生成AIは強力な技術であり、本来は単なる業務の効率化にとどまらず、業務そのものを変える手段とすべきものです。導入によって作業を速めるだけでなく、生成AIを前提とした業務の進め方へと再設計しなければ、AIの力と既存の業務との間に不整合が生まれ、逆に生産性の低下を招くことがあります。生成AIの活用とは、単に使うことではなく、業務のあり方そのものを見直すことにほかなりません。本連載では、書籍『2030 次世代AI 日本の勝ち筋』(日経BP)から抜粋し、生成AIの利用事例と課題、生成AIを前提とした将来の業務のあり方について考えていきます。第2回は「生成AIの本来の効用は限界費用の削減にある」をテーマに。

 DX(デジタルトランスフォーメーション)というキーワードが流行して久しいです。しかし、日本のDXは業種や企業によって進度に差があるものの、既存の個別業務の効率化にとどまり、業務そのものの見直しを伴う業務改革にまで至っていない企業が少なくありません。その背景として、日本はAI以前にITを文房具のように捉えがち、つまり業務の作業手順を変えず、個別の作業の省力化手段として捉えがちであり、ITによって業務そのものを変える発想に至らないのです。

 生成AIの利用状況にも同じ傾向が見られます。多くの企業での活用は、既存業務における文章作成支援や文章理解支援に限定されています。それは業務を変えるものではなく、あくまで人間の作業を効率化するための手段として位置づけられており、その意味では生成AIを「新しい文房具」として扱っているように見えます。

 生成AIは本来、業務そのものを変革できるほど強力な技術です。それを文房具のように扱い、既存業務の一部を効率化するためだけに使うのは、潜在的な力を生かしきれていないといえるでしょう。人間を中心にした従来の業務の進め方を前提にしていては、生成AIの特性を十分に引き出すことはできません。AIを導入するのであれば、それを前提に業務のやり方を再設計すべきです。

 しかし現状では、生成AIの導入がかえって業務改革を遅らせているケースも見られます。生成AIが注目を集めて以降、企業におけるDX関連の新たな取り組みの多くが、生成AIを用いた既存業務の効率化に置き換わってしまっているからです。DXは本来、デジタル化を通じた業務改革を意味します。確かに業務改革には、業務そのものの見直しに加えて、既存業務の効率化も含まれます。その意味で、生成AIによる業務の効率化が誤りであるわけではありません。ただし、それだけでは生成AIの本来のポテンシャルを生かしているとは言い難いでしょう。個々の業務の効率化が、必ずしも組織全体の生産性向上につながるとは限らないという問題もあります。

 日本の組織が業務改革よりも作業の効率化に流れやすいのは、組織の構造的特性にも関係しています。一般に現場は既存業務の変更に強い抵抗を示します。そして日本では、その現場が良くも悪くも強い力を持っています。経営層としては、現場の抵抗を避けつつ、現行業務を維持したまま事務負担を減らせる生成AIの方が導入しやすく、しかもAIという先端技術を取り入れているように見えることで、株主やメディアからの印象も良くなります。その結果、生成AIが「業務改革の手段」ではなく、既存業務を続けるための「都合の良い効率化ツール」として扱われてしまう傾向が続いているのです。

生成AIの本来の効用は「限界費用の削減」

 技術一般にいえることですが、技術を生かすには、その技術がもたらす効用を理解し、それをどう生かすかを考えることが重要です。生成AIも同様であり、その効用を一言で表すなら「コンテンツに関わる限界費用を下げること」といえます。限界費用とは、ある成果物1単位の作成にかかる手間やコストのことです。報告書作成の手間を言語生成AIで減らすことも、報告書というコンテンツの限界費用を下げる行為にあたります。

 次に考えるべきは、どの限界費用を下げるかという点です。企業には、コンテンツに関わる取り組みの中で、売り上げを伸ばす、顧客満足度を上げる効果が期待できるなど、やりたくても限界費用の高さから断念してきたものが数多くあるはずです。生成AIを導入する際には、その中から限界費用を下げられる対象を見つけ、取り組むことを考えるべきです。

