世界の掃除を変えた革命的ヒット商品、花王「クイックルワイパー」誕生の裏には、開発者たちの知られざる苦悩と、6年にわたる経営陣との激しいバトルがあった。会社から見放され、追い詰められながらも、大ヒット商品へと導いた異端開発者たちの奮闘ぶりを、花王の現役上席執行役員がつづった『6200万本売れた「ダメ出し商品」 花王「クイックルワイパー」誕生の大逆転物語』から一部再構成してお届けする。今回は難題が山積み、悪戦苦闘のシートの開発について。[日経クロストレンド 2026年1月28日付の記事を転載]
汚さずに快適さを保つ「キープクリーン」
モニター調査で自信を得た塩崎さんらは、事業本部長や研究所長の了解をもらい、ワイパーを正式な研究開発テーマにすることができました。
塩崎さんらは、ワイパーを使ってもらったモニターさんに教えられたことがあります。それは、ワイパーは「キープクリーン」のための道具だといういうことでした。「マジックリン」や「マイペット」といった商品は、汚れを落とすための商品。つまり「汚れたらきれいにする」の繰り返しです。
一方、ワイパーは、汚れが目立つ前に使って、一定のきれいさを保つための商品です。そのほうが労力もかからず、気持ちもいいものです。
「お風呂が汚れるからバスマジックリンがある。ガラスが汚れるからガラスマイペットがある。俺たち、汚れにくっ付くコバンザメだよな」
「汚れたから拭くのではなくて、お掃除タイムやお風呂タイムを楽しくするような商品をつくれたら、新しい市場ができるはずだ」
塩崎さんらはそんな会話を交わしていました。
「ワイパーは、キープクリーンの先駆けになる商品ではないか」
そんな期待感が高まっていました。
2年後に出す商品なのに、担当者はたった1人?
「ワイパーを2年後に発売する」
1990年、家庭品研究所に所属する1人の女性研究員が上司にそう言われ、ワイパーの担当になりました。88年に入社して同研究所に配属された宮川聖子さんです。宮川さんは入社以来、「トイレクイックル」を担当していました。入社2年目の89年にトイレクイックルが発売されると、上司が「次はダストワイパーを出す」と話しているのを耳にしました。
ところが、一転して次に発売する商品がマイペットクロスに変更されたことから、ワイパーを担当していた他のメンバーが全員マイペットクロスの担当へと移っていきました。ワイパーの担当は、宮川さん1人になってしまったのです。
「2年後に出すのに、担当が1人というのはおかしい。多分、まだまだなのかな……」
宮川さんは内心、そういぶかしがっていました。
宮川さんに課されたテーマは、シートの不織布の品質を高めることと、東京・墨田区にある包装技研と連携して、柄とヘッドという道具を開発することでした。
このときすでに紙研究室が発足して約4年が過ぎており、ちりを吸う吸塵不織布の研究開発はかなり進んでいました。宮川さんは、この不織布の配合をさらに精緻にしようとしていました。
見かねたパートの女性から救いの声
ある日のこと、宮川さんはデスクの上にポテトチップスをパリパリと割って散らし、不織布で拭いていました。どんな不織布にすれば、食べこぼしをより取れるようになるかの実験です。
宮川さんが頭を悩ませたのは、不織布の性能だけではありませんでした。
実は「見た目」も大事な要素でした。社内からも「こんなシートでごみを取れるのか?」と何度も指摘されていたのです。どうすれば消費者に「これならごみを取れそう!」と期待してもらえるような見た目にできるのか。宮川さんは何度も何度も思案を重ねていました。
宮川さんがシートを波打たせて立体感を出すため、手で不織布にたくさんしわを寄せて、波をつくっていたときのことでした。
「ギャザーを寄せるんだったら、私がミシンで縫ってあげるわよ!」
宮川さんが奮闘する姿を見ていたパートの女性がそう声をかけてきたのです。栃木研究所には、研究の補助や洗濯、掃除などをお願いしているパートさんがたくさん働いていました。
