産業革命は、グローバルな経済史においてどのような位置づけがなされているのか。「経済学の書棚」第26回後編は、産業革命を歴史上1回しか発生しない変化と位置付けた『経済史』、産業革命後の1870年から2010年までを「長い20世紀」と命名し世界経済の変化を追った『20世紀経済史』を取り上げる。
成長の原動力は際限のない人間の欲望
世界経済の歴史を描くとき、産業革命は欠かせないパーツである。後編では、世界経済の歩みを独自の視点で検証する書を紹介する。産業革命の捉え方や位置づけにも著者たちの歴史観がよく表れている。
小野塚知二著『 経済史 いまを知り、未来を生きるために 』(有斐閣/2018年2月刊)は「経済成長の原動力は、際限のない人間の欲望である」との仮説を土台に、古代から現代に至る世界経済の歴史を概観した書だ。
産業革命にも一章を割き、産業革命論を断絶・悲観説(アーノルド・トインビーらが提唱)、断絶・楽観説(ウォルト・ロストウらが提唱)、連続・悲観説(ニック・クラフツらが提唱)、連続・楽観説(ジョン・クラパムらが提唱)と整理している。小野塚氏は、産業革命を純粋に産業上の変革として見るなら、断絶と連続の両側面があったと説く。
成長率や貯蓄・投資などのマクロ経済指標を推計すると、英国の産業革命は一国経済の全体が劇的に変化した現象ではないことを多くの研究者が認めるようになった。ただし、産業や地域による相違が大きく、新たな技術・生産組織・生産力の基盤を確立した産業と在来の技術・生産組織・生産力の基盤の上に成立した産業が併存し、補完し合っていた。革命性だけを強調するのも、連続性・漸進性・停滞性を一方的に強調するのも誤りだと注意を喚起している。
多様な変化をもたらした産業革命
産業上の変化以外の点にも目を向けている。「産業革命は機械と工場を起点とするさまざまな変化の複合であった」と視界を広げたうえで、変化の内容を詳述している。その内容の一部を要約し、以下に列挙する。
- 機械が大規模な工場に設置されるにつれ、自営の小生産者は、資本家と労働者の両階級に分解していった。
- 労働者を交代制にし、一日中、機械を運転するという新しい働き方が発生した。
- 近代産業社会に特有の時間規律が生まれた。労働者の勤怠(欠勤、遅刻、早退、離職)管理が重要になった。
- 家庭内での共有時間が減少した。男と女の分業、おとなと子どもの関係が再編され、「近代家族」が生まれた。
- 蒸気機関の登場により、人類は初めて人工的なエネルギーを獲得し、人力や畜力の疲労という問題からも、風力・水力の自然への依存からも解放された。石炭が、薪炭に代わる熱源、製鉄工程で炭に代わる還元剤、新たなエネルギー源となった。農業にも機械力と化石燃料を用いた肥料や農薬が利用され、経済・社会の根幹部分を大きく変更した。
- 外部からの恒常的な食料輸入により、その社会に与えられた自然が許す以上の人口増加が可能になった。
- 機械の導入、工場の普及は、人々の身の回りの風景を大きく変えた。農村の土地制度の変化や農業の経営形態の変化で、共有地の私有地化が進むなど、農村の景観も大きく変化した。
- 産業革命は物的に豊かになることを端的に表現する言葉・目標として、世界各地で広く受け容れられるようになった。
- 食料生産、熱源、土建資材に課されていた自然的制約を突破することを通じ、経済活動は社会・掟・規範・慣習の束縛から解放され、市場経済が社会や制度から自立して独自に展開するようになった。
産業革命は一回限りの変化
小野塚氏は、こうした一連の変化は何回も繰り返して発生するものではなく、産業革命は歴史上、1回しか発生しない変化だとみている。英国に限らず、資本主義的な生産様式が確立し、産業社会が成立するためには、どこでも同様の変化を経験しなければならなかったとの見解を披露し、「第2次産業革命」、「第3次産業革命」といった形で「革命」という語を濫発することには慎重でありたいと追記している。
「第1次産業革命」後、世界経済はどんな軌跡をたどってきたのだろうか。ブラッドフォード・デロング著『 20世紀経済史 ユートピアへの緩慢な歩み(上)(下) 』(村井章子訳/日経BP/2024年6月刊)は、1870年から2010年までを「長い20世紀」と命名し、世界経済が大きく変化する姿を追う本だ。過去に例のない富の爆発的な増加からすべてが始まったと表現し、「大きな物語」を描こうとしている。
経済が歴史の主役に
デロング氏によると、富の驚異的な増加は、長い20世紀の間に5つの重要な現象やプロセスを引き起こした。(1)歴史の主役が経済になった、(2)グローバル化が進行した、(3)豊富な技術が原動力となった、(4)政府は市場の管理に失敗し、不安定と不満足を招いた、(5)独裁政治が増殖した、の5つである。この5つは同書のテーマでもあり、20世紀の主な出来事を編年体で記述しながら、5つのテーマを浮かび上がらせている。