 例えば企業が作成する商品カタログを考えてみましょう。本来、顧客ごとに関心のある商品や情報は異なります。したがって、各顧客の関心に合わせて内容を最適化した商品カタログの方が、販売促進効果が高いことは明らかです。しかし、これができなかったのは、顧客ごとにカタログを作成するのは手間が大きい、つまり限界費用が高すぎるために諦めるしかなかったからです。言語生成AIや画像生成AIを活用することで、オンライン商品カタログであれば、顧客ごとに内容を最適化したカタログを低コストかつ高速に作成できるようになります。

 同様の発想は教育分野にも当てはまります。児童生徒一人ひとりの学習理解度に応じたオーダーメード教材、例えばテキストやテストは効果が高いとされてきましたが、その作成の限界費用が高く、実現は困難でした。生成AIの登場により、オーダーメード教材の作成コストが大幅に下がります1

1 公教育においては個別学習の是非は議論が分かれるところですが、学習塾などではオーダーメード教材の普及が進むと予想されます。

 さらに、コンテンツのオーダーメード化はニュースメディアにも応用可能です。読者一人ひとりに合わせた記事を提供することが可能となり、例えばテーマパーク開業のニュース記事であれば、経済に関心のある読者には経済効果を中心とした内容を、レジャーに関心のある読者にはアトラクション紹介を中心とした内容を、それぞれ動的に生成・提供できるようになります。

 ただし、新聞は「多くの人に共通の記事を届ける」ことも役割のひとつであり、読者ごとに内容が異なる記事を提供することは、その本来の性質に反する面もあります。とはいえ、読者がオーダーメード記事を当然と考えるようになれば、新聞社もその流れに抵抗できないかもしれません。記事の内容の濃淡を調整する程度であれば問題はありませんが、内容そのものが読者ごとに変わるようになると、同じニュースを読んでいるはずなのに、見解が違う記事となっていることも想定され、SNSで指摘されているようなフィルターバブルが一層強化されるおそれもあり、その是非については議論が必要といえます。

 テレビでも同様のことは起きます。筆者が考えた事例ですが、テレビにAIが搭載された場合、そのAIが複数局のニュース番組から利用者の関心のある部分だけを集め、利用者に最適化したニュース番組を編集することはできるはずです。地上波放送ではEPG(電子番組表)や字幕情報をテキストとして取得できるため、言語生成AIを使えば十分可能です2

2 複数のニュース番組をつなぎ合わせるため、ニュース原稿の読み上げは、テレビのAIが行い、統一感をもたせることはありえるでしょう。

 また、バラエティー番組などでも、視聴者によってはお気に入りのタレントだけを見たいという人がいます。その場合、テレビ局は番組を編集せず、複数のカメラで撮りっぱなしの映像を配信し、自宅のテレビ内のAIが各カメラ映像を編集して、そのタレントをフィーチャーした番組を生成することも可能になるでしょう。実際、高校野球の地方大会では、すでにAIがカメラ切り替えを行って放送している事例があり、AIによる番組の自動編集は遠い未来の話ではありません。

 このようなメディアの個人ごとのオーダーメード化においては、「誰がそのオーダーメード化を行うのか」が重要になります。①メディアが行うのか、②読者(視聴者)側が自らのAIを通じて行うのか、③メディアと読者の間の第三者が行うのか、が考えられます。

 まず①の場合もメディアが引き続き編集しますが、読者ごとのパーソナライズ化は進むといえます。②の場合、自分のAIを介して記事の内容や文量を調整することになり、メディアは、読者のAIが編集するための素材となる記事や映像を提供する役割に変わります。また、ウェブメディアの場合、ウェブブラウザーそのものがAIを呼び出し、またはAIを搭載して、表示コンテンツを選択・改変する可能性は考慮しておくべきでしょう。③の第三者は、ある種のキュレーション、あるいはDJ的な役割になります。著作権上の取り扱いが問題になりますが、紙面やテレビ番組を編集し、その編集情報だけを読者に送付し、読者側のウェブブラウザーやテレビが、その受け取った編集情報に従ってコンテンツをダウンロード・再生する方法が考えられます。