花王の研究所の大きな特徴の一つが「大部屋制」です。専門領域や担当分野の異なる研究員たちが同じフロアで対話し、情報交換しながら研究を進めていました。このオープンな環境があってこそ、花王ならではの新しい発想や技術が生まれるのです。
宮川さんがほこりまみれになっていたり、ポテトチップスを散らしていたりしているのを見た研究員が、「何やってるの?」と声をかけるのもよくあることでした。垣根を越えた交流は研究員同士にとどまりません。生活の知恵にたけたパートさんたちともやり取りするのが日常でした。
栃木研究所では、朝10時と午後3時は休憩時間でした。当時はお茶当番があり、宮川さんは毎日のようにパートの女性たちとよもやま話をしていました。
「油剤は米ぬかがいいんじゃないの?」
などと、パートさんが自宅から米ぬかを持って来てくれることもありました。研究員に限らず、モノづくりに興味があるパートさんたちとの会話から新たなアイデアが浮かぶことも珍しくありませんでした。
「破れにくさ」と「絡め取る」のトレードオフ関係
不織布のマスクを見ると、目が細かく詰まっているのがわかるでしょう。花粉が入ってくるのを防いだり、くしゃみやせきの飛沫の飛散を防いだりするためです。
不織布は、きめ細かくすればするほど、破れにくくなりますが、ほこりを絡め取りにくい。逆に緩く編んでいると、ほこりや髪の毛は絡みやすいけれど、床を拭いていると摩擦でほぐれてバラバラになってしまいます。
破れにくさと絡め取りやすさ――。この2つはトレードオフの関係にあるのです。どうすれば、緩く編んでいてほこりを絡め取れるのに、ほぐれないようにできるのか? この二律背反が不織布開発の難しい点でした。
宮川さんは、新しい繊維のサンプルなどをメーカーから取り寄せ、何とか突破口を見つけようと毎日腐心していました。しかし、自分一人では実際にシートに加工することができず、評価もできない状況でした。
宮川さんが孤軍奮闘でワイパーの開発を担当してから1年がたとうとしていた90年秋、柳田浩幸さんら加工技術研究室のメンバー4人が、ワイパーの不織布開発に加わりました。加工研は、主に素材開発とその素材の量産化のための生産技術を担う部隊です。これによって不織布開発が一気に加速しました。
ここで花王の研究開発体制を整理しておきましょう。まず、ハウスホールドやサニタリー、ヘルスケアといった商品カテゴリー別の研究所があります。これが縦割りだとすれば、素材や加工・プロセス、包装容器といった横断的に基礎技術を研究する横串の組織があります。商品に関する技術と基礎技術を融合させながら開発を進めていきます。
柳田さんら加工研の4人(舛木哲也さん、齋藤豊さん、佐藤信也さん)は、ウオータージェットや加湿器による水蒸気で蒸している不織布パイロット設備のある実験室の中で、繊維によって綿まみれになった作業着を汗だくにしながら、シートの完成度をさらに高めようと日夜試作を繰り返していました。
社員寮の風呂場でのひらめき
突破口は、思わぬところから見つかることがあります。
加工研の助っ人の佐藤さんが、社員寮でお風呂に入っているときのことでした。壁のタイルを見て「これだ!」とひらめきました。
「不織布の中に格子状のネットを入れれば、ゆるゆる感を残しつつ、掃除してもバラバラにならずに耐えられるのではないか?」
そう思い付いたのです。
翌日、出社した佐藤さんは、早速、メンバーに格子状のネットのアイデアを伝えました。ところが、不織布に入れるのに適したネットがなかなか思い浮かびませんでした。
例えば、みかんが入っている赤いネットを使えないかという意見がありました。しかし、みかんネットはどの方向にも伸びるので、不織布の強度を保たせるには不向きでした。探し求めたのは、「引っ張っても伸びないようなネット」です。
「農業用の防鳥や防虫のネットは使えないかな?」
