楠木建・一橋ビジネススクール特任教授が「500ページを一気に読めるほど面白い」と評するのが『 FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実 』(ボブ・ウッドワード著/伏見威蕃訳/日本経済新聞出版)。この本の読みどころを、『経営読書記録 裏』(楠木建著/日本経済新聞出版)から抜粋・再構成してお届けする。

『FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実』(ボブ・ウッドワード著/伏見威蕃訳/日本経済新聞出版)
『FEAR 恐怖の男 トランプ政権の真実』(ボブ・ウッドワード著/伏見威蕃訳/日本経済新聞出版)

トランプ政権の内幕を暴露

 トランプ政権の意思決定過程を暴露するドキュメンタリー。著者はウォーターゲート事件をスクープしニクソン政権を退陣に追いつめた筋金入りの政治ジャーナリストで、『ディープ・スロート 大統領を葬った男』(ボブ・ウッドワード著/伏見威蕃訳/文藝春秋)は調査報道の金字塔です。本書も実に面白い。500ページ超の長尺ですが一気に読みました。

 トランプの大統領在職中の迷走と支離滅裂ぶりは日本でもさんざん報道されてきたのでおおまかなイメージは持っていたのですが、本書を読むと思っていた以上にとんでもない。気まぐれで感情的。思いつきと衝動で一貫性を欠いた意思決定を連発する。危険極まりない。世界一の強国の政治指導者として、考え得る限り最悪の人物であったことを思い知らされました。トランプという存在は世界全体にとってのリスクだったと言ってもよい(しかも、今もなお、一定の脅威であり続けている)。

 様々な意思決定過程で誰がどのように考え行動したのかを淡々と記述していくというウッドワードの手法は効果的で迫力があります。典型例が、トランプが大統領に就任してから8カ月後の、米韓自由貿易協定(KORUS)破棄の危機です。KORUSはアメリカにとって情報収集能力の基盤となるものであり、経済のみならず軍事的に最も重要な協定でした。

 というのは、アメリカにとって最大の脅威の一つが北朝鮮の核攻撃能力だからです。韓国との軍事同盟関係を通じて、アメリカは高度の軍事的機密情報を韓国から得ていました。北朝鮮の大陸間弾道ミサイルは発射後38分でアメリカ本土に到達する。韓国との特別アクセスプログラムのおかげで、アメリカは発射7秒後にはミサイル発射を探知できる態勢を整えていました。7秒であれば米軍にミサイルを迎撃する時間が確保できます。韓国からの情報がなければ、アラスカの基地の情報収集に頼るしかない。この場合、探知に15分もかかることになる。韓国経済にとって不可欠なKORUSの破棄は、米韓関係を瓦解させ、アメリカの安全保障にとって最重要の情報資産を喪失するリスクを帯びていました。

 韓国との貿易赤字や在韓米軍の駐在費用が巨額になっていることに腹を立てていたトランプはKORUSを破棄しようとします。トランプの執務机にはKORUSを破棄するという内容の韓国大統領あての親書の草稿が置かれていました。

 これを見つけた国家経済会議委員長のゲーリー・コーン(元ゴールドマン・サックス社長)は驚愕(きょうがく)します。コーンは机から親書の草稿を取り、「保管」と記された青いホルダーに入れます。トランプの頭の中は無秩序に乱れているので、彼は親書の草稿がなくなったことに気づきません。トランプの関心と注意は常に刹那的なので、じきに忘れてしまい、しばらくは事なきを得るという成り行きです。

 コーンは後に同僚に語っています。「デスクから盗んだ。あの男には見せない。ぜったいに見られないようにする。国を護らなければならない」――厳密には職務規定に違反する不法行為です。トランプ政権の内幕はこのような綱渡り的な「危機管理」の連続だったといいます。

アメリカと世界にとって「恐怖の男」

 トランプは徹底したアンチグローバリズムでした。オープンな貿易協定のせいで、安価な外国製品がアメリカに押し寄せて、アメリカ人労働者の需要を奪っていると考えていた。グローバルな金融業界を憎悪し、アメリカニズムよりもグローバリズムを優先してきた指導者がアメリカの労働者階級を殺した、というのが選挙戦中からトランプの一貫した主張でした。これがかつての工業地帯だった「ラストベルト」の民主党支持者をトランプ支持にひっくり返したことが、世界をあっと言わせた2016年の大統領選の勝利をもたらしました。

 トランプは自分の直観を支持してくれる人物を新設の国家通商会議の委員長に据えます。自由貿易を憎んでいる経済学者のピーター・ナバロです。トランプとナバロは北米自由協定(NAFTA)からの離脱を目論みます。

 競争を市場にゆだねる自由貿易は、伝統的には共和党の主張でした。アメリカ経済のありようを考えると、貿易赤字は必ずしも悪いことではありません。外国製品に競争力があるのでアメリカ市場に入ってきているわけで、安い輸入品のおかげで余分なお金をほかの消費や貯金に回すことができる。これが自由貿易の効果で、ほとんどすべてのエコノミストはトランプの意見に反対します。

 何とかトランプを説得しようとするコーンは「あなた方は勉強が足りない」と言い切ってデータと事実を突きつけます。「貿易赤字が減る唯一の時期は2008年の金融危機のようなときです。アメリカの貿易赤字が減るのは、アメリカ経済が収縮しているからです。貿易赤字を減らしたいなら、実現できますよ。経済をパンクさせればいいだけです」。

