「戦略の戦略家」「戦略の大家」と呼ばれ、日本でもベストセラーとなった『 良い戦略、悪い戦略 』(日本経済新聞出版)の著者リチャード・P・ルメルト教授が、戦略立案を部下に丸投げし、財務目標と中間目標だけ設定すれば「戦略風の文章」が作れると信じる経営者を一喝。『戦略の要諦』(リチャード・P・ルメルト著/村井章子訳/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

新任CEOが求める「利益を15%増やす戦略」

 戦略とは、組織の命運を決するような重大かつ困難な課題を解決するために設計された方針と行動計画の組み合わせを意味する。

 戦略とは単に目標を掲げることではない。問題解決の一種と捉えるべきである。したがって、いま何が問題なのかを理解せずに解決することはできない。戦略は、組織が直面する課題(または逃してはならない重大な機会)を特定し理解するところから始まる。それは競争状況や法律や社会規範の変化によって生じたのかもしれないし、組織自体に由来するのかもしれない。

 直面する状況の理解が深まるにつれて、成否を決すると同時に現実的に解決可能な最重要ポイントが見えてくる。フォーカスは戦略策定の基本中の基本であり、的を絞り込むことは戦略家の重要なスキルである。

 ある日の午前10時の面会相手は、キャロリンだった。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の社会人対象MBAプログラムに在籍する学生で、35歳。医療機器メーカーの企画部門で働いている。仕事で悩みを抱えているという。

 「CEO(最高経営責任者)が交代しました」とキャロリンは説明し始めた。この新任CEOが、事業戦略の見直しを命じたのだという。彼は最低でも利益を15%増やしたいと考えており、そのためには新しいアプローチが必要だと主張した。そのうえで、もし新しいアプローチで目標達成に成功したら、君のキャリアも輝かしいものになると示唆したそうだ。

 「このプログラムには満足していますし、ケースメソッドからは多くを学びました」としたうえで、「でもいまの私には、CEOが望むような戦略を具体的に立てるための特別なツールが必要です」とキャロリンは思い詰めたように言う。どうやら、現在の業績と上司の求める業績との差を一気に埋めてくれるようなマジックが望みらしい。

財務目標と戦略を混同する経営者が多すぎる(写真:takasu/stock.adobe.com)
財務目標と戦略を混同する経営者が多すぎる(写真:takasu/stock.adobe.com)
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戦略自動作成機は存在しない

 私はキャロリンに会社の事業内容を話してもらい、まずは自分の会社が競合他社と比べてどこが違うのか、何か特別な点はあるのか探すよう助言し、現在会社が直面する課題を明確に理解するよう促した。キャロリンは、私の助言があまりに漠然としているのに当惑したようだ。

 「社員はみな優秀です」と彼女は話し始めた。「より良い製品を市場に投入できるよう日々努力しています」。

 それから一呼吸置き、不安を吐露した。彼女の会社の戦略プランはひどく単純で、財務目標と、そこまでの中間目標が設定されているだけなのだという。「何かロードマップのようなもの……CEOが目標達成までのステップを会議で示せるようなものがあるとよいのですけど」

 私はうなずいたが、何も言わなかった。

 「事業戦略を論理的に作成するシステムがきっと何かあるはずです」とキャロリンは締めくくった。

 私はこのとき不謹慎にも、「戦略自動作成機」なるものを思い浮かべてしまった。電卓みたいなやつだ。望みの数字を入力してボタンを押せば戦略が吐き出される……。だがキャロリンにジョークを受け付ける余裕はなさそうだったので、口には出さずにおいた。

 実際、キャロリンはなかなか厳しい立場に置かれている。彼女が指摘した自社の戦略の欠陥は、戦略についての大半の著作や講演に共通するものだ。この欠陥を、戦略の権威であるゲイリー・ハメルは10年以上も前に的確に理解していた。

 「もちろん、誰だって戦略とはどういうものかを知っている。どこかの企業の、例えばマイクロソフトやニューコアの戦略を見ているからだ。こうした企業の実際の業績を知っているから、どんな戦略がすぐれているかも知っている。また、何らかの立案や策定がプロセスであることも知っている。ここで問題は、プロセスから自動的に戦略が生まれるわけではないことだ……戦略業界の知られたくない秘密、それは、戦略を策定するセオリーが存在しないことである」