1870年前後を境に世の中が大きく変わったのは、本格的なグローバル化が始まるとともに、産業研究所と近代的な企業が出現したためだ。これらの出来事は悲惨な貧困から世界を脱出させるさまざまな変化の先ぶれとなったという。
同氏は、世界の標準的な生活水準が1%向上するごとに有益な知識の価値も1%増え、一定の生活水準で人口が1%増えるごとに有益な知識の価値は0.5%増えると仮定し、各時代の有益な知識の価値の合計を「グローバル知識価値指数」として推計した。
急上昇した人類の知識水準
1870年を基準年(指数は1)とすると、農業が発明され、家畜が開発された紀元前8000年の指数は0.04。紀元1年の指数は0.25に飛躍する。資源が同じで技術が向上したおかげで平均的な労働者の生産性は8000年間で6倍になった。著者は西暦1500年以降を「帝国主義的交易革命」、1770年から始まる1世紀を「産業革命」の時代と呼び、1500年の指数は0.45とはじいている。指数が0.04から0.45と10倍になるまでに9500年(2倍になるのに1900年)を要したが、その次に2倍になるのには370年しかかからなかったことになる。2010年の指数は21。1870年以降、技術は爆発的に進歩し、物質的な富は爆発的に増えた。
1770年から1870年までの間、せっかく開花した人類の能力はやがて枯渇し、再び経済は停滞することを繰り返してきた。経済成長の原動力として産業革命以上の強力な後押しが必要だったと総括する。
産業研究所と企業の出現はどのように作用したのか。1870年以前は発明も技術革新もおおむね単発的な発見とその応用にとどまっていた。改良技術を発見あるいは発明した人たちは自ら活用方法を考えなければならなかった。周囲の環境が整っている限りにおいてはうまく機能したが、導火線に火がついても途中で消えてしまう可能性は十分にあり、立ち消えの連続だったという。
発明家を有効活用した研究所と企業
産業研究所と企業は、トーマス・エジソンやニコラ・テスラのような発明家の出現を可能にした。工房を構えて人を雇うといった先行世代の発明家たちがこなしていた他の多くの役割を企業が引き受け、発明された技術は手続きに従ってプロの手腕で合理的に実用化されるようになった。両者の存在が経済成長のギアを入れたとの解釈を示している。
第1次産業革命と第2次産業革命のどちらの影響を重視するかで小野塚氏とデロング氏の見方は異なるが、産業革命を経て成長軌道に乗った世界経済の先行きを楽観視していない点では認識が一致している。
小野塚氏は、人間の欲望と経済活動が肥大化し、成長が常態化した社会は持続可能ではないと訴える。地球は物的には閉鎖系であり、化石燃料は有限だ。このままではいずれ、地球の自己調節能力を上回ってしまう。そこで、(1)成長のない経済に対応する、資本主義ではない生産様式を展望する、(2)物財・エネルギー以外の面で成長できる資本主義経済を構想する、の2つの選択肢を示す。
20世紀には「社会主義」や「共産主義」の看板を掲げた体制も出現したが、永続きせず、資本主義社会に転換した。資本主義ではない生産様式は、協同性、連帯、共生、自主管理、ネットワークなどの言葉で今も夢見続けられているが、夢を実現しうる構想は一つもないと断言し、後者の道を進むしかないと提言する。
育児や介護などの対人サービスの充実、自立した個という近代的な主体設定の見直し、美的価値や身体的な礼の回復など、手がかりとなる考え方を提示している。
ユートピア実現の機会を2度逃す
デロング氏は、長い20世紀の間に、人類は2度、ユートピアに近づいたとみる。1度目は1870~1914年。この期間に経済は桁外れの躍進を遂げた。新たな科学的な発見が相次ぎ、近代的な企業の手を経てグローバル経済の隅々まで浸透すると見られたが、第1次世界大戦が勃発すると、世界は深刻な混乱に陥った。政府は経済運営の能力を失い、安定と堅実な成長を確保できなくなった。
2度目は1945~75年。第2次世界大戦後の北大西洋諸国では、開発志向の社会民主主義が実現したが、持続可能性テストに合格できなかった。代わって登場した新自由主義は望ましいユートピアへと前進できなかった。
世界では所得と資産の格差が急速に拡大し、地球温暖化という大問題に立ち向かうことさえできないと現状を嘆いている。
産業革命によって成長のギアが入り、走り続けてきた世界経済。暴走の域に達した経済を放置したまま、人類がユートピアを構想する努力を放棄したら、人類は持続可能性テストに合格できるだろうか。
アメリカを代表する経済学者であり、ブロガーとしても著名な著者が、1870年に始まり、2010年に終わった人類史上初めて「経済」が主役となった世紀である「長い20世紀」を、『サピエンス全史』のユヴァル・ノア・ハラリや『銃・病原菌・鉄』のジャレッド・ダイヤモンドの「ビッグヒストリー」の手法で描いた大作。
ブラッドフォード・デロング著/村井章子訳/日経BP/3520円(税込み)