企業の生成AI導入に不可欠な「2つの線引き」

 日本の企業では、「誤りが含まれるかもしれないから使わない」という理由から、生成AIの導入をためらう例が少なくありません。その背景には、日本特有の完璧主義や品質至上主義の文化があります。長年にわたり、ミスをしない、不良を出さない、すなわち「間違えないこと」によって企業としての信頼を築いてきたためです。確率的に出力され、誤りを完全には排除できない生成AIは、こうした文化とは相いれにくい存在といえるでしょう。

 しかし、誤りを恐れて距離を置くほど、世界との活用の格差は広がっていきます。生成AIの誤りを完全になくすことは現実的に困難であり、むしろ業務のあり方を、誤りの許容を前提にしたものに変えるという割り切りもあります。

 ただ、これに関連して、「生成AIが文書を作り、人間がそれをチェック・修正する時代になる」といった言説が見受けられます。方向性として誤りではありませんが、その言説には2つの重要な視点が欠けています。

  • ① チェックや修正の手間が想定以上に大きいこと
  • ② AIの誤りに対する責任の分界点が曖昧なこと

 さて①については、人間が書いた文書も間違いはあり、その文書もチェック・修正していたのだから変わらないとの反論がありえるかもしれません。ですが、人間よりもAIははるかに多くの文書を作成できます。AIの利用範囲が広がるほど、人間がチェック・修正すべき対象、つまり文書が増え、結果として人的負担はむしろ大きくなります。

 ②については、AIは責任主体ではないこともあり、仮にAIが作成した文書に誤りがあり、それを人間が見逃した場合、責任の所在が明確でないという問題があります。AIに文書を作らせた人、AIが作った文書を確認した人、AIを開発した人、AIの導入を決めた人など、いずれに責任があるのかが定まっていないのです3。このような状況下でAIを導入すれば、誤りが発生した時点で責任の押し付け合いが始まり、組織の機能は停滞します。

3 企業における生成AIの導入プロジェクトは、事業部門単独、または事業部門とIT部門の横断で行われることが多く、この構造自体が責任の所在を曖昧にすることがあります。IT部門としても、生成AIという「間違いをなくせない技術」の導入に際し、間違いへの直接的な責任を避けたいという心理が働いている面もあるでしょう。

 さらに近年では、「人間とAIは得意・不得意が異なるため、互いに補完し合う関係にある」という言説もよく見られます。これだけ読むと正しいわけですが、現実にはAIが引き起こした問題の責任は人間が負うことが前提になっており、互いに補完するのではなく、片務的な依存関係になっています。

 AIを導入する際には、その利便性に注目するだけでなく、責任の所在を明確にすることが欠かせません。それが不明確なために、AIが引き起こした問題まで現場に責任を取らせると懸念されるような状況では、安心してAIを活用できる環境とはいえません。ホワイトカラーの職場の場合、生成AIの価値は、誤りをゼロにすることではなく、誤りを前提に効率や洞察を引き出すことにあります。

 重要なのは、AIは間違える前提で、その間違いが許容できる範囲で活用するか、それが許容できない場合は、AIの出力をすべて正そうとするのではなく、どこまでをAIに任せ、どこからを人が担うかという「補完の線引き」と、AIに関わる責任を明確化する「責任の線引き」を行うことです。AI導入においてこの2つの線引きの設計は避けて通れず、それを行うのは企業に責任を持つ経営陣となります。

(写真:metamorworks/stock.adobe.com)
(写真:metamorworks/stock.adobe.com)

[書籍『2030 次世代AI 日本の勝ち筋』を基に再構成 日経クロステック 2025年12月10日付の記事を転載]

2030年を見据え、筆者が想像、予測した将来の生成AIの活用を数多く紹介します。現時点で実現できていない活用も含まれますが、読者の皆さんが、生成AIのポテンシャルを生かした活用の可能性を見いだすきっかけとなれば幸いです。執筆に当たってはAIの専門技術についてはできるだけ平易に解説し、幅広い読者層に読んでいただけるよう配慮しました。

佐藤一郎著/日経BP/2200円(税込み)