 ちなみにハメルの言う「戦略業界」とは、戦略に関して教えたり助言したりするために雇われた研究者やコンサルタントの集合を意味する。

 キャロリンの問題は、こうだ。彼女の上司である新任CEOは、自社を取り巻く状況を注意深く見つめて理解しようとせず、業績目標ばかり高々と打ち上げている。彼は自社の直面する困難な課題あるいは生かすべき機会にフォーカスしていない。

 戦略課題に取り組むうえで重要なステップは、その課題を正しく診断することである。具体的には「何が起きているのか」を理解し、最重要ポイントを特定し、とるべき妥当な行動方針を決める。

電卓のような戦略自動作成機は存在しない(出所:『戦略の要諦』)
電卓のような戦略自動作成機は存在しない(出所:『戦略の要諦』)
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長期目標の罠(わな)

 キャロリンのように戦略に悩みを抱えるリーダーにコンサルタントがよく与える助言は、まず目標を明確にしなさい、ということだ。『不思議の国のアリス』のチェシャ猫だって、どっちへ行ったらいいかとアリスに聞かれてこう答えている。「それは、おまえさんの行きたいところ次第さ」。次にたぶん、ミッション・ステートメントを書き出しなさいとコンサルタントは言うだろう。スタンフォード・ビジネススクールの教授陣による戦略の教科書にはこうある。

一貫性のある戦略の第一の要素は、明確な長期目標である。その目標に向けて戦略を立てることになる。長期目標は、市場や業界における位置付けや評価といったものが多いだろう。例えば、業界トップになるとか、技術力で優位に立つ、品質で評価される企業になる、といったふうに。長期目標の「長期」とは、古びることのない、というほどの意味である。


 このアドバイスについてしばし考えてみよう。戦略策定のこの種のフレームワークはよく見かける。このフレームワークでは、「第一の要素」である長期目標を実現するために戦略を立てるという。だがちょっと待ってほしい。この目標はいったいどこから来たのか。

 どうも忽然(こつぜん)と湧いてきたように見える。何も状況分析をしないうちに魔法の杖(つえ)の一振りで出現した。自社の事業も競合他社も市場のダイナミクスも分析せずにただ「技術力で優位に立つ」というのは、漠然とした願望にすぎない。これではどうやってその目標を目指すのか、社員には伝わらないだろう。

あなたの会社には目標がたくさんあるはず

 目標というものについてもう少し論じておきたい。人なり組織なりが目指す重要な目標は常に一つ、多くて二つだというのは、まずもって間違った見方である。それは、一部の経済学者や経営学者の考え出した虚構にすぎない。実際には、個人も組織もたくさんの野心を持っている。具体的に計画していることがいくつもあり、将来こうなりたいという展望も何通りかあり、いずれやってみたいこともたくさんある。そのうちのいくつかは、両立しないか、同時には実現できなかったりする。

 25歳だった頃の私は、一流の研究者になりたい、戦略コンサルタントとして企業経営者に助言したい、夏は世界中の名峰に登りたい、飛行機の操縦をしてみたい、冬はクロスカントリースキーをしたい、統計的決定理論をマスターしたい、学生に夢を与えられるような先生になりたい、1万メートルを走りたい、モーガンプラス4を運転したい、アウトドアと会議室とを瞬時に行き来する方法を考案したい、すばらしい女性と結婚し幸福な家庭を築きたい、家族とゆっくり過ごす時間を持ちたい、早くお金をためて早く退職しサンルイ島に家を買いたい……などと考えていた。これまでの人生でいくらかでも実現に近づいたことは少ししかない。思わぬ機会に遭遇したり壁に突き当たったりしているうちに、新しい野心が生まれ、古い野心は捨てることになった。それを繰り返しながら、たくさんの野心の中から次にやることを選んできたわけである。

 効果的な戦略は、直面する課題を洗い出し、さらにリソースの制約や競争状況を考慮し、そこに野心が加味されるところから生まれる。とはいえ野心には慎重な吟味が必要だ。有能なリーダーは組織がいま実際に直面している状況をじっくり見つめ、たくさんの野心のうちいくつかをふるい落とす。つまり野心に絶対的な優位性はなく、戦略策定のスタートラインにつく資格すら与えられていない。前に進むためには野心や価値観を選別する必要がある。

重要な目標が1つか2つというのは、経済学者や経営学者の考え出した虚構にすぎない(写真:Orlando Florin Rosu/stock.adobe.com)
重要な目標が1つか2つというのは、経済学者や経営学者の考え出した虚構にすぎない(写真:Orlando Florin Rosu/stock.adobe.com)
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リチャード・P・ルメルト著/村井章子訳/日本経済新聞出版/2420円(税込み)