ある研究員がそう思い付きました。宇都宮駅からクルマで40分ほどの場所にある栃木研究所の周りには、田畑や山林が広がっています。防鳥ネットとは、いかにもこの地で働く研究員らしい発想です。ちなみに、酵素入りコンパクト洗剤アタックの商品化も、栃木研究所周辺の土壌で発見した菌によって実現しました。“地の利”とも言える、田舎ならではの着想や発見が商品化につながることがあるのです。
防鳥ネットならみかんネットほど伸び縮みしませんでしたが、通常の防鳥ネットは太すぎて不織布には入りませんでした。1平方メートル当たりの重量を「坪つぼ量りょう」といいますが、調べてみると、最も軽いのが坪量5グラム。このポリプロピレン製のネットを使ってみることにしました。
次の課題は、どうやってネットを不織布に入れるのか?佐藤さんはシートを2枚作って、その間にネットを入れ、水圧で絡めて一体化する方法を編み出しました。それに熱風乾燥機で熱を加えると、内部のネットのみ収縮し、行き場を失った不織布がネットの上下に交互に出っ張り、市松模様のようなデコボコしたシートが出来上がりました。
「すごいのができたぞ。これでいけるぞ!」
いかにもほこりが取れそうな形状のシートを見て、研究員たちはおおいに盛り上がりました。柳田さんらは喜び勇んで、本社の塩崎さんに「こんなのができました。これならいけそうですよ!」と報告。それを見た塩崎さんも「おーっ。これはすごいな!」と驚きの声を上げていました。
ところが熱を加えてネットを収縮させるアイデアは、あえなくボツに。シートは製造工程でロール状にしますが、そのとき、せっかくできたデコボコが潰れてしまったのです。
もう一つ理由がありました。熱処理をしたほうが、見た目はデコボコしていかにもほこりが取れそうです。しかし、テストの結果、熱処理をしてもしなくても性能自体は大して変わりませんでした。ただ、ネットがあることにより、ゆるゆる感を残して、掃除してもバラバラにならないことを達成していました。
ネットを挟んだシートの研究開発はこの後も続いていきました。現在は、ネットはそのままに不織布を成形させる方法を編み出して、シートの立体感を出すことに成功しています。
べたつかずに、ゴミ・ほこりをホールドしたい
シート開発で難航したことがもう一つありました。それは油剤を塗る工程でした。
ワイパー開発の出発点は「D社の化学モップのようなものを作れ」というものでした。化学モップは油剤がたっぷり含まれているタイプです。これに対して、栃木研究所ではベタベタしたタイプではなく、ベタベタしない乾燥したタイプのシートを開発していました。ただ、ドライではちりやほこりのホールドが甘い。そこで、ベタベタしない程度に油剤を含ませようとしていました。
アルコールなどの溶剤で薄めた油剤にシートを漬け込んだ後、乾燥させて溶剤を飛ばせば油剤だけが残ります。ところが、何度やってもベタついてうまくいきませんでした。乾燥させて溶剤を飛ばすとなると、加工に時間がかかり、設備の規模も大きくなり、設備の製造コストも高い。
シートの両面に油剤を塗って、ロールで押し込んで中まで浸透させるという方法も試してみました。しかし、これもシート表面がベタベタして使いものになりませんでした。
表面の油剤を拭き取るとベタベタしなかったため、ロールで油剤を塗った後、表面に残ったものだけを取り除けば、表面はベタベタせずに中に油剤が残るのではないか。加工研のメンバーは、どうやって表面の油剤をだけを取ることができるか思案しました。
「ロールで塗るなら、ロールで取ればいい」
そう考えて試験してみると、100塗った油剤のうち50を落とせて、中に50残る状態になっていました。表面はベタつきません。ドライだけれど、中に油剤が入っているという絶妙な状態のシートが完成したのです。
(次回に続く)
塗谷弘太郎(著)、日経BP、2200円(税込み)