 それでもトランプは理解しません。「30年間、ずっと考えは変わらない」というトランプにコーンは反撃します。「だからといって正しいとは限りませんよ。私は15年間アメフトのプロ選手になれると考えていました。だからといって私が正しかったわけではありませんでした」――ホワイトハウスのスタッフは、このようにまるで聞き分けのない子供を相手にするように大統領に接しなければなりませんでした。コーンたちはKORUSの件と同様に、トランプの注意を何とかしてNAFTAからそらそうとするしかありませんでした。

 こうした傾向は大統領職に就いてからの時間が経過するほど顕著になったといいます。国務長官のティラーソンは「あの男は知能が低い」と公然とトランプを批判していました。不安定な性格、無知、それ以上に学習能力の欠如――国家安全保障チームはトランプの存在自体に極度の懸念を抱き続けました。政権としては狂気としか言いようがない状態です。トランプはアメリカと世界にとって文字通りの「恐怖の男」でした。

 本書は人物評伝ではありません。トランプとそのチームの意思決定過程を対象にしています。それがかえってトランプという特異で危険な人物の人となりを鮮明に描くのに成功しています。

後先のことを考えない人

 僕の感想としては、一言で言って「後先のことを考えない人」。とんでもないポピュリストにしてナルシストなのですが、それもこれも「後は野となれ山となれ」という人だからです。その場の刹那的な自己満足というか自己陶酔を目的に行動する。すなわち、政治家という仕事は最も向いていない。一瞬のひらめきや思いつきでことを動かすのが大スキ。これはむしろトランプの信念のようで、事前の準備をやり過ぎると自分の直観能力がかえって弱まると思っていたフシがある。前もって考えたせいで挫折することを極度に嫌う。計画は自分の力や第六感を奪うとすら思っている。

 トランプが当選した2016年の大統領選で選挙参謀を務めたスティーブ・バノン(これがまたとんでもない人物)が述懐しています。「トランプは、勝つだろうとはこれっぽっちも思っていなかった」「大統領になる準備をまったくやらなかった。敗けることは考えていなかったが、勝つとも思っていなかった」「ヒラリー・クリントンは、大人になってからずっと、こういう瞬間のために用意を整えてきた。トランプはこの瞬間のための用意に一秒も費やしていなかった」。

 トランプの直観の源泉はテレビ(特にトランプ寄りだったFOXニュース)や新聞やSNS(交流サイト)の情報です。トランプはぞっとするほどメディアの視聴に時間を費やしていました。午前11時ごろにならないと仕事を始めない。1日に8時間、とりつかれたようにテレビを観ている。トランプの寝室の巨大なテレビはつけっぱなしで、一人でリモコンをいじり、録画した番組を観てはそのときどきの思いつきを衝動的にツイートする。

 プリーバス首席補佐官はトランプの寝室を「悪魔の作業場」と呼んでいました。週末にゴルフに出かけるトランプがホワイトハウスに帰る時間を遅らせるように、プリーバスは予定を組むようにしていました。午後9時にホワイトハウスに着くようにする。なぜかというと、その時間にはCNNやMSNBCのようなリベラル寄りのメディアがトランプが主役となる政治談議を終えて、穏やかな番組を流しているからです。

 伝統的な強い男の役割を演じ、大胆不敵であることそれ自体に価値を求める。ツイッター(現・X)で無思慮な言葉を連発していたのも、ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)に屈したと思われたくなかったからです。

危険な思考様式はどこから来たか

 鉄鋼への輸入関税でトランプとコーンが衝突したとき、輸入関税がいかにアメリカ経済全体にとって打撃になるかを示すデータを目いっぱい集めて、コーンはトランプに示します。それでもトランプの決意は揺るぎません。

 「やってみよう。うまくいかなかったら、撤回すればいい」というのがトランプの基本姿勢です。コーンは「アメリカ経済をそんな風にもてあそんではいけません。100%うまくいくという確信があるときに、そういう手を打ち、読みが正しかったことを祈るんです。五分五分の確率で、アメリカ経済にそういうことをやってはいけません」と抵抗しても、トランプは言うことを聞かない。失敗したらご破算にしてやり直せばいいと思っている。

 このような危険な思考様式は、トランプがそのキャリアを通じて不動産デベロッパーだったことが大きいのではないかと考えます。長期的な戦略思考が問われるビジネスに関わったことがない。その場その場の損得を計算する。

 単発的な交渉で自分に有利な条件を引き出す。席をけり、合意を吹っ飛ばすと脅す。いざとなったら踏み倒せばいい。それでもだめなら破産宣告をするまでだ――事実、ビジネスマンとしてのトランプは複数回破綻を経験しています。彼にとっては破綻も戦略の一つ。徹底して刹那的です。

 不動産会社の大将ならそれでいいでしょうが、こういう人が大統領をやっているのには根本的な無理があります。知れば知るほどトランプは政治家として救いがたい人物です。

「知的体幹を鍛える本の読み方」を追体験

「紹介されている本を読むよりも面白い」と評される、楠木建氏の書評を網羅した珠玉の書籍解説集。経営書から教養書まで、縦横無尽に語り尽くす。「今すぐに読みたくなる本」と出合える1冊。

楠木建著/日本経済新聞出版/2090円(税込み)