世界の掃除を変えた革命的ヒット商品、花王「クイックルワイパー」誕生の裏には、開発者たちの知られざる苦悩と、6年にわたる経営陣との激しいバトルがあった。会社から見放され、追い詰められながらも、大ヒット商品へと導いた異端開発者たちの奮闘ぶりを、花王の現役上席執行役員がつづった『6200万本売れた「ダメ出し商品」 花王「クイックルワイパー」誕生の大逆転物語』から一部再構成してお届けする。いよいよ社長から痛烈なダメ出しをくらった開発者たち。しかし、それはこれから始まる苦難の道のりの始まりに過ぎなかった……。[日経クロストレンド 2026年2月12日付の記事を転載]
ハンドメイドの試作ラボ
花王は以前から不織布の研究開発に関する蓄積はありました。しかし、ワイパーの柄やヘッドといった道具の開発経験はほとんどありませんでした。包装技研では「柄の先にシートを取り付けて床を掃除できる道具」をイメージしながら、試作を繰り返していきました。
そもそも、花王は化学会社です。柄やヘッドといった道具を開発するなら、ノウハウのある外部の専門会社に依頼するのが常とう手段でしょう。しかし、バーティカル・インテグレーションで容器や道具に至るまで、商品に関わるものは自社内で研究開発してしまうところが花王らしさです。
ただ、幹部から「おまえらは素人の集まりだから、大したモノは作れないだろ」と指摘されたこともあり、一時期、外部のプラスチック製品の設計・製造会社にも開発に加わってもらいました。最終的には包装技研のアイデアが採用されましたが、外部協力会社から十数種類の案を提案してもらったこともありました。
ヘッドは多種多様な試作品を作りました。シートの取り付け方法も、フック式や両面テープ式、菊穴式、面ファスナー式など、いろいろ試しました。
今なら3Dプリンターがあるので、簡単に3次元の試作品を作れます。しかし、当時は3Dプリンターなどありません。研究員はプラスチックの板(プラ板)を切り貼りして手作りするのです。長方形ではなく、三角形のヘッドを試作したこともありました。
モニターさんからは「狭いすき間にも入るほうがいい」「ヘッドがクルクル回るといい」など、いろいろな意見をいただくことができ、それらを開発に反映していきました。
例えば、当初のヘッドは5ミリくらいの厚さのプラ板にウレタンを貼り付けていました。ところが、「ヘッドは薄いほうがいい」というモニターさんからの意見を参考に、塩崎さんが「コストダウンもできるし、プラ板は要らないんじゃない?」と提案。研究員はすぐさまプラ板なしでウレタンだけでも強度を保てるヘッドを試作しました。
外注するとなると、仕様を決めてから試作を依頼するので時間がかかります。しかし、自社内の研究所が対応するので、スピーディーに試行錯誤を繰り返せるのも強みでした。
一方、柄の部分は長い1本のパイプのものや、短いパイプをつなぎ合わせる方式などを試作していきました。そうした中からカメラの三脚を参考に、3本のパイプが伸縮する方式の柄を作りました。しばらくは、この三脚方式で開発を進めていきました。
衝撃のグループインタビュー
ある日のこと、試作品のモニター調査のため、東京・八重洲のオフィスビルの1室に、8人ほどの女性に集まってもらいました。カメラの三脚を使った3段の伸び縮みするワイパーの試作品を3週間ほど使ってもらった後、グループインタビューを行う手はずでした。
普段の掃除について一通りインタビューした後、紙袋に入ったワイパーをモニターさんに渡しました。すると、「こんなに大きくて重い物を持って帰るの? これから髙島屋に買い物に行くのに……」と、お叱りを受けてしまったのです。モニターさんたちはワイパーが入った紙袋を持って、不満げな表情で部屋を出ていきました。
3週間後……。
再び八重洲のグループインタビュールームにモニターさんたちに集まってもらいました。使ってみた感想をヒアリングするためです。
塩崎さんらは裏のミラールームで戦々恐々と身構えていました。
モニターさんが1人、また1人と集まってきました。
すると、まだ司会者が来る前なのに、モニターさんたちは興奮冷めやらぬ様子でワイパーについて語り合い始めたのです。通常、グループインタビューでは司会者が来るまでモニターさんたちは世間話をするだけで、商品について話すことなどまずありません。
