念との混同である。たとえばこれらの条件に則(のっと)ると、「能力主義」は成果主義ではない。「その人の能力を評価する」と言ったとき、能力には潜在的なもの、つまり今は不十分だけどここから伸びそうですよね、みたいな意味も含むはずだからだ。
ちなみに、成果主義は旧弊的な日本的経営を否定すべく流行したものである。その否定対象となったのは、主に年功主義と「職能資格制度」つまり能力主義である。つまり成果主義は、能力主義を否定すべく浮上した制度ともいえるのだ。「本当の成果主義」には、資格とか熱意とか潜在能力とか、そういうものを含まないのであって、能力と成果を混同してはいけないし、能力主義と成果主義は似て非なるものである。
次の条件が時間軸である。富士通のケースと同様に、成果主義は比較的に短期での成果、長くとも1年程度の成果を測ろうとする志向をもつ。短期の成果をみようというのが、通念的な成果主義なのだ。
余談だが、学者の成果を単年ごとに測ると言われたら、少なくとも筆者は「ウッ」となる。主な成果指標となるだろう論文は「投稿」から「掲載」まで1~2年かかることが多く、成果を出せるタイムスパンが不透明だからだ。ゆえに、ある年には1本も出せてない人が翌年に2~3本出す、みたいなこともザラである。なんにせよ、短期間で成果を測ることには業種や職種ごとの向き不向きがあるのは間違いない。
それ、ほぼ成果主義じゃない?
そして条件の三つ目として、その成果は「より大きい」差に繋(つな)げられる。話をややこしくするようだが、広義の成果主義、つまり成果が報酬に連動するという意味では、別に年功序列賃金ですら成果主義の要素がないわけではないし、両者は矛盾しない。勤続年数や昇進などによって賃金が決定されるからといって、別に成果を無視しているわけではない。
たとえば経営学者の高橋伸夫は、日本企業は実質的に成果主義を採用してきたとすらいえると主張する。日本企業において主に報酬の差がつくのは、実は「年功」よりも「昇進」であったからである。
つまり出世するかどうかが、待遇の分かれ目なのだ。そして昇進に最も関わるのは、年功以上に「成果」なのである。昇進する人はだいたい年功を重ねているけど、特に大企業では年を取りさえすれば昇進できるわけではない。成果が要るのだ。
会社で成果を挙げていればそのうち評価されて昇進できるし、成果がなければ昇進できない。年数を重ねれば明白に差がつく。高橋曰く「同期」をみるとわかる。同期つまり同じ年功を重ねた同士の給料に大きな差があることは、伝統的日本企業でもよくあることである。それを成果主義と言わずして何と言う、という主張だ。
この高橋の議論には能力(職能)主義が含まれており、また短期的成果を対象としていないという意味では「条件」に当てはまっておらず、(狭義の)成果主義とはよべない。ただ特筆すべきは、年功主義・職能資格制度を採用してきた企業が社員の「成果」を無視しているわけではなく、むしろ成果も重視して報酬を決定してきたという事実である。
そもそも年功主義ってあったのか
人的資源管理論を専門とする経営学者・江夏幾多郎の指摘は、さらにどんでん返しである。そもそも日本企業は年功主義をとってきたわけではない、それはほぼ俗説だ、と言うのだ。日本企業は戦後間もなくから職務の軽重に応じて職階を与え、職階に課せられた役割を果たしたかどうかで昇進や昇給を決めるという制度をとってきた。年功の昇給もあるのだけど、重きを置くのは職務である。江夏はこれを職務主義と呼んでいる。
この主張は、高橋と軌を一にする部分もある。要は、報酬は成果「だけ」、年功「だけ」、職務「だけ」で決まっているわけではなく、どのウエイトが大きいのかという話をしているわけである。年取った「だけ」で高い給料を貰(もら)えるわけではないのだ。
年功と成果・職務には相関があることも見逃せない。そもそも会社で高い成果を出して、良い職務に就きたければ、長い時間がかかる。20代が50代をごぼう抜きするような例もあるにはあるのだろうけど、きわめて稀少であろう。ベテランと張り合えるような力をつけてきた頃には自分もベテラン、なんて当然なのだから。当たり前のように是認してしまっている俗説を疑うという意味でも、専門家の話は聞く価値がある。(文中敬称略)
舟津昌平著/日本経済新聞出版/2420円(税込み)