一人が感想を漏らすと、隣の人が応じ、さらに別のモニターさんがかぶせるように語り出す。会話は一気に商品談義へと燃え広がっていきます。グループインタビューでは見たこともない光景に塩崎さんらは衝撃を受け、息をのみながら、モニターさんたちの雑談に食い入りました。
鼓動が早まる。ペンを走らせる手が震える。目の前で未来が立ち上がっていく瞬間を高鳴る胸で確信したのです。
「汚れの見える化」という革新性
ワイパーがモニターさんたちに評価された大きなポイントの一つが「汚れの見える化」でした。
レンジ周りを掃除すると油汚れが取れたことがわかる、トイレを掃除すると黄ばみが取れたのがわかるといった具合に、汚れが取れることで掃除の達成感は増幅します。逆に掃除は、結果が確認できなければ満足度が下がります。
今なら、少し匂いが良くなったという嗅覚認識、ザラザラがスベスベになったという触覚認識などもありますが、当時は汚れが取れたかどうか、目に見えるかどうかが最大のポイントでした。
とはいうものの、フローリングの床を見ても、汚れているかどうかはよくわかりません。ごみや大きなほこりが落ちていれば気付きますが、髪の毛や小さなほこりは目立ちません。
ところが、きれいなはずのフローリングをワイパーで掃除すると、シートが真っ黒になるのです。
「こんなに床が汚れていたんだ!」
ワイパーを使うことで、そんな驚きの体験が得られました。
床がきれいになったことよりむしろ、シートが真っ黒になって、髪の毛やペットの毛が絡まっていること。これが掃除の達成感につながったのです。
手軽に使えること、シートを捨てられることなどに加え、汚れの見える化がワイパーの掃除道具としての優位性でした。
常盤文克社長からくらった「1アウト!」
「今、研究所でこんなのをやっています!」
90年、研究開発会議の席で、試作段階のワイパーを丸田芳郎会長や常盤文克社長ら経営陣に説明する機会が訪れました。常盤社長は研究開発出身で、研究統括を経て社長に就任したばかりでした。
「これはダストワイパーといって、フローリングの床を掃除するものです。ヘッドに巻いているシートは掃除した後、取り外してトイレクイックルのように捨てられます」
「面白そうなものをやってるじゃないか。ちょっと俺に使わせてみろ」
常盤社長が立ち上がってワイパーをつかむと、床をこすってみました。すると、次の瞬間、カメラの三脚を援用した柄のストッパーが緩んで、縮んでしまったのです。
ガクン!
「……おまえら、こんないい加減なものを作ってんのか、今すぐやめろ!」
研究者としての矜持(きょうじ)を宿す常盤社長から、鉄ついを下されてしまいました。
試作品をどの完成レベルで幹部に見せるのか? これは開発者にとって悩ましい問題です。「面白いな」と思わせるためには、まだ粗削りの段階でも早めに見せたほうがいいでしょう。しかし、このときのように、たとえ魅力的でも完成度が低ければダメ出しされる危険性は高まります。「まだこれは最終じゃないので」と伝えても、幹部は完成品のように使ってみるでしょう。
一方で、慎重を期してある程度完成度を高めてから提案しようとすると、小ぎれいにまとまってしまい、商品としての意外性や面白みを失ってしまいかねません。
常盤社長をはじめ、花王の研究畑の人たちはクオリティーを突き詰めるマインドが強く、それが花王の強みでもありました。この1アウト目の「ガクン事件」は、性能の不備が原因でした。
けれど幸いにも、経営陣は「発想そのもの」を頭から否定したわけではありません。むしろ「何か面白そうだ」と、かすかに興味を示してくれた。その一縷(いちる)の光が、開発チームの心に残っていました。
さらに、グループインタビューで見た異様なまでの熱気。あの光景が、開発メンバーの脳裏に焼き付いて離れませんでした。だからこそ、開発チーム全員が歯を食いしばってワイパーの品質を一から見直し、改良に改良を重ねようと、再び立ち上がったのです。
さあ、ここからが、どん底まで落とされていく花王クイックルワイパー開発者たちの苦悩と、大逆転の物語の本番です。この続きは『6200万本売れた「ダメ出し商品」 花王「クイックルワイパー」誕生の大逆転物語』をぜひお読みください。
塗谷弘太郎(著)、日経BP、2200円(税込み